044『退院:開設』


 公安調査庁・調査第一部・特殊事案調査室――。

 いや、別に他の部署から 〝オカルト調査室〟 などと言った蔑称で呼ばれているからと言って、例のFBI捜査官の様に別にオカルトばかりを調査している訳では無い。本来は他の部署で扱いきれなかった案件や、過去に起きた未解決の事件の再調査をする部署なのだ。今回の話も亡霊部隊などの呼称で呼ばれていたために他部署が嫌がってウチに回されただけである。ただ、ちょっと過去に起きた大量失踪事件の原因が神隠しの様であったり、連続殺人事件が怨霊の話がからんだりしただけで、本来は何も好き好んでオカルトを調査している訳では無い。

 まあ表向きは、何を調査しているのか判らない諜報機関と言うのは、ただただ怪しすぎるので、外向きにはこの部署は存在していない事になっているのだが……。恐らく今回の事件でこの部署も存在が認められる事となるだろう。



 病院で目覚めすでに五日が経った――。

 経過は良好で傷口の抜糸も済み、重いギブスから簡易のコルセットに変えたところで病院を退院できることになった。

 本当は後で請求すれば入院費はいくらでももらえるのだが、味気ない病院食に飽き飽きし始めていたので丁度いい、退院させてもらう事にした。


 私は姉夫婦に頼んで持って来てもらった仕事用のスーツに着替え、荷物はナイキのボストンバックに詰めた。

 同じ階にあるナースステーションに立ち寄り挨拶をする。

 何故か陰でクスクスと笑われた……。恐らく植木が見舞いがてら若いナースに粉をかけたのだろうと推察する。

 エレベーターで一階へ降り、受付にも立ち寄ってここでも軽く挨拶をしてから横浜市立みなと赤十字病院を後にした。



 今日の日付けは五月二十日。時刻は十時すぎ。快晴である。七月十日を繰り返していたせいで少し感覚が狂っている。

 少し暑い春の日差しを浴びながら、運河沿いを中華街へ向かって歩く。途中から、港の見える丘公園へ上り公園の中をのんびり歩く。

 ――相変わらずここはカップルで一杯だ……。リア充死すべし。


 公園をマリンタワー方面へ抜けて、中華街大通りを目指す。中華街の看板の門を潜り通りを歩く。

 平日とは言えすでにお昼に近い時間なので人でごった返している。

 店先で蒸されている肉まんやゴマ油の匂いが美味しそうに辺りに漂っている。

 店内から響いて来る食器のぶつかり合う音。店外で大声で呼び込みをしている店員。通りを歩く人々の話声。私は人込みを縫う様にして足早に通りを抜けた。


 通りを抜けて横浜公園方面へ少し歩くと、小さな店構えの中華料理店が見えてきた。私の行きつけの店である。私はここの麻婆豆腐が大好きなのだ。


 店内へ入り、空いている席に着くと迷わず四川マーボー豆腐定食を注文した。

 本場四川の味。単品でならさらに辛い激辛や辛さ五倍も選べるがここの麻婆にその必要はない。普通のメニューで十分辛いのだ。

 すぐに麻婆豆腐にご飯、解き卵のスープ、漬物とデザートの杏仁豆腐が運ばれてきた。


 袖をまくり、おもむろにレンゲで麻婆を掬う――かはっ、辛い! 唐辛子の辛みが口へ広がり、花椒の香りが鼻に抜ける――だが美味い! ガツンと胃に来る肉の旨味と優しい豆腐の大豆の旨味……。


 二口目――口一杯に辛さが広がった所で、ご飯を掬って舌をリセット。

 本来であれば、少し甘めの白酒を注文してグビリとやりながら食べるのが正解なのだが、今は医者に酒を止められているので飲むわけにはいかない――残念だ。水を飲む。


 三口目――舌がびりびりと痺れ、毛穴が開き全身から汗が吹き出し始める。ご飯とスープを頂く。


 四口目、もうこの辺りになると止まらない。後はハフハフと夢中になって食べるだけ……。

 私は一心不乱になってこの麻婆豆腐をかき込み続けた。



 さて、これからどうしよう……。おしぼりで汗を拭く。

 実は自宅は両親と姉夫婦が同居していて住む場所がない。しかも、私が八島技研で眠っている間に都内で借りていたの官舎の退去期限を過ぎてしまい、荷物が全て自宅に送られて、空き部屋も無い状態なのだ――それに加え、退職金は来月の振り込みで報奨金と慰謝料は半年以上待たないといけない……本当にどうしよう。


 食後のコーヒーを頼む。デザートの杏仁豆腐をちまちま掬いつつ待つ。


「ん?」その時、スマートフォンが鳴り出した。ポケットから取り出す。

 ――誰だ? 見たことも無い番号だが……。


「はい、もしもし……」

「……」

 ――おや、無言だ。間違い電話か?「あの~、もしもーし」


「……これで良いのか?……むう、こっちか……」

「おーい、もーし、もーし」

「おお! 繋がっておるぞ! ここで話せばよいのか?」

 ――む、この声はマヒトか! 何故この番号を知っている?


「浅見殿か、妾(わらわ)じゃ」

 ――うん、すでに分かっている。どうやら無事だったようだ。でも名前はちゃんと言えよ。

「マヒトか、何の用だ」

「うむ、妾じゃ。とやらを貰ったのでな、掛けてみたのじゃ」

「そっか、無事そうで何よりだ」――本当は殺しても死なない相手なので、そこまでは心配してなかったが……。


「うむ、ところで浅見殿は、暇なのか」

「どう言う事だ?」

「ほれあの女子……小泉とか言うておった女子から聞いたのじゃが、そなたは今暇をしておると……」

 ――やっぱりあいつの仕業か! 個人情報保護はどうなった!


「少し男手が欲しいのじゃ、手伝ってはくれんか」

「あー、まあ、良いけど、どう言う事だよ、事情を説明しろよ」

「実は、今妾は、へい……あ、いや、これは内緒じゃった……。さるやんごとなきお方から社を一つ賜っての、その準備に追われて居るのじゃ」

「……」――おい! 今、お前、陛下って言おうとしなかったか? それに社ってそんなにポンポンもらえる物なのか?

「どうじゃ、手伝うてくれぬか」

「うん、良いけど……」

「そうか、じゃったら…………」


 ――どうやら、これでしばらくは住む所を確保できそうだ。この間に、住居と仕事を見つける事にするとしよう。



 そして、これが全ての始まりとなった――泡嶋神社横『浅見探偵事務所』の……。




 ※場所的には東京都あきる野市辺りを想定しています。


 ここまで、お読みくださりありがとうございます。ディープフォレスト本編は以上で終了です。後は後日譚をお楽しみください。

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