第40話

 櫛木田達三人は部室の外に出て、誰も部室に近寄らないように警戒してくれている。

「聞かせてもらえるかい?」

「俺は自分に恥じ入るところは何も無いが、既に犯罪に手を染めている。それでも聞くか?」

 紫村の目をじっと見つめる。彼も俺の視線を受けて逸らさず見つめ返して「必要なら共犯者にもなるよ」と言った。


 畜生。本当に紫村は俺の欲しいと思う言葉を返してくれる。

「全ては話せない。でも話す事に嘘だけは無い。それでも良いか?」

「いまはそれで良いよ。何時か君の方から話したいと思わせてみせるよ」

 ゾクっとするような色気があった……これはノンケでも転びかねない威力が十分にある。俺は恐怖に震えながら、改めて気を付けようと思った。


 システムメニュー関係の事は秘密にして、矛盾の無いように話をする。

「火曜日の夜の十時四十分くらいに、鈴中のアパートの部屋から一人の女性が出てきた。

 それは俺でも知っている去年の卒業した先輩だ。その後ベランダ伝いに四階まで登って、奴の部屋のベランダに入り、開いていた窓から中に侵入した。

 奴の部屋の中には人の居る気配が無かったので、奴のパソコンを立ち上げて中を確認した。そして【最近使ったファイル】の中の画像データを開こうとしたら消されていたが、【ゴミ箱】の中に残されていた」

「迂闊だね」

「まあな、それでそのファイルを元に戻して確認したんだが……レイプ画像って奴だった。しかもアパートの前で見た先輩のな」

「レイプ?」

 紫村は端正な顔を歪ませて強い嫌悪感を示す……つまりお前は無理やりするとかはしないんだな。信じるよ俺。


「ああ、部屋に女子生徒を招いて、そのままレイプ。その様子を撮影して……下種のやりそうな事だ」

「酷いね」

「奴のパソコンの中には他に十二名の被害者の画像や動画があった」

「そんなに? なんて事だ……」

「その中には俺の知る限り同級生、下級生を含めて二人の在校生も居た」

 俺も全ての女子生徒の顔を憶えている訳ではないので他にも居るかもしれない。


「……高城君。鈴中は生きているのかい?」

「何故そんな事を聞く?」

「僕なら奴を生かしてはおかないからだよ。被害者の事を考えると警察に任せるよりそうした方が良い」

 怖いな。俺よりも殺すと言う判断がずっと早く迷いが無い。


「鈴中は死んでいる」

「君が?」

 鈴中の死に驚く様子も無く質問をかぶせてくる。

「いや俺じゃない。奴が残したデーターの類を回収するために家捜しをしたらトイレで跪いて便座に抱きつくような形で頭から血を流して死んでいた」

「つまり、その先輩がやったと言う事で間違い無いのかい?」

「トイレの壁に飛び散った血痕はまだ乾ききっていなかった事と、彼女の画像や動画ファイルの入ったフォルダを消去しようとしてあった事から、名探偵が登場するような難解なミステリーのどんでん返しでも無い限り間違いないだろう。ちなみに大島からの情報では彼女は八時少し前から鈴中の部屋に居たらしい」

「それで鈴中の死体はまだ部屋に──」

「既に始末した。奴の死体が見つかる事は無い。部屋の中の家具も血痕も指紋も全て始末したから単なる失踪としか警察も扱わないだろう」

「どうやって?」

「それはノーコメントだ。被害者の名前も言えない。これは俺が墓まで持っていく気だ」

「……分かった聞かないよ。でもまだこの件の真相に関しては聞かせてもらってないよ」

「言うほど大した事じゃないぞ……俺は最初、鈴中が北條先生にセクハラまがいで迫った挙句に振られて逆恨みしたと思っていた。だけど奴の立場と影響力で、教師からも生徒からも北條先生を孤立させるのは無理だと気付いた。そこで大島に校長・教頭・各学年主任クラスの古株で鈴中とつるんでそうな奴は居ないか聞いて出て来たのが教頭の中島だった」

