第42話【9月2日その2】進捗は?
わたしが早苗先輩の原稿を読んでいる間に、結城先輩も亜子ちゃんの原稿を読み終えたようだ。
綺麗に用紙を揃えて亜子ちゃんに返している。
「良いと思う。北条らしい丁寧な語り口だし結末だって悪くない。校正の必要もほとんどないから、このまま掲載してもいいぐらいだ。自分では何が問題だと思っているんだ?」
亜子ちゃんは暗い表情でそれに答えた。
「書き上げてから気がついたのですが、その物語は寿命の違いを扱ったありきたりな話ではないかと……」
「ファンタジーにおける、人間とエルフの話みたいだというんだな」
結城先輩の言葉に亜子ちゃんは頷く。
先輩は責めているのではないという優しい声で続けた。
「文集のテーマを決める時に、時間にまつわる物語は出尽くしていて何を書いても二番煎じになると、俺が言ったのを覚えているか?」
再び亜子ちゃんは頷いた。
「だから時間の設定で被るのは仕方がない。もしこれまでにない斬新なアイデアが浮かんだら、学校の文集なんかに寄稿せずに公募にでも送ったほうがいい。
実際に鈴木の小説だって設定は単なる時間停止だ。それをストーリーの部分でオリジナリティを出して差別化しているわけだ。だから北条も気にするな」
それで完全に憂いが消えたというわけではないだろうが、亜子ちゃんは感謝の言葉といっしょに頭を下げた。
「みんなの意見も聞いてみればいい。有村にも読んでもらおう」
結城先輩はわたしに振ってきた。
隣にいる早苗先輩は自分の原稿のリライトに没頭しているからだろう。
「あ、わたしは夏休みのうちに読ませてもらっています」
「なんだ、それなら話は早いな。どう思った?」
わたしは亜子ちゃんの小説を思い返す。
明記されていないが、舞台は中世ヨーロッパかそれに類するファンタジー世界だろう。
母親と暮らす少女が主人公だ。父親は少女が赤ん坊のころに亡くなっていた。
二人は街外れの森の中でひっそりと暮らしていた。生計は薬草の調合や保存食を作ることで立てている。
基本的に少女は森の中でひとりで遊んでいたが、時には街へと出掛けて同い年ぐらいの子供たちが遊んでいるのを眺めていた。そうするとたまにいっしょに遊ぼうと誘ってくれる子がいるのだ。
そうして仲良くなった子がいると少女は足繁く街へと通った。
ところが悲しいことに、そうした友達もすぐに少女と遊ばなくなってしまう。
すると彼女はまたひとりで遊ぶようになり、そして人恋しくなるとまた街へと出掛けるようになる。その繰り返しだった。
ある日、少女が森を歩いていると猟師の青年と出会った。その青年は少女を見ると驚愕の表情を浮かべて逃げるようにして離れて行った。
少女はその青年の顔に見覚えがあった。以前いっしょに遊んでいた男の子の面影があったのだ。
その後も同じようなことが度々あったので、少女は不思議に思い母親に尋ねてみた。
母親は少女を優しく抱きしめると、目を合わせて静かに語りだした。
母親も少女も世間の人たちよりゆっくり歳をとるのだと。
彼女たちの一年は世間の十年なのだ。だから少女の前から友達がいなくなるのは年齢を重ねて大人になっただけで、あなたのことを嫌いになったわけではない。
また長命な彼女たちはその時間の流れに順応している。少女が僅かな時間と感じても、世間の人にとっては長い時間が経っているのだと伝えた。
少女はなんとなくだが理解した。
そして友達になってもすぐに別れがくるのだということも理解した。
それは寂しいことだった。
それ以降、少女は街へ行かなくなった。代わりに母親から色々なことを教わった。すでに三百年ほど生きている母親は膨大な知識を持っていたのだ。
そして少女は成長して年頃の女性になった。もちろん世間では何十年も経っている。
しかし別れは突然訪れた。
母親が病にかかって亡くなったのだ。彼女たちは単に歳をとるのがゆっくりなだけで不死ではなかった。
少女――もう一人前の女性だが――はひとりで生きていかなければならなくなった。
彼女は薬草や保存食を売るために再び街へと出掛けるようになった。
美しい女性に成長していた彼女は男性に声をかけられることも多く、彼女も相手に惹かれて恋に落ちることもあった。
しかし子供の頃と同じでそれは長くは続かなかった。
そして彼女はよほどのことがない限り街へは行かなくなった。
そんなある日、薬草を取りに森を歩いていると崖下でうずくまる青年を見つけた。どうやら崖から落ちたらしい。
意識がない青年を彼女は家に連れ帰って介抱した。
彼女の献身的な介護のおかげで青年は意識を取り戻した。身なりの良いその青年はこの国の王子だと名乗った。
そして二人は恋に落ちた。
しかし実らない恋だとわかっていた彼女は自ら王子に打ち明けた。自分は呪われた血を引いているのだと。
それでも王子は彼女の元を訪れ続けた。
彼女がまったく変わらないのに対して王子は確実に歳を重ねていた。それを目の当たりにした彼女は、何も言わずに住み慣れた森を離れた。
そしてしばらく経つと王子が結婚したと耳にした。
彼女はひとり泣いたあと、以前にも増して人と関わることを避けて暮らすようになった。
そして数十年経ったある日、彼女の元へと王子そっくりの青年が訪ねて来た。
その青年は彼女を見ると微笑んだ「祖父が話していたとおりの人です」と。
実際に彼女はほとんど変わっていなかったのだ。
青年は迎えに来たと言う。
王――彼女が愛したかつての王子――とその妃が亡くなり喪が明けたら、彼女を迎えに行くようにとの遺言があったという。
王宮に赴くと王家の人々をはじめ、そこにいるすべての者が丁重に彼女を迎え入れた。それだけでなく国に長命種を守る法令があるという。
聞けばあの王子が一生をかけて作ったものだそうだ。
その後、彼女は良き伝承者として王家を何世代にもわたって支え続け、その国の守護女神として敬愛されたという。
「そうですね。わたしも亜子ちゃんらしい優しさに溢れた物語だと思います。特に結末が素敵です。このタイプの話だとどうしても悲劇になると思うんです。
でもこの小説では結ばれこそしませんでしたが、主人公は決して不幸ではありません。むしろ寿命の違いということを考えると、王子と結婚したという終わり方より幸せかもしれません。もし結婚したとしたら、王子が亡くなった後の立場って物凄く微妙だと思うのですよね。でもこの結末だと彼女は皆に愛され続けて、長い人生を幸せに過ごしたと感じるんです」
この感想は読んですぐに亜子ちゃんにも伝えたものだ。
亜子ちゃんは照れたように、それでも嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれたが、結城先輩はどうだろう?
