第28話【7月10日その3】第146回芥川賞にまつわる真相


「え、そんなのあるの!?」


 真相と聞いて食いついたのは早苗先輩だ。どんなことでも謎というものには興味があるらしい。

 結城先輩がそれに頷く。


「実は石原慎太郎は田中慎弥のことは一定の評価をしているんだ。選評では候補作の中で唯一肯定的な意見も述べている。他の四作品中、一作は受賞に強く反対、残りの三作には選評すらないのにだ。

 さらにテレビのインタビューでも「わたしは書かないタイプの作品だが、昭和の感じが出てていいんじゃないか」とも言っている」


「でもさっき「バカみたいな作品ばっかりだよ」って話したって。それは他の候補作について言ったってこと?」


「いいや、この時の芥川賞についてだよ。なにしろ石原はよほど頭にきたらしくて、選考会途中でありながら退席、そのまま選考委員を退任したぐらいだ。

 同じく選考委員だった黒井千次も、最近の作品についていくのは難しいという趣旨のコメントを残してこの回を最後に退任している。ちなみに『共喰い』に関しては選評で絶賛していた」


 いったいどういうことだろう? 結城先輩の話は矛盾していると思う。

 早苗先輩も理解できずに苛立っているようだ。


「なにわけのわからないことを言ってるのよ。結局、真相っていうのは何なの!?」


 結城先輩は微かに笑いながら、ゆっくりと言葉を発した。


「実はこの時の芥川賞は二作品あったんだ。いわゆるダブル受賞というやつだな」


 W受賞。

 たしかにそういうことがあるのは知っている。


「そしてもうひとつの受賞作は円城えんじょうとうの『道化師の蝶』だった」


 それを聞くと早苗先輩が「あー」という、すべてを悟ったかのような声をあげた。

 しかしわたしにはどういうことなのかまったくわからない。円城塔という作家も知らなかった。


「でもよく受賞できたよね。あたしはその本は読んでないけど、作風から考えるとちょっと信じられない。そもそも純文なの?」


 早苗先輩は首を捻っている。


「そう思ったのは鈴木だけじゃないな。当時もかなりの驚きを持って迎えられたらしい。出版関係者や本読みのあいだでは話題になったんだが、田中慎弥の影に隠れてしまった」


 どうも芥川賞としては異例の作品であるらしい。


「どんな小説なのですか?」


 わたしの質問に結城先輩は腕を組んで考えている。


「うーん、難しいな。ジャンルレスな作風ではあるんだが、あえてカテゴライズするのならSFだと思う。そして受賞作だけでなく、円城作品すべてに共通することなんだがとにかく難解なんだ。

 主語が長くて過剰な修飾も多いから何度も読み返さないと頭に入ってこない、まるでロシア文学並みの読みづらさだ。構成が多重構造になっているのも特徴だな、ページを遡って内容を確認することもしょっちゅうだ。メタフィクションな要素もある。とにかくなんでもありなんだ。国内の現代文学で読むのに苦労する作家のひとりなのは間違いない。

 おっと、誤解するなよ。貶してばかりに聞こえるかもしれないが文句なしにおもしろい。特に初期の作品は読んでも損はないと思う。作者の特徴がよく出ているのは処女作の『Self-Reference ENGINE』だと思うが、完成度なら『Boy's Surface』が頭ひとつ抜けているな」


「だよねえ、あたしもSF作家っていう認識だもん。早逝した伊藤いとう計劃けいかくとともにゼロ年代のSFの旗手っていうイメージが強いなあ。そして読みづらいのには完全同意、普通の本の三倍かかるよね」


 早苗先輩は読みづらいという部分にいたく共感している。

 とにかく一筋縄ではいかない作風らしい。そうなると純文学が対象の芥川賞を受賞したことに驚かれたというのも頷ける。


「ここまで話せばもうわかっただろうけど、石原が文句をつけていたのは田中慎弥の『共喰い』にではなく、円城塔の『道化師の蝶』だったんだ。もちろん石原が受賞に反対をした作品もこれだし、石原と黒井が退任するきっかけとなった作品ともいえる」


 それが事実なら、なかなか罪な作品ということになる。だが疑問があった。


「そうだとしたら、なぜ石原さんと田中さんが喧嘩をしているようになったのでしょう?」

「マスコミの印象操作だな」


 結城先輩はこともなげに答えた。


「印象操作……それはなんのために?」

「そのほうがおもしろいからだろう」


 これには言葉が出てこない。

 結城先輩はそんなわたしを見て、少し悲しげに笑った。


「最初に言ったように石原慎太郎という大物に対して、新人作家が喧嘩を売ったという構図がおもしろいからそれを強調するように報道したのさ。真相を知ったところで訂正はしないし、マスコミなんか自分が話題にしている本さえ読まないだろうから真相になんか気づきもしなかったのかもしれない。

 実際のところ石原は結構はっきりと「田中についてではない」と答えているんだが、その部分は無視されている。田中の「もらっといてやる」発言も毎回候補に挙がりながらも落選していてようやく受賞できたことについての照れ隠しであり、石原に含むところはないと語っている。

 もちろんマスコミにも責任はあるが、それを受け取る大衆にも問題がある。なんの疑問もなく印象操作を鵜呑みにしたんだ。少し気を付けていれば石原や田中の真意には気がつく。若輩の俺が言うのも何だが、どっちもわかりやすい人物だぞ」


 いろいろと考えさせられる話だった。

 わたしも高校生にもなってマスメディアが公平な報道をしていると思うほど純粋ではない。だがその真贋を見抜けるかというと自信はなかった。


「素朴な疑問なんだけどさ、実は問題の中心にいた円城塔はそのことをどう思っていたのかな?」


 たしかに早苗先輩の疑問は気になるところだ。


「もちろんわかってはいただろうけれど、どうしようもなかったんじゃないか。この人は東大の博士号を持っているぐらいの秀才なんだが、ここで自分が口を挟むと余計に話が混乱すると、空気を読んであえて静観していた気がする。

 自分の本の売り上げを考えたら名乗り出て、炎上商法を狙ったほうが得だったんだろうが、そういう下品なことをしない紳士でもあるんだ。

 贈呈式でも田中慎弥の一言スピーチのあとを受けて話したんだが、直前の出来事もウィットに変えて時間にも気を配ってとさすがの一言だったな。

 実はこの二人は同い年なんだが、経歴、人柄、作風とまったくの正反対というのがおもしろい。興味があったら調べてみるといいぞ。ひょっとしたらそこを狙ってW受賞させたのかもな」


 わたしは純文学には関心がなかったのだが、結城先輩の話を聞いてこの二人の作家は読んでみようと思った。

 どちらもどんな物語を書いているのか、とても興味が湧いてきたのだ。

 たしかに作者のキャラクターというのも、本を手に取ってもらう要素となるのかもしれなかった。


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