第32話【8月3日その2】北条家の人たち


「この度はお世話になります、文芸部二年の結城恭平です。できることは自分たちでやりますので遠慮なくお申しつけ下さい」

「同じく二年の鈴木早苗です。あたしたちの親からもお世話になりますと言付かっております。つまらないものですがと預かってきました」


 早苗先輩が紙袋を手渡す。

 それを受け取った亜子ちゃんのお母さんは、いかにも話し好きそうな着飾っていない人だった。にこにこと笑っていて釣られてこちらも笑顔になってしまう。


「あらあら、わざわざ気を遣わせてすみません。やっぱり霧乃宮の生徒さんはしっかりしているわねえ。二人とも大人っぽくて亜子よりひとつだけ年上だなんて思えない。亜子の母です。遠慮しないでくつろいでくださいね」


 うちの先輩たちは本当に如才がない。結城先輩はもちろんだが早苗先輩も猫を被っていれば――というか本性さえ見せなければ女史で通る人だ。

 と、そんな悠長なことを考えている場合ではなかった。このままではわたしの存在は無いものにされてしまう。


「一年の有村瑞希です。よろしくお願いします」


 慌てて挨拶をしたが、なんとも冴えない文言だ。本当に自分の機転の利かなさが嫌になる。


「あなたが瑞希さんね。可愛いわねえ。いつも亜子と仲良くしてくれてありがとうございます」


 わたしはにっこりと微笑んでお辞儀をした。

 しかし「うーむ」と考えてしまう。

 先輩たちはしっかり者で大人。わたしは可愛い。それもおそらくは言うべき形容が見つからずに出てきた言葉だろう。

 図らずも世間の評価を知ってしまった。現実は非情だ。


「亜子の父です。いつも娘がお世話になっております」


 亜子ちゃんのお父さんは、若いわたしたちにもきっちりとお辞儀をした。

 こちらも揃って「お世話になります」と頭を下げる。 

 男性にしては背が低いが体つきはがっしりとしていて、もしそのまま石材店を営んでいたらイメージぴったりの社長さんだったろう。


 そして御両親の後ろにいた人を見て、わたしはびっくりした。

 亜子ちゃんにそっくりなのだ。

 この人がお祖母さんなのだろうが肌に張りがあって皺もなければ、髪も黒くて艶やかだ。

 落ち着いている雰囲気から年齢を重ねていることはわかるが、見た目だけでは何歳なのかちょっとわからない。


「亜子がお世話になっています。みなさんのお話はいつも聞いていて、お会いするのを楽しみにしていました。どうぞゆっくりしていってくださいね」


 わざわざ玄関まで出迎えていただいたことに恐縮しつつ、わたしたちも丁寧に挨拶を返した。




 案内された部屋は二間続きの和室だった。どちらも八畳でさらに窓側には板敷きがあるのでとても広々としている。奥には仏壇があった。


「仏間でごめんなさいね」


 案内してくれたおばさんが申し訳なさそうに言うが、とんでもない。押しかけたのはこちらである。


「お線香をあげさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「あらあら、わざわざご丁寧にすみません」


 申し出た結城先輩に続いて早苗先輩が、わたしもその後に続く。

 心の中で一晩こちらにご厄介になることのお礼を言った。

 荷物を部屋の隅に置いて立派な座卓の前に腰を下ろすと、おばさんが麦茶とお茶菓子を持ってきてくれた。


「わたしたち夫婦は二階で寝ているし、お祖母ちゃんはリフォームした自分の部屋が奥にあるから、ここは遠慮しないで使ってくださいね」


 お礼を言って麦茶に手を伸ばす。麦の味が濃くてとてもおいしい。

 おばさんが下がると、早苗先輩が仰向けに寝転んだ。


「あー、和室って久しぶりかも。たまにはいいね」


 くつろいでいる早苗先輩に水を差すように結城先輩が口を開いた。


「それじゃあ夕飯までは勉強だな。各自用意はしてきたよな?」


 これは事前に結城先輩から言われていたことだ。

 遊びに行くのではなく課外活動の一貫なんだから、学生の本分である勉強道具を持参するようにと。


「えー。着いたばかりじゃない。ちょっと休ませてよ」


 早苗先輩が不満を口にする。だらしなく寝転がっていることといい、先程までとは態度が違い過ぎる。早くも化けの皮が剥がれてきていた。


「明日は読み合いをやるんだから勉強するなら今日しかないだろう? それに北条に迷惑がかかるだろうが。俺たちが来たことで勉強時間が減ったとしたら親御さんに申し訳が立たない」


