014『酒蔵:質問』
十吾さんの打ってくれるお蕎麦は限りなく十割に近い田舎蕎麦である。恐らく鯖節の出汁にみりんに溜まり醤油で出来たやや甘めのおつゆで頂く。隠し味は鳥脂。薬味はネギで、ワラビのお浸しにゼンマイの素揚げ、シナチクも付いている。
本来田舎蕎麦はぼそぼそとした食感になりがちなのだが、この蕎麦は引きが余程細かいのか、僅かに混ぜる小麦粉の所為なのかのど越しも大変良い。
――合掌、大変美味しく頂きました……。
ここで十吾さんに明日料理しようと思っていると無理を言って菜種油を少し分けて貰った。海苔の佃煮か何かが入っていたようなブリキの蓋つき小瓶に入れて分けてくれた。丁度小瓶も探そうと思っていたのでラッキーだ。
それからもう一度村を見に行きたいと断って合羽を借り外へ出た。今度はダムとは逆に坂を下り、急いで例の造り酒屋へと向かった。
今日は静かに戸を叩く。
「何の用なら」桧垣さんが出てきた。一日経って記憶がリセットされている……。
「あの私、セイラと言う人を探してまして……」
桧垣さんは辺りを素早く見まわし、中に招き入れてくれた。
「そこでちょっと待っとりんさい」
戸口の前で待つことしばし……。セイラが現れた。
二人で応接室へ移動する。
「それで、マヒト様には会えたの」セイラが突然質問して来る。
――ああそうか、昨日は会いたいという旨だけ伝えて帰ったんだった……。「いや、直接会いに行っても村人に追い返されるのが落ちだから夜に忍び込むつもりなんだ」
「忍び込む……大胆ね、大丈夫なの」
「ああ、まあ、裏の崖を降りれば何とかなりそうだ」
「え……そう……」
何だか思いっきり呆れられている。
「それで、今日はもう少しマヒト様について聞いてみたいんだが、いいか」今度は私がセイラに質問してみる。
「ええ、でも私達が知ってる事なんてほとんどないわ。いいえ、むしろ彼女については何も調べられなかったと言った方が良いわね」
「どう言う事だ?」
「この検体No.M26ミナは、九州の奥の沢という地名の工事現場で発見されたのだけど、そこに村やダムがあった記録は一切無いのよ……勿論マヒト様についても同様。何を調べてもその存在が無いの……」
「なに、どうして……」
「わからない、私達もその事について彼女に質問したかったのだけど、あんな事になってしまって聞けずじまい……でも、当初の私達の推測では、夢自体が良い様に脚色されているのでないかと考えていたわ」
「脚色……願望と言う事か」――成る程、確かににそれはあるかもしれない……だが……。
「ええ、夢と言うのはある程度本人の希望が混ざるのが普通なの、例えばあのアマヌシャの様に有り得ないものが出て来る……。でも、この夢はずいぶんと異質なの、逆にリアルに過ぎると言うか……地形や生態があまりに正確に矛盾なく作られ過ぎている……」
「なあ、もし仮にこの夢の方が正しいとしたらどうなんだ」
「有り得ないわよそんな事。人の記憶には限りがあるもの。それに、この村の記録にしても、いくら軍が係わっているとはいえそこまで情報を隠蔽する必要あるのかしら……重要施設でもあるまいし……」
――重要施設か……。確かに第二次世界大戦中は軍事施設や造船所は緘口令が敷かれ地図から消されてたそうだが……。何かこの場所を隠す必要があったのだろうか?
「そうか、それなら仕方ない」出来れば会う前にマヒト様のひととなりなど知りたかったが……。
「ところであなた八島技研の警備室の所属と言ってたわよね」セイラが聞いてきた。
「ああ、採用が決まったばかりで、施設案内されてたところだったけどな」
「うん、そう、やっぱり私その石堂と言う人物には心当たりがないわ。そもそもB棟地下区画は重要機密がいっぱいで出入りが制限されてるもの、普段警備員が入ってくるところではないわよ。私が眠っている間に何かあったのかしら……」
「さあな、人手は全然足りて無いと聞いてたけどな。なあ、ところでシグナスのルート権限って外から奪えるのか」
「怖い事言わないで……奪う事は基本的にできないわよ、私の組んだ疑似人格AIが監視してるから、でも……危機管理権限を使えば一時的に停止する事は可能だけど……だけど、そんな事をする理由は無いでしょ」
「そうだな……」――まあ、あるとすれば、セイラを生かしたままここへ留めたい人物と言う事になるが……。どうやら、夢の中だけでなく外でもいろいろ起こっているのかもしれない……やれやれだ。
どうやらさっさとここを片付けて、出て行った方が良い様だ。……どうせ救出は望み薄だしな。
「なあセイラ、あんたはこの酒蔵の一番北の蔵の中を見たことあるか」
「いいえ、桧垣が近づくなと言って見せてくれないわよ……よく知ってるわね」
「それなら頼みたい事がある」
「なに、でも私はここから出れないわよ……」
「ああ、明日までに桧垣さんに知られずにこの酒蔵の一番北の蔵の内部を調べてほしいが、可能か?」
「ええ、これから彼は夕食とお風呂の用意をするから、鍵を持ち出せば可能だけど、何かあるの?」
――少しは手伝えと言いたいが、今は好都合である。「何があるかはわからないが、マヒト様と交渉する材料になるかもしれないから見て置いてくれ」
「わかったわ……」
「明日の昼過ぎにまた来るよ。その時に結果を教えてくれ」
と言って応接室を後にする前に、以前から目を付けていた伝票の整理に使われている麻ひもを少し貰いポケットに入れた。
「それ、何に使う気」セイラが聞いて来る。
「雨具とランプを作るんだ」
「……」
また呆れられた……。
それから食事の支度をしていた桧垣さんを見つけ、外に置いてあった薄水色の四合瓶(720ml)の空き瓶を二本譲ってもらった。
「それじゃ、また明日来るから、くれぐれも夜に外に出ないように気を付けろよ」そう言いながら合羽を着こむ。
「え? どうして……」
「夜になるとあのアマヌシャが村の中をさまよってるんだ」
「ひぃ!」
嘘は言っていないと思う……多分。
そう忠告だけしておいて、私は酒蔵を後にし宿へと戻って行った。
……そして、彼女の待っている救出は恐らく来ないだろう……。
私が記憶している八島技研の地下三階の五つのベットには、五人の人間がすでに並んでいた……。
一番右がミナとして、二番目がセイラ、三番目が彼女の助手の米沢、四番目、五番目は既に救出に入った人物だと想像できる。
彼らがどうなったかは良くは知らない、だが灰色のワイシャツに白衣の米沢だけは知っている。
彼とは目が合ったのだ……墓所の中で……。
だから私は自力でマヒト様に会って、どうしても目覚めてもらわなくてはいけないのだ。どうせ助けは来ないと知っている。
私は石橋を渡り、宿へ向けて坂を小走りで駆け上がった。
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