第75話

「システムメニュー?」

「現実をゲームにしてしまう世界改変プログラム……」

「現実をゲームに……世界改変プログラム……」

「なんて説明出来たら格好良いと思うが、俺が個人的にそう思ってるだけで、正直なところ良く分からないんだよ」

「……分からないのかい!」

 良い突込みだぞ紫村。いつものワンテンポおいたリズムの悪い余裕を持った突込みとは大違いだ……だが。


「分からないさ! お前は風邪薬の各成分の薬効を全て理解して服用するのか?」

 開き直るしかないだろう……おっと、そんな事を話している内に、周辺マップ内に文字化け野郎のおかわりが来たみたいだ。

 うん、このペースで現れると言うことは、紫村と香籐にもレベルアップして貰わないと、その内に数で押し込まれることになるかもしれないない。やはり二人のパーティー加入は正解だったな。


「悪いけど説明は後だ。次のお客さんが来たから、今回も隠れて見ていてくれ」

「僕も戦った方が良いんじゃないのかい?」

「まだレベル一じゃ、危なくて戦いには出せない。これから暫くパワーレベリングするから、レベルがある程度になるまでは大人しく見学して、連中の弱点とか攻略法を見つけてくれ」


 【所持アイテム】から鈴中のオーブンレンジを取り出して地面に転がす。俺はこの異世界で鈴中の荷物を証拠隠滅のために全て廃棄していくつもりだ。不法投棄? そんな法律もマナーも異世界にはない。郷に入っては郷に従うのが日本人の心なんだ。

「ちょっと待ってください。先ほども電子ジャーを出していましたが、何処からそんなものを?」

「その辺の草でも引き抜いて、収納と念じてみろ」

「収納ですか?」

「良いから黙ってやってみろ。やってみなければ分からん!」

 周辺マップ上では、やはり文字化け状態になっているお化け水晶球が向かってくる方向を見据えたまま指示する。

「はい…………しゅ、収納! …………き……消えました。凄いです。本当に……」

「はしゃぐのは後にしろ、そして『システムメニュー』と念じろ。すると目の前にゲームのメニュー画面のようなのが現れるから【所持アイテム】ってところを意識を集中して『開け』と念じろ。そうすれば物品リストが表示される。その中には今収納したばかりの草だけがあるから、自分の手を意識しながら『取り出す』と念じれば手の中に現れるからやってみろ」

「はい……システムメニュ……所持アイテム…………取り出し……出来た!」


 何も口に出さなくても良いんだけどな、つうか人前でやったら変な人扱いされるから止めておいた方が良い……といつか忠告してあげようと思う。

「他にも便利な機能が幾つかある。特にマップ機能は使いこなせるようになっておけ」」

「はい! わかりました」

 俺はお化け水晶の方へと向き直る。肉眼では確認出来ないが、マップ上では木々を回避しながらも最短でこちらに向かってくる。その速度は……先ほどの個体よりも速いな。

 

「香籐に成功おめでとうの思いを込めて、今必殺の証拠隠滅第2弾。オーブンレンジドライブシュートっ!」

 木々の間から姿を現したお化け水晶球に叫ぶと、振り抜いた右足が加熱蒸気式オーブンレンジのフレームをひしゃげさせる。変形したオーブンレンジはドライブ回転どころか、むしろベクトル方向を回転軸とするジャイロ回転をしながら二体目のお化け水晶球目掛けて突き進んで行く……全米を沸かせた魔球ジャイロボールをオーブンレンジで繰り出すとは流石は俺!


 オーブンレンジは空気の抵抗を受けながら本来の軌道を滑るように外れていくとお化け水晶球の中心点を外し左斜め上へとヒットする。

 しかし電子ジャーの六倍の質量を持つオーブンレンジは、電子ジャーの速度を下回りつつも四倍のエネルギーを水晶球に叩きつけた。

 バランスを崩して回転を始めたお化け水晶球に接近戦を仕掛ける。このまま遠距離からの飛び道具で決着をつけては情報が手に入らない。この後、こいつが大量に現れる可能性もある。ならば今の内に出来る限りの情報を手に入れるべきだ。


 地面を蹴って十五メートルほどの距離を駆ける。

 一歩目、お化け水晶球は軋む様な音を立てながら変形を始める……そうきたか。

 二歩目、上下の円盤の側面にある電極間で放電を始める、なるほど自らの変形による圧力で電気を作り出しているのか……しかも全身を覆う様な、放電現象が己を守る鎧と言うわけだが、電気相手で殴り合いは厄介だな。

