2学期

9月

第41話【9月2日その1】二学期の始まり


 天気が悪い日が続いたせいか九月に入るとめっきり涼しくなった。

 二学期の始業式は八月の二十八日だったが、先週は大掃除のワックスがけがあったり、十一月にあるマラソン大会の事前血液検査があったりと慌ただしかった。

 週明けの今日からようやく落ち着いてきて授業も本腰という感じだ。

 そして文芸部であるがこちらも通常運転――というわけにはいかなかった。

 

 霧乃宮高校文化祭があるのは九月最終土曜日の二十八日。

 文集『星霜』を印刷所に入稿するのがその二週間前の十三日。

 さらに部員同士のチェックがあるため、来週始めが実質的な締め切りである。つまりあと一週間しかない。

 そしてわたしの進捗状況であるが……。まだほとんど書いていなかった。


 夏休みの終わりに結城先輩に相談をして、ボーイミーツガールを書くことを勧められた。

 わたしもその線でプロットを練ったが、あとひとつ決め手が欲しかった。

 ちなみに結城先輩から出された宿題もわからないままである。


 文集の小説のことばかり考えていて今日の授業も上の空だった。次の中間テストの結果が早くも恐ろしい。

 そして放課後の図書準備室でも安らぎは訪れなかった。むしろ一段と焦ることになる。

 いつもはお喋りに興じるはずの早苗先輩が、結城先輩が顔を見せた瞬間に鞄から原稿を取り出したのだ。


「結城いいかな。これが文集に載せられる内容か判断してくれる?」


 結城先輩はそれを受け取りながら怪訝な顔をした。


「校正じゃなくて、文集に載せられる内容かどうかの判断なのか?」


「うん。はっきり言って学校の文集にはふさわしくない内容だと思うんだよね。ただ、あたし的にはまあまあ上手く書けたと思ってるの。だから自分で没にするのはもったいなくてさ。あんたが駄目だって言えば諦めがつくし。