 亜子ちゃんが「そんなことないです」と首を振るのに、早苗先輩も勢いを得て「ほら、亜子がそう言ってるじゃん」と起き上る気配がない。

 すると結城先輩が冷ややかな視線を向けた。


「やる気のないやつには教えてやらないけど、それでもいいな」


 その一言の効果は覿面てきめんだった。

 早苗先輩が跳ね起きる。


「さあやるか! おっべんきょ、おっべんきょ、楽しいなー!」


 変な節までつけて歌いだした。

 それに苦笑しつつ、わたしも勉強道具を取り出した。




 勉強を始めて一時間ほどしたころ、おばさんがスイカを持って部屋へと入ってきた。


「あらあら、静かだと思ったら勉強していたの。言われなくてもやるなんて偉いわねえ。やっぱり結城さんがいると違うのね。

 亜子が苦手だった数学の成績が高校に入ってからいきなり良くなったから、どうしたのって聞いたら結城さんから教えてもらったって。凄いわねえ」


 どうやらおばさんの口癖は「あらあら」らしい。

 それはともかく、やはり結城先輩の評価が高いようだ。


「いえ、自分はたいしたことは教えていません。亜子さんが努力した結果ですよ。それと「結城さん」はやめてください。恐縮してしまいます」


「あらあら、謙虚なところがまた素敵ね。もっと頭の堅いガリ勉タイプの人だと思っていたから、カッコよくてびっくりしちゃった。モテるでしょう?」


 亜子ちゃんが顔を赤くして「お母さんやめて」と止めている。

 おばさんは「あら、本当のことじゃない」と反論したあと話しかけてくることはやめたが、少し離れたところに正座してわたしたちが勉強するところを見ていた。

 その時に結城先輩から教わっていたのはわたしだった。

 おばさんが注目しているのは先輩だとわかっているのだが、どうにも落ち着かなくて内容が頭に入ってこない。

 それに気づいたのだろう、亜子ちゃんがおばさんを追い立てた。


「もう。勉強の邪魔だからお母さんは出て行って!」

「静かにしていたじゃないの。みなさん冷えているうちにスイカ食べてくださいね」


 温厚な亜子ちゃんでも、お母さん相手だと容赦がないのだと知るとちょっと微笑ましかった。

 せっかくなのでスイカをいただくことにする。甘くてよく冷えていておいしい。

 スイカを齧りながら早苗先輩が結城先輩を睨んだ。


「愛想よすぎじゃない? 普段の部活でもあれの半分ぐらい笑いなさいよ」


 たしかに結城先輩は終始笑顔で対応している。いつもの図書準備室では見られない姿だ。


「おまえに愛想よくしても、お茶もスイカも出てこないからな」

「うわ、サイテー。見返り狙いなんだ」


 先輩たち同士の会話だと、いつもの憎まれ口に戻っている。

 おばさんが聞いたら目を丸くするだろう。

 スイカを食べて休憩をすませると、再びわたしたちは勉強に戻った。




 夏の太陽はなかなか沈まないが、それでも陽射しが弱くなっているのに気がついた。ひぐらしが鳴いていて、夕方の気配を感じる。


「あー、もう限界。そろそろ終わりにしようよ」


 早苗先輩が両腕を上げながら仰向けに寝転がった。

 その声に時計を見るとそろそろ六時だった。集中していたせいもあるが、たしかに少し疲れていた。


「あと少しぐらい頑張れないのか」


 結城先輩は呆れたようにそう言ったが、わたしと亜子ちゃんも疲れ気味なのを見るとノートを閉じた。


「わかったよ。少し早いが終わりにしよう」


 現金なものでそれを聞くと元気を取り戻したらしい。早苗先輩が体を起こす。


「ねえ、亜子の部屋を見せてよ」


 唐突な要望に亜子ちゃんは驚いたようだが、微笑みながら首肯した。

 わたしも亜子ちゃんと早苗先輩に続いて立ち上がる。しかしわたしたちが和室を出ようとしても、結城先輩は勉強道具を片付けていてついてくる気配がない。

 それに気づいて亜子ちゃんが振り返る。


「あの、よろしかったら結城先輩もどうぞ」

「俺が行っても構わないのか? 無理しなくてもいいぞ」


 たしかにわたしや早苗先輩と違って、異性である結城先輩としては遠慮するのだろう。やはり紳士である。


「いちおう部屋は掃除してありますから、お見苦しくはないと思います」


 そう返事をしたが、やっぱり亜子ちゃんも少し恥ずかしそうだ。


「そうか。それならお邪魔させてもらうかな」


 固辞するかなとも思っていたのだが、案外あっさりと結城先輩は同行を決めた。

 亜子ちゃんを先頭に階段を上がっていると、わたしの後ろに続く先輩たちの会話が聞こえてくる。


「やっぱりに興味があるんでしょ?」

「ああ。悪い癖だとは思うんだが、どうしてもやめられない」

「わかる。禁断の実というか麻薬みたいなものだよねえ」


 ……なにか不穏な会話をしているようなのは気のせいだろうか。

 もし先輩たちが変な行動をとったら、わたしが亜子ちゃんを守らなくては。

 突発的な正義感を抱きつつ亜子ちゃんの部屋へと入った。


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