 三歩目、つんと鼻を突くオゾン臭を嗅ぎながら、変形して現れた鎌のような腕を飛び越えて避けながら……鈴中の部屋に侵入した時にも使った革の作業用手袋を装備する。


 そして自分の間合いに入った俺は【装備品】から、手錠の付いた鎖が支柱の脚に取り付けられた、如何わしい変態仕様の鈴中のパイプベッドを、お化け水晶球へと向けて装備した。


 『????綣障?渇綣障を倒しました』『紫村 啓はレベルが八上がりました』『香籐 千早はレベルが八上がりました』


「我ながら無茶したな……」

 お化け水晶球は内部に顕現したパイプベッドの体積により発生した圧力で、爆発的に砕けると同時に高圧の電流をぶちまけ、パイプベッドに繋がれた鎖を通して地面へと流れ、周囲にはコピー機から臭うような独特のオゾン臭が、コピー機なんてレベルじゃなく強く鼻腔の奥を突き刺し、思わず鼻を押さえて飛び退いた。


 パイプベッドは付着した綿埃や、一部の塗料が燃えあがったために、今でも煙が燻っている。空中に居た自分の身体に電気が流れないのは分かっていたが手袋をしていなかったら、流石に火傷くらいはしただろう。

 上から降ってくる破片が身体に当たる度にバチッ! と電気が走る……痛いというか不愉快だ。



「主将。レベルアップしたとの事ですが、確かに身体が楽になったような気がするんですけど、どのような変化があったのでしょう?」

 考え込みながら空を仰ぐような仕草をしながら、ちらりと香籐の頭上を確認してから「試しに、その場で全力で跳び上がってみろ」と口にする……鎮まれ、鎮まるんだ俺の表情筋。真顔をキープしろ。決して嬉しそうな表情を作るな。


「跳ぶんですか?」

「どれほど力が上がったのか確認するために全力でな」

「分かりました」

 膝を屈めて力を反動をつけると、次の瞬間縮められていたバネがストッパーを外されたかのように勢い伸び上がりながら「あっ!」と驚きの声を残すと、香籐は上に張り出した葉の茂った枝の中に突っ込んで行った。


「三メートル以上ってところか」

 突っ込んだ枝にしがみ付く香籐の足と地面の距離をざっと確認する。

「酷い……」

 上から何か聞こえた気がするが、気のせいに決まっている。


「跳躍力は三倍から四倍ってところかな?」

 他人事なので紫村は冷静に分析している。


「多分、もう少し高さを出せると思うんだけど、全力を出さなかったみたいだな」

 残念ではあるが、それで香籐を責めるほど人でなしではない……と思う。

「何もせずに、それほどの力を見ていただけで身につけるなんて、どう言ったらのかちょっと言葉に困るよ……」


「とりあえずは、このまま見学を続けてレベルを二十くらいまでは上げてもらう。あのお化け水晶球は、経験値も多いからレベル上げには良いだろう」

 二十体も倒せばレベル二十は軽く超えるだろうし、二十体程度なら今のペースならすぐだろう。下手をすればレベル三十や四十までは楽に上がるかもしれない。


「負んぶに抱っこで申し訳ないけど頼むよ」

「その代わりに、レベル二十を超えたら紫村達にも戦ってもらう。それまでに自分達で奴らを倒す方法を考えてみて欲しい……香籐! いい加減降りて来い」

「……高い所が苦手なんです」

 そういえば、こいつも俺と同じく高所恐怖症の気があったな。


「良いから手を離して降りろ。自分でジャンプした高さから降りて怪我するはず無いだろう」

「……その考えって素敵ですね」

「素敵じゃなくていいから降りろ」

「はい…………うわっ……おおっ!」

 悲痛な表情で覚悟を決めて枝から手を離すも、落下の恐怖に顔を歪めて小さく悲鳴を漏らすも、着地の衝撃の小ささに驚きつつ、安堵の表情を浮かべる。実に忙しい表情の変化で面白かった。


「そうだ。システムメニューから【精神】を選択してみろ。そこに表示される精神面のパラメーターもレベルアップで勇敢で心優しい正義の味方風に成長するようになっている。実際、お前達はもう既にかなりの良い人になってしまってる。これ以上、そうなりたくないなら、一度上の階層に戻ってから【精神】に対して【レベルアップ時の数値変動】を固定と設定した方が良い。とくに紫村は性的嗜好もノーマルに傾いていると思うぞ」