「随分と大島先生に借りを作ったようだけど大丈夫なのかい?」

 紫村も空手部部員として大島の恐ろしさは身をもって知っているので、流石に心配になったようだ。


「まあ、大島には土曜日の件で大いに貸しを作ったから大丈夫だろう」

「何をさせられたんだい?」

「マフィアの粛清劇みたいなものだった」

「随分、穏やかじゃないね」

「要するに鬼剋流のある支部が本部の意向に逆らい設け主義に走って幹部が私服を肥やしたので、幹部・指導員を中学生にボッコボコにさせて、二度と格闘技界に関わる事が出来ないような恥をかかせた上で破門にしたって訳だ」

「君が鬼剋流の幹部や指導員を?」

 呆気にとられる紫村。こいつにこんな顔をさせられるのは大島くらいなものだと思っていたが、俺もついにある意味では大島レベルになったか……冗談としてもキツイな。


「奴らは鬼剋流と呼ぶには問題があるくらい弱いから粛清されたんだ。指導員達は技や身体能力だけなら俺達以上だが戦えば弱かった。何せルール無用の状態でいきなりタックルを仕掛けておいて長髪だったんだ。反射的に掴んで引きちぎったのは仕方ないよな」

「……それは仕方ないね」

 引きちぎった事ではなく、相手の間抜けさに呆れているみたいだ。空手部で一番見た目に気を配る伊達男である紫村でさえ髪は短いのだから当然だろう。


「幹部にいたっては腕がさび付いたと言うレベルの問題じゃなかった。うちの二年生でも相手にもならない。大島に腹を斬れと言われても仕方ないと思ったよ」

 俺達にとって鬼剋流とは大島や早乙女さんのような恐ろしく強い奴らの集団と言うイメージなのだから、俺の話に紫村が言葉をなくしてもしかたの無い事だ。


「そんな面倒な事に付き合わされたのに、大島の貸しは職員室で見聞きした事をリークしただけだ。どちらの貸しが大きいかは一目瞭然だろう」

「そうだね。そうだけど、常識が通用しないのが大島先生だからそれは忘れない方が良いよ」

 敢えて俺が意識しないようにしていた事を……


「まあ、それはともかく、鈴中のパソコンを調べて教頭とのメールのやり取りを調べて分かったのが、教頭が鈴中が起こした犯罪をネタに脅迫して、北條先生への嫌がらせに協力させていたって事で、教頭が何故そんな事をしたかはまだ分かっていない」

