040『石堂:対決』
「いいだろう」石堂は唸る様に声を上げた。
――よし乗ってきた……。
「そうだな、先ずは晴海埠頭事件。あれは公式発表こそされなかったが、その手口が七三一部隊の手法によく似ていた。だから陰ではその犯人達の呼称を 〝亡霊部隊〟 と呼んでいる。それを、私は知っていた……」捜査にあたる警察官や、特に事情に詳しい一部のマスコミはそう呼んでいる……。
「成る程……」
「そして、私はマヒトの夢の中で七三一部隊の前身である関東軍第百部隊に出会った……」
「それで……」
「それに、先程、鈴木セイラもまだ報告してないはずのマヒトの名前と能力を知ってたろ、記録にあったって、そこの眼鏡の学者さんが……」
「ああ……」石堂が呆れたように溜息を付く。
「だから持ってるんだろ、あんた達が……焼却処分されたと言われている七三一部隊の内部資料を……」
戦後GHQによって押収された七三一部隊の関係資料は約十万点。同じく人体実験をやっていたドイツのアウシュビッツも同じくその資料の大半は終戦間際に焼却処分されたが、それでも、押収された資料は二百万点以上に上る。これは明らかにその資料が少なすぎるのである。いや、押収された資料のほとんどは関東軍上層部への報告書と関係者の手記で、内部資料は未だほとんど見つかっていないのである。これは誰かによって戦後隠蔽された事を示している。失われたはずの内部資料。何故か時折、国立公文書館で突然発見されたり、元関係者からの告発で発見されている謎の多い代物だ。
――本当はもっと確信的な事もあるのだがそれは言わない方が良いだろう……。それにしても、おかしい。そろそろ非常ボタンを押して、十五分のはずだが、誰も来る気配もない……。
「……だから、当然当時の詳しい解剖マニュアルも持っている。そうでなければ七三一部隊に関連する犯罪が同時期に二つも起るとは考えにくい。だったら晴海埠頭事件と犯人が同一犯だと言う事になる」
「成程な、どうやら君は相当に想像力が逞しいらしい。だが、それらは何一つ証拠にはならないな」小馬鹿にするような口調で石堂が言い捨てる。
「でも、どうだろうな、この話、警察に事情説明したら何か出て来るんじゃないのか? 警察側も晴海埠頭事件は大掛かりな組織犯罪の線で捜査を進めている。だから、取引しよう。三人を解放する代りに、この話は秘密にしておく」――まずいな……。
「話にならんな」石堂は吐き捨てた。
「何?」――やはり乗ってこないか……。
「それは、ここで貴様の口を封じれば済む事だ。それに、なあ、浅見よ……お前、今、焦ってるだろ」
「な……」
「時間稼ぎをしてるつもりだろうが、表情に出てるぞ。どうやって外に連絡を付けたのかは知れんが、残念だったな。ここは今、国の重要施設に認定されてるんだ」
「何だと……」
「だから、たとえ警察でも、ここには特別の許可が無ければ踏み込めない」そう言って石堂はニヤリと微笑んだ。
――そんな話は聞いていない! いや、私が眠っている間にそうなったのか……。しかし、こいつらは私の想像以上に大きな組織なのかもしれない。だとすると……。
どうする? セイラは動けない。マヒトの力では扉の前の眼鏡の学者にも勝てないだろう。アマヌシャは地下五階で足止めだ……。これはやるしかないか……。
私は小さな声でマヒトに言った。
「マヒト、お前だけでも隙を見て逃げ出せ、地上にまで出たらなるべく多くの人に助けを求めるんだ」
「何を言うておるのじゃ。戦うのなら妾も一緒に戦うぞ」
「ダメだ、お前は逃げろ、いいな」
「いやじゃ、承服しかねる」
「だったら後ろに下がってろ、いいな」
私はマヒトの少女の様な小さな体を後ろに押しやり、前に出た。
「もういいのか」今度は石堂が余裕の笑みを浮かべる。そして肩と首をぐるりと回した。
――どうする? 本当に助けは来ないのか? 時間稼ぎは意味ないのか? 戦いを回避する方法は? もっと時間稼ぎする方法は? 思考が加速する……。
石堂はこちらを見据えながら近づき始めた。
――くそ! どうやら戦うしか無い様だ! やってやる! 俺がこいつを食い止める! こいつさえどうにかできれば次の手が打てる。
私は強く拳を握りしめた。
「さあ、掛かって来い、浅見」
丁度三メートル手前で止まり、石堂は挑発するように手招きした。
――首が太く、僧帽筋が発達している。これは何かの格闘技をやっている身体だ。組みつかれたらお終いだろう。
私は低い姿勢から一直線に跳び込み顔面に向けて右の拳を振るった。
石堂はそれを上体を後ろにそらしスウェーバックで躱す。
今度は石堂が打ち下ろし気味に、右の拳を振って来る。私は右足で床を蹴り左に跳んで、それを躱した。
――今こいつはどこを狙ってきた? 顎より少し下? ボクシングにしては何かがおかしい……。
さらに、追いかけてきてその丸太のような足で中段蹴り! 私はもう一度床を蹴り後ろに跳び退く。さらにもう一歩後ろに跳んで距離を取る。
――まただ、空手の中段蹴りより前傾で体重を乗せている……。
私は大きく踏み込み右足でローキックを放った。石堂は左足の膝を立てふくらはぎ横でそれを受ける。
そのまま石堂は右の拳を振ってきた。それを私は両手のガードで受け止めた。いや、受け止めきれず体が後ろにずらされた。
――くそ、何てパワーだ! 体重を乗せてやがる! 腕が折れるかと思った。こんな物一発でも食らえばただでは済まない……一発でも? 一撃必殺……。
成程、最小の手数で相手を無力化する格闘術 〝マーシャルアーツ(軍隊格闘)〟 か!
私は再度後ろに跳び退き距離を取った。
――まずいな……。
マーシャルアーツの特徴はその対応力の広さにある。パンチ・キックは勿論のこと投げ技、組技、関節技、果ては道具の使用も見据えた技まで教える。それに加えてこいつは……。――やけに手馴れてやがる!
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