「なっ! ……システムメニュー! 精神! レベルアップ時の数値変動! 固定! 固定! 固定!!」

 これ程までに冷静さを失った紫村を見たのは初めてであり、多分最後なのかもしれないと思うとニヤニヤが止まらない。


「酷い! 酷すぎるよ! どうして早く教えてくれなかったんだい? この僕をノーマルにして君はどうする気なんだい!」

 設定し終えた紫村は、涙目で掴み掛からんばかりの勢いで怒っている。自分のアイデンティティーに関わる問題だから当然だが、悪かったとは全く思わない。


「お前をノーマルにしてどうする気かって? 決まってるだろ。お前を生涯の友にする。人として尊敬もしよう」

「えっ……生涯を共にするだなんて」

「黙れ倒錯中学生! 俺は真面目な話をしてるんだ! むしろお前がノーマルになるなら俺は諸手を挙げて歓迎する。むしろ手遅れになるまで黙っていなかった事が惜しまれる。香籐まで巻き込まないで済むなら、俺はずっと黙っていたぞ」

「何ていう同性愛者差別。君の恐ろしさを初めて垣間見た気がするよ」

 そう言いつつもにこやかに笑っていやがる。


「お前は俺達に自分の同性愛が受け入れられていない様に、お前は異性愛について気持ち悪いとすら思ってるだろう?」

「おや? 気づいていたんだ?」

「気付くさ。要するに性癖なんてモノに理由はない。あるのは好きか嫌いかだけだ。俺が同性愛に嫌悪があるように、お前には異性愛に対して嫌悪がある。差別も糞も無い、所詮は鏡合わせの関係なだけだ」

「その通りだよ。男女の恋愛関係なんて僕には嫌悪の対象だよ。僕をホモだゲイだと罵る時、自分達も僕から気持ち悪いなノーマルだよと思われている事を理解してくれてるなら良いんだよ」

 ……分かってる奴は少ないだろう。無条件で相手を見下せるほど自分が正しいと考えるのが人間だ。


「だが、そこまで分かってるなら俺に迫るな! お前の性癖を押し付けるなよ。俺はノーマルな自分が大好きで愛してるんだ」

「……でもね高城君。愛っていうのは相手の性癖には関係なく、自分の性癖を基準にして生まれるものじゃないかな?」

「愛と性癖を一緒にするな。性癖と関係のない愛だってこの世には存在する!」

「そういう説もあるよね」

 あるよねじゃねえ!



「話が通じねえ! ……この件に関しては俺も通った道だ。レベルアップしてから何か自分が自分じゃないような言動を取ることに気付いた。そして確認すると自分の精神パラメータが、まるで良い人のようになっていることに気付いた」

「ちょっと待って。確かに高城君が先月の半ば位から様子が変わったようには感じていたけど、良い人風には変わった様子は無くて、むしろ……大島先生に似てきたと思ってたよ」

 改めてそう言われると仕方が無いとも思うが、やはり嫌だ。


「わざとそうしてきたからな。自分が望まない形で良い人になりかけているから、俺は意識的に自分にとっての悪人像である大島ならどうするかを考えて行動してきた」

「しゅ、主将。大島先生を真似るなんて人類全体に対する裏切り行為ともとれますよ」

 香藤君。君は本当に大島に対して毒があるね……その毒を大事に育てるんだよ。それが君の大島に対する武器になるんだから。


「そうだよ。もう大島先生の真似なんてするからこんな酷いことが出来るんだ、元の高城君に戻って欲しい」

「まあ、それなんだが、おかげで良い人に傾いていたはずのパラメータが、元に戻って……行き過ぎてしまったようなんだ。それで止めようと思っても中々元には戻せないんだ……」

 人間、己を高めるのに時間は掛かっても、堕落していくのは速く、そして止めるのが難しい。

 実際、ここ暫くは【レベルアップ時の数値変動】の固定をオフにしているにも関わらず、大島化を食い止めるので精一杯だ……何せレベルアップの機会が少なすぎる。


「でも、そういう事なら、ぼくも自分の性癖を開放すれば元に戻れると言うことだね」

「解放するな、しまっとけ馬鹿野郎!」

 嬉しそうに話す紫村を一喝する。

 その被害者はどう考えても俺じゃないか、現実世界に戻ってから恋人である倉田先輩に開放してろ。


「……それからな【精神】から【心理的耐性】を選択して、必要なパラメーターの【レベルアップ時の数値変動】の固定をオフにしておけ。特に香籐は高所への恐怖を改善しないと、これからやっていけないぞ」