わたしが見ると結城先輩はおもしろそうな笑みを浮かべていた。
「さっき鈴木も言っていたけど、俺の批評なんかより数倍わかりやすくて丁寧だな。いつからそんなに上手くなったんだ?」
「う、上手くなんかなっていないと思います……」
もし上達していたら、それは先輩のおかげだ。
この数ヶ月で批評のポイントや物語を深く読み込むこと、その他にもたくさんのことを教えてもらっている。
「いや、謙遜しなくていい。俺もまさに有村の言ったとおりだと思う。この手の設定でしっかりと別れの後を書いて、なおかつそれがハッピーエンドというのはちょっと思い付かない。
それだけで十分オリジナルだろう。自信を持って文集に寄稿すればいい」
結城先輩の言葉の後半は亜子ちゃんへと向けたものだ。
亜子ちゃんはそれを聞いてやっと笑顔を見せた。やっぱり亜子ちゃんは笑っていたほうがいい。こちらまで幸せな気持ちになれる。
「それで有村の進捗はどうだ?」
そこで不意打ちを食らった。
亜子ちゃんの笑顔で癒された気持ちが急速にしぼむ。
「プロットは練ったのですけれど、設定で苦労していて……」
「具体的には?」
結城先輩は畳みかけてくる。
あれだけ相談に乗ってもらったのだ。ほとんど進展していないというのは後ろめたいが、いまさら隠す必要もないだろう。
「なんというか話にリアリティを感じないんです。それで詳細な設定を作れば少しはましになるだろうと思ったのですが難しくて」
「リアリティが重要ってハードSFでも書いているのか?」
結城先輩は驚いている。
たしかに初心者のわたしが、いきなりハードSFなんかを書き出したらびっくりするだろう。
慌てて手を振って否定する。
「いえっ、違います! 全然普通の話です。それでもある程度のリアリティは必要だと思って」
「所詮フィクションなんだ。ハードSFや現実の世界を舞台にでもしない限り、そこまで緻密な設定は必要ないと思うぞ。むしろないほうがいい」
今度はわたしが驚く番だった。
細かい設定がないほうがいいというのは極論ではないだろうか?
わたしの表情を見て結城先輩が補足してくれる。
「『いつ』『どこで』『誰が』これらを明確にすると物語の普遍性が失われるんだよ。だからリアリティが必要な話じゃなければ、ぼかしたほうがいい。
昔話や童話が良い例だな。「むかしむかし、あるところで」と書けば、時代を経ても、どんな場所でも通用するだろう?
これは現代でも使っている手法だ。有名なのは『スターウォーズ』のオープニングだな「遠い昔、はるかかなたの銀河系で」というのを見たことがないか?
これは一種の免罪符でもある。違う世界なんだから少しぐらい現実に即していなくても固いことを言うなってことだ。ジョージ・ルーカスですら使っているわけだ。
人の名前もそうだ。国や地域が特定してしまう。それなら『少年』や『少女』にすれば普遍性が保たれる。つまり固有名詞はできるだけ書かないほうがいいんだ」
ちょっとショックだった。
わたしは設定は詰めたほうがいいと考えていたのだが、そうではないらしい。
たしかに詳細な設定があると普遍性はなくなるし、実際と違った場合に齟齬が出てくるだろう。
しかし名前までないほうがいいとは。
わたしは自分の考えているプロットにあてはめてみた。
……意外と上手くいくかもしれない。
「ありがとうございます。ちょっと視界が開けました」
結城先輩は良かったというように頷いてくれる。
そこで気になった。人の心配をしてくれているが先輩の進捗はどうなのだろう。
夏休みの段階では何も書いていないと言っていたし、今日も自分の原稿についてはいっさい話していない。
「結城先輩の進捗はどうですか?」
「俺もプロットの段階だよ」
結城先輩はそう言って笑う。
何だかはぐらかされた気がして少し引っかかった。
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