 別のも書いているから遠慮しないで言ってよね」


 結城先輩は椅子に座るとさっそく原稿を読み始めた。

 早苗先輩は黙ってそれを待っている。

 そうなるとわたしと亜子ちゃんも話せる雰囲気ではなく、図書準備室にしばらく沈黙が流れた。

 ほどなくして読み終えた結城先輩は顔を上げると、早苗先輩を真っ直ぐに見た。


「内容に関しては問題ないと思う。むしろ気になったのは文体や会話だな、内容に対して軽すぎるんだよ。だから学校の文集には不謹慎じゃないかと感じる。

 全体的にもう少し落ち着いた文章にして主人公の心理描写に重点を当てれば、この小説は純文学といっても通用するぞ」


 それを聞いて早苗先輩は悩ましげな表情をした。


「設定がラノベ的だから、それに引っ張られて軽い感じになったのは認める。でも純文と言われるとは思わなかったなあ。

 うーん、どうしよう。没になるものだと思っていたから迷うね。アドバイス通りにリライトして寄稿するかどうか……」


「他にも書いているのがあるのなら、とりあえず書き上げて比べてみたらどうだ?」


 早苗先輩は考えてみると返事をすると原稿をしまおうとした。

 わたしは慌てて声をかける。


「早苗先輩、わたしにも読ませてもらえませんか?」

「いいけど、これって没にするかもしれないよ? 寄稿すると決めたやつは瑞希たちにも読んでもらうから、そっちを待てば?」


 早苗先輩もわたしの進捗状況が芳しくないのは知っているから、無駄な時間を取らせないように気を遣ってくれているのだろう。

 だけれど文集にふさわしくないという小説がどんなものか気になった。


「いいじゃないか。いろんな人間の意見を聞いたほうが参考になるだろ?」


 結城先輩もそうフォローしてくれる。

 わたしが早苗先輩の原稿を受け取っていざ読み始めようとすると、今度は亜子ちゃんが結城先輩へと声をかけた。


「あの、わたしも書き上げたのですが自信がなくて……。評価してもらってもよろしいですか?」


 亜子ちゃんが緊張した様子で原稿を差し出す。

 結城先輩は頷いてそれを受け取った。

 亜子ちゃんの小説は夏休みのうちに読ませてもらっていた。適切だったかどうかはわからないが感想も伝えてある。

 結城先輩の評価がどうなるか気になるところだ。

 しかし今は早苗先輩の作品に集中すべきだろう。わたしも原稿を読み始めた。




 明確にされていないが舞台は現代で場所はアメリカを意識していそうだ。

 主人公は冴えない要領の悪い青年である。

 家庭環境が悪く満足な教育を受けずに育ってきた。そのため道を踏み外して犯罪に手を染め生活をしている。しかしそこでも仲間からは馬鹿にされ、貧乏くじを引かされる日々だった。

 そしてある日、同じような人間たちと揉め事になり逃げ遅れた――というよりも囮として置き去りにされ、彼に銃が突きつけられる。

 目を瞑り震えていたが、いつまで経っても銃声は聞こえない。

 恐る恐る目を開けた彼は咄嗟に銃を奪い取り、その勢いのまま引き金を引いた。

 そして一目散に逃げた。

 なぜ相手は抵抗もせずに撃たれたのか。他にも相手の仲間がいたはずなのに、なぜそれが追ってこないのか。

 それらのことに気づくのは息が切れて走ることができなくなったあとだった。

 世界は無音だった。

 周囲に人や車が溢れているのに何の音もしない。それらは動いていなかったのだ。

 近寄ってみても触れてみても何の反応もない。

 まるで時間が止まったようだった。

 呆然としているといきなり喧噪が戻ってきて、同時に人と車が動き出した。

 夢でもみたのかと思った彼が仲間の元へと戻ると、彼らは笑いながら肩を叩いて迎えたが、心配などしていなかったことはあきらかだった。

 彼は自分が体験したことを話さなかった。

 そしてしばらく経ったある日、今度は警察に捕まりそうになった。

 破れかぶれで念じた彼は信じられない光景を目にする。そこには再び時間が止まった世界があった。

 彼は自分が超人的な能力を手に入れたことを知った。

 それからはひとりでやっていくことにした。何しろ時間を止めれば金も物も盗み放題なのだ。捕まる心配もない。

 彼は世界が自分のためにあると思った。

 しかしそれは束の間の幸福だった。

 ある日、黒スーツにサングラスをした男たちが訪ねてきた。いっしょに来てもらいたいという。

 あきらかに危険な連中だった。彼のようにちんけな犯罪に手を染めているのでない。完全に裏世界で生きている人間だった。

 彼は時間を止めてその場を逃げた。

 しかし彼らは一週間も経たないうちに新しい住処を訪ねてきた。どんなに遠くに逃げても、国境を越えても居場所を突き止められた。

 彼は諦めて男たちについて行った。

 彼らが手を出してこないのは、それが無駄だということを知っているからだろう。何度も目の前から消えているのだ、能力を知られている可能性が高い。

 やはり彼らは裏世界の住人だった。

 急に羽振りがよくなった彼のことを調べるうちに、その神出鬼没な行動に気づいたらしい。

 今の世の中あらゆる場所に監視カメラがある。そこから突然消えたり現われたりしていれば目立つのは当たり前だった。

 彼らの要求はシンプルだった。彼に殺し屋ヒットマンになれというのだ。

 拒否権はなかった。この場から逃げ出すことは簡単だし、目の前にいる人間を殺すことだってできる。だがそれは、その場しのぎでしかない。次は気づかないうちに彼が消されているだろう。