 主に空中移動とか空中戦闘とか……多分、今話しても拒絶されるから言わない。

「確かに、これはいざという時にパニックに陥らずに済むから心強いね。でも恐怖への耐性が強すぎて、感じるべき恐怖を無視するようになるのは問題じゃないのかい?」

「耐性が強くなっても恐怖は常に感じる。恐怖に耐えられるように心が強くなるだけだ……そうだ紫村。ノーマルになる恐怖への耐性が無いか調べてみろよ」

「そんなのはごめんだよ!」

「そこを曲げて何とか……」

 紫村がノーマルになってくれるなら頭を下げる値打ちがある。

「無理だよ」

 一桁同士の掛け算の答えを口にするかのように何の迷いも無かった。俺はこれからも紫村がホモで無ければと思い悩むことになるのだろう。


「主将。僕は設定を変えずにこのままでレベルアップして行こうと思います」

「おい、それは──」

「子供っぽいと思われるかもしれませんが、僕は正義の味方になりたかったんです。誰かを助ける事の出来る強くて優しい人間になりたい。ずっとそう思ってました。だから心からそんな風になれるなら、僕は──」

「『誰か』って誰の事だ? どうせ何の枠も無いぼんやりとした対象だろう。そんな無謀な夢は捨てておけ」

 この子は、厨二病に罹患しなかったせいで、こんな病をまだ患っているのか……良い奴過ぎる。


「何故ですか!」

「……人としての分を超えるからだろ」

「人としての分……ですか?」

「ああ、俺は自分にとって大切と思える相手、家族や親戚。お前達空手部の仲間、少ないけど友人。まあ知人も無関係じゃないなら見捨てるような真似も気分悪いしな……そして何より北條先生が困っていたら手助けをする。必要なら戦いもするし、場合によっては命だって懸ける覚悟もある。もしお前にとって大切な人を助けるために力を貸すと言うのも有るだろう。だがそこまでだ。そこから先は神の領域だろ……神に人を救う気が有るかは知らないけどな」

「しかし、それでは──」

「まあ待て、『六次の隔たり』という言葉を聞いたことはあるか?」


「いいえ、ありません」

「難しそうな言葉を使っているけど、単に知り合いの知り合いを六人介せば、世界中の誰とでもつながっているいう仮説で、ちなみに人口三億人を超えるアメリカでは知り合いの知り合いを四人介すと国民全員が知り合いになるそうだ」

 この前は詳しくは分からなったがちゃんと調べてた。


「何が言いたいんですか?」

「まだ分からないのか? それとも納得したくないだけか?」

「線引きをしないで『誰か』を助けたいと思うのは世界中の人間を救うと妄想するのと同じだって事で、出来もしないことを口にするなって事ですよね」

「勝手に拗ねるな。出来もしない事を口にするくらいなら良い。出来もしない事を実行しようとすれば、自分だけでなく周囲、それどころか助けようとした相手にも迷惑をかける事になる。自分の手の届く範囲を理解して、その範囲内で出来る事をすれば良いとは思わないか?」

「それでは自分が手が伸ばせる範囲の一歩先にいる人は救えないじゃないですか、そんな線引きはしたくありません」

 この頑なな態度に違和感を覚える……そうか、分かったぞ。香籐は既にレベルアップによる【精神】のパラメータの変化により、大きな影響を受けてしまっているのだろう。元々精神的に、正義の味方の資質が高かったために、レベルアップにより一線を越えてしまったのだ。


 これは拗らせてしまった厨二病よりも厄介な状態だ。何せ自分の厨二病も始末出来ていない俺に何が出来るだろう?

 紫村といい正義の味方といい。どうしてこんな面倒なことに?