「脅迫って……それでは教頭は、鈴中のやってた事を見逃したと言うのかい?」

「メールを読む限りはそうとしか思えないな」

「そして、そんな事をした理由はまだ分からないと……」

「……そうだ」

「分かったよ。僕の方で教頭に関して情報を集めてみるよ」

「何か当てがあるのか?」

「それはノーコメントで……大丈夫。君の足を引っ張るような真似はしないよ」

 そう言いながら悪戯っぽく笑う。そんなさりげない表情すら様になる。恐ろしい男だよ。一年生辺りがやられなければ良いのだが……無理かもしれないね。



 今日も楽しい部活の時間。

 大島が俺を見る眼が険しい。昼休みの事を根に持っているのかもしれない。自分は盗み聞きしておいて盗人猛々しいとはこの事だ。


 一年生達は日々体力、そして精神面で大きな成長を続けている。

 最初の頃の様に体力が限界に来ても目が死なない。彼らは強くなっている。

 次なる段階に耐え得るように……大島の訓練計画は完璧だ。力をつけて壁を一つ乗り越えれば、更に新しい壁を高くして用意する。

 彼らが大島が認めるだけの十分な体力と精神力を身につけたなら、その体力と精神力を限界まで振り絞らなければならない実践的練習が待っている。

 俺達は運動用の回し車を走るネズミの様に延々と走り続けなければならないのだ。


 ランニングのペース、距離がともに増えたにも関わらず新居が最後まで走り切る。彼はたった二週間目のランニングメニューに適応したのだ。

「人間やれば出来るものですね」

 へとへと疲れ果て、地面に座り込みながらも何処か誇らし気な彼に、君は何かをやり遂げたのではない。地獄へ門を開いたに過ぎないんだよとは言えなかった。

 言ったら面白いかな? なんて事は考えてない。大島じゃないんだから……いや本当に。


「高城君」

 部活を終えて、校門を出ると背後から紫村が声を掛けてきた。

「教頭について調べてみたんだけど、五年前に離婚して今は一人暮らしをしているみたいだよ」

「随分と仕事が速いな」

「これくらいは、すぐに分かる事だよ。もう少し詳しく調べてみるけど……今晩君は動くのかい?」

「そのつもりだ」

「それなら、もう少し詳しく調べてメールで君の携帯に送るから、アドレスを教えてくれないかな?」

「……わかった」

 紫村に携帯のアドレスを教えるにはためらいがあったが仕方が無い。だが、西村先輩にメールした件もあるので、出来るだけ早く番号引継ぎ無しで新しい携帯にしたいものだが、高校に入学したらスマホに乗り換える予定なので、それまでは無理だな。


「それでは高城君が出かける十時までに分かった事をまとめてメールしておくよ」

「頼む。期待している」

「君にそう言われたら頑張りたくなるよ」

 あーあー聞こえない聞こえないったら聞こえない。そんな流し目で艶っぽく言われたら、俺には何も聞こえなくなるんだからな!



 家に帰り着くと、着替えてマルと散歩に出かける。

「やはり尾行がついているか……」

 散歩道までの狭い生活道路をゆっくりと歩いていると背後二十メートルくらいの距離を維持しながら誰かが付けて来る。

 誰かと言っても俺とマルの散歩のペースについてこられる段階で、人類の九割九分は脱落するので、間違いなく鬼剋流の関係者で大島の犬だ。


 俺の呟きに尻尾を振りながら前を歩いているマルが振り返ったので、それに乗じて「どうしたマル?」と言いながら足を止めて後ろを振り返ってみた。

 尾行者は三十絡みの中肉中背の男。これと言って特徴の無い容姿で、周囲に溶け込み尾行や張り込みをするのにもってこいな逸材だろう。


 そのまま、しゃがみこんで「何か気になるのか?」などと言いながらマルの頭や顎の下を撫でていると、男は俺を追い抜かずに俺のすぐ後ろの丁字路を曲がって行く……だが曲がった先で足を止め身を隠してこちらの様子を伺っているのが分かる。

 システムメニュー的には一度、五メートル以内に入った尾行者は既にエンカウント済みであり、広域マップでも個体識別されているので表示可能だ。ついでに奴のシンボルを赤表示に設定すると再び散歩を始める。

 尾行者は俺の歩く道の一本向こう側の平行の道を走って移動している。その必死さに思わず笑みが浮かぶ。何故ならその先は一見通り抜けられそうで行き止まりだからだ……予定外に俺が足を止めた事で尾行者は自爆したのだ。


 足を速めて先に進む。尾行者が行き止まりに気付いて引き返すと、すぐに周辺マップから外れたので広域マップに切り替える。

 広域マップの中をかなりの勢いで移動する尾行者のシンボルだが、俺とマルは川沿いの散歩道にたどり着いて走り始めると、その距離は一気に広がった。


 尾行も振り切ったので、教頭の家を見張っている陣容に変化は無いか確認しようと思ったが広域マップの中の教頭宅の傍に思いがけない人物を発見する……言うまでもなく大島である。

「尾行者だ……」

 尾行者は俺に振り切られて連絡を入れたのだろう。それで大島が来てしまった。


「まいったな」

 