 そうして彼は殺し屋として生きていくことになった。

 標的がどんなに厳重に守りを固め、護衛を増やそうとも彼には関係がない。実に優秀な殺し屋だった。

 しかしそうやって人を殺していくうちに彼の精神はすり減っていった。

 いくら対象が殺されても仕方がないような悪人とはいえ、殺人であることに違いはないのだ。

 さらに重大な問題があった。止められる時間が減ってきていたのである。

 最初は五分は止まっていたものが今では三十秒を切っている。

 近頃は逃げる時間が足りずに姿を見られることが増えていた。

 彼を雇う組織もそれを把握しているのだろう。そろそろ潮時という不穏な空気を漂わせていた。

 その日は彼以外にも周囲に変装をした組織の人間が多くいた。彼が失敗した時の保険だろう。

 今回の標的は高級ホテルに宿泊していた。チェックアウトしてホテルから出て車に乗り込む僅かな隙を狙う手筈だ。彼にとっては簡単な仕事のはずだった。

 標的と護衛らしき連中がロビーに現れ、そこで問題が発生した。

 護衛の一人が変装をした組織の人間に気がついたのだ。

 お互いが銃を抜く。

 それだけなら彼も黙って見ていただろう。しかし二人の間を幼い少女が歩いていた。

 彼は思わず時間を止めてしまった。

 すぐに少女を抱きかかえるとフロントの後ろへと身を隠す。

 次の瞬間に銃声がした。

 僅か十秒ほどしか時間は止まっていなかった。

 少女はいきなり目の前に出現した彼を、不思議な表情で見つめている。

 彼は小さな声で「顔を出すな、じっとしていろ」それだけを言うと、その場を離れようとした。

 組織に見つかっても、標的の護衛に見つかっても彼の命はないだろう。

 その腕を少女が掴んだ。

 振り向いた彼に、少女がはにかんだ様子で「ありがとう」と言った。

 彼は驚愕して目を見開いた。

 少女がこの状況を把握できているとは考えられない。それでも何か感じるものがあったのかもしれない。

 もう一度「じっとしているんだぞ」それだけを言った。

 少女の隣には銃声を聞いて慌てて身を隠したフロントの人間もいるし大丈夫なはずだ。

 彼は這うようにして裏口へと向かった。

 誰もいない路地裏へ来ると、彼はそこに座って銃を取り出した。

 自分は天国へは行けないだろう、碌な連中じゃないとはいえ何人も殺している。

 あんな能力を手に入れないほうが幸せだったのかもしれない。それでも最後に人助けができた。少女に感謝の言葉も言ってもらえた。

 それだけで十分だ。

 最後に彼は自分のために時間を止めた。

 最期ぐらいは静かに逝きたい。

 彼は銃口を咥えると引き金を引いた。




 早苗先輩が学校の文集にふさわしくないと考えたのは納得だ。

 なにしろ主人公が殺し屋である。全体的に暴力的な描写も多い。ただ、その暗黒小説ノワールの要素を軽減させるためにか、文章が軽いことにちぐはぐさを感じた。

 そこで結城先輩の批評を思い返す。さすがだ、的確なアドバイスだと思う。


「どう? 忌憚のない意見を聞かせて」


 早苗先輩にそう言われては答えないわけにはいけない。読ませて欲しいと言ったのはわたしだ。


「結城先輩と被る意見で申し訳ないのですが、わたしも内容は問題ないと思います。そして主人公の心理描写にもっと字数を割くべきだというのにも賛成です」


 わたしはそこでひと呼吸を入れて、考えをまとめてから続けた。


「この物語は主人公の生きづらさを書いたものだと思うんです。環境や運に恵まれないためにごく普通の幸せにすら手が届かない。そういう人間が望外な能力を手に入れたのに、それすらも転落を加速するだけだった。自暴自棄になってもおかしくありません。

 それでも主人公は最後まで理性と優しさを失いませんでした。だからこそ自ら死を選ばざるをえなかったことに悲しさを感じるんです。その内面を深く掘り下げることで、この小説はもっと素晴らしいものになると思います。文章もそれに合わせたものにするべきです」


 わたしが話し終えると早苗先輩が驚いた表情でこちらを見ていた。

 しまった。言い過ぎたかもしれない。


「すみません。偉そうに語って……」

「いや、結城のよりわかりやすかったよ。あたしもそう思う」


 早苗先輩はそう言うと、原稿を真剣に見返しながら何事かを考え始めた。

 リライトの文章を練っているのかもしれない。

 視線を感じて横を向くと、結城先輩が優しく微笑んで頷いてくれた。


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