 多分、最初は紫村だけをパーティーに加入させて、レベルアップしてホモを卒業させてから、レベルアップによる【精神】パラメーターの変化の恐ろしさを香籐に理解させて、予め【レベルアップ時の数値変動】を固定にするように導けば良かったのだろうが、香籐の正義の味方病までは見抜けなかった。

 紫村に目で助けてとサインを送る。

「……僕に言われても、この手の病気は一生かけてじっくりと治すか、人生観を変えるような衝撃的な体験をさせるショック療法しかないよ」

「……一週間ほど大島の家に居候させるなんてどうだ?」

「香籐君も、これまで一年以上も大島先生との付き合いがあるわけだから、どうかな?」

「じゃあ、紫村が犯っちゃうとか?」

「彼個人の事は好ましい人物と思っているし、後輩として大事にも思っているけど、そういう対象じゃないんだ──」

「何を勝手に僕の事で物騒な話をしてるんですか!」

「それだけ君の考えが危険って事ですよ」

 怒る香籐に紫村は冷笑を浴びせながら答える。


「正義の味方を気取りたいのは分かりますが、香籐君は正義を為すためにどれほどの覚悟があるんですか?」

「覚悟はあります!」

「法を犯して犯罪者となってもですか?」

「何故犯罪者なんかに? 僕がなりたいのは正義の味方ですよ」

 厳格なる法に対して、正義っていうのは何の基準も無く言ったもの勝ちだから価値観だから、二つを横に並べて論じれば、結局は社会の論理と個人の感情論の衝突になって破綻しかないのだよ。


「法の中で正義を為す。それも不可能ではないですよ。でもそれこそが高城君の言うところであり、また君の嫌う線引きではないのかな?」

「それは……」

「良いかい、高城君は己の正義を貫くためには法を超越して行動を起こすよ。実際に起こしてるしね」

「おっ、おい!」

 何を言ってくれちゃってるの?


「別に大して面識があるわけでもない可哀想な女性のために法を無視しても行動を起こす。まるでダークヒーローだよ。厨二病も大概にするべきだと思うんだけどね」

「お前は共犯者だろ!」

「……従犯じゃないかな? 警察に捕まったら、君に脅迫されたとでも弁明しておくよ」

「警察に捕まったらな……お次が来たみたいだ」

 周辺マップにはお化け水晶球を表すシンボルが二つ現れていた。



 もしもこいつらが、広い範囲に均等に配置されていて、尚且つ、各個体がネットワークのようなもので繋がっていて、ある範囲内に存在する個体が一斉に、この場所に向かって移動しているとするしよう。その時、お化け水晶球が一時間に移動できる距離をRとして、一時間以内にこの場所に到達して戦闘状態になるお化け水晶球の数、すなわちこの場を中心とする半径Rの円の内側にいるお化け水晶球の数がAとした場合に、最初の一時間に戦うことになるお化け水晶球の数はAとなる。


 この場を動かない限り、次の一時間で襲ってくるお化け水晶球の数は3Aとなり、更に次の一時間では5Aとなる。その後の一時間ごとに戦う数は7A、9A、11Aと増えていく訳だ。

 もしAを十とするなら、十二時間後には一時間に二百三十体と戦うことになる。

 一分間に四体近くかだ。忙しすぎて押し切られるか? いや、押し切られるのはレベルアップによる戦力の上昇を計算に入れていないからだ。


 オーガよりも経験値の多いお化け水晶を十二時間、つまり千四百四十体倒したならば、紫村と香籐はレベル五十程度にはなるだろう……多分。

 レベルアップに必要な経験値は良く分からない。実際俺と二号とでは同じレベルでのレベルアップに必要な経験値は三割くらい二号の方が多く必要だったりすることがあれば、俺と同じ程度だった場合もある。


 更に言えば、俺自身のレベルアップに必要な経験値の数も先が読めない。全体的に見るとレベルが上がるほど次のレベルアップに必要な経験値は増える傾向にあるが、時折、少ない経験値でレベルアップすることもある。何らかの理由があるとは思うのだが、その法則性や必要経験値が少なくなるトリガが何なのかはまだ分からない。


 ともかく千四百四十体ものお化け水晶を倒せば俺もレベル六十には十分に届くだろう。

 そうなれば簡単に押し込まれるる事は無いはずだ。

 しかし限界は別の理由で来る。

 レベルアップで強化された身体能力を使い続けるためには莫大なカロリーを必要とする。

 長期戦になれば【所持アイテム】内のカロリーメイト系のブロック食品も食べるゼリーも使い切るには二十四時間もかからないだろう。

 この問題を回避するためには、お化け水晶球との戦闘を避ける必要がある。そして食料と休息を得るための時間を得る必要がある。


 俺が習得している魔術の中で、戦闘を回避するのに役立ちそうなのが、【迷彩】【無明】【闇纏】【結界】だが、それを使って連中をやり過ごせるか確認したい。


 だが広い範囲に均等に配置されていて、尚且つ、各個体がネットワークのようなもので繋がれていて、一斉にこの場所に向かって移動しているとする前提が正しいのならば、確認するならまだ数が少ない今の内しかなかった。


「ちょっと試したいことがある」

「何をするのかな?」

 紫村には余裕があるな。


「先ほどのレベルアップの時に【魔術】って奴を覚えたとアナウンスがあっただろう? 水属性の【水球】、土属性の【飛礫】、火属性の【火口】、風属性の【拡声】に心当たりが無いか? もしかしたら光属性や闇属性の魔術なんかも憶えたかもな」

「……確かにそんなのを憶えたってアナウンスがあったよ」

「それを使って奴らをやり過ごせないものか確認してみる」

「確かに、有益な情報を探るなら、今の内に済ませておくべきだよ……僕の予想が正しいならね」

「やはり気付いたか」

「確認しておきたいのだけど、最初の一体と、その後の二体目、そして今こちらに向かっている三体目と四体目だけど、二体目以降は同じ速さでこちらに向かっているようだけど、一体目だけは速度が違った。それも速いのではなく遅かったんじゃないかな?」

「……確かにその通りだ」

「間違いないよ。彼らは各個体が得た情報を群れ全体で共有しているね。そして最初の一体は何らかの方法で僕らの存在に気付き警戒しながら接近してきたが攻撃を受けて破壊されてしまった。そのために二体目以降は、更に警戒レベルを上げ最大速度でこちらに向かっていた。もしも群れの中に全体を統率する個体が存在すれば、このまま撃退し続けて彼らの被害が増えた場合。一旦攻撃は止めてこの近くのポイントに集合地点を設定して、戦力を集中させてから一気に攻めてくる可能性があるよ」


 そいつは拙いな。俺が想像していた状況より遥かにヤバイ! 本当に数の暴力で押し込まれてしまう……それにしてもレベル差を超越した紫村の知力は恐ろしいものがある。

 それともレベルアップで得られる知力は、所詮は回転速度と記憶力の向上というハード方面の強化に過ぎず、個人が積み上げた経験と成長の中で獲得した思考方法というソフトウェア面での強化は為されてはいないということか……何にせよ、基本的に俺の頭出来は紫村には劣るということだ。それは前から分かっていたから別に悔しくなんてないやい!



「集合するとしたら、そのポイントは、ここからどのくらいの距離だと思う?」

「距離は一キロメートル程度離れたポイント。でもこちらを包囲するように複数のポイントに集合すると思う……僕なら間違いなくそうするよ」

「逆に考えれば、連中に包囲させてから囲みを破って逃げれば、その先には奴らは居ないと言う事だよな」

「そういうこと……でも、そのためには集合の進捗状況を確認する事が必要だよ」

「それは任せておけ……とりあえず、接近中の奴等は悠長に戦い方を探ってる暇は無いから速攻で叩き潰すぞ」

「頼むよ。高城君」

 紫村に肯いてみせると、香藤を振り返る。


「香籐は【精神】の【レベルアップ時の数値変動】を固定にしておけ。まずは冷静になった状態で自分の心の変化と向かい合え。それが自分にとって有益だと判断出来たら改めて設定を変更しろ。今のまま冷静に考える事無く決断して良い事ではない。多分レベルアップに任せて心を変えれば、お前は葛藤無く自分の正義を貫けるようになるだろうが、葛藤なき正義なんてものは小学生までにしておけ! 迷い苦しみ、悩んで、のたうち回りながら考えて出したものこそが本当のお前の正義だ!」

「えぇぇぇぇぇぇぇっ! ……結局戦隊ものレベルのはなしですか?」

 仕方が無いだろう。俺は正義なんて言葉はそもそも嫌いなんだよ。正義馬鹿のお前に分かるようにそれっぽい事を並べただけで……死ぬほど恥ずかしいわ!


「ともかく、お前が設定を変更しないならシステムメニューは取り上げる。分かったか?」

「……分かりました」

「納得していないようだが、適当に返事して設定を変更してなかったら、大島の可愛がりが生温く感じられるような目に遭わせてやるからな!」

「具体的にはどんな事をするんだい?」

「殴る! ボッコボコに殴る! そして【魔術】で治療する。それからまた殴り治療する。香籐が『もう二度と正義なんて馬鹿な事は口にしません! ダークヒーロー最高!』と泣きながら絶叫するまで繰り返してやる!」

「今、完全に魂が納得しました!」

 俺の心を尽くした説得が香籐に通じたようで良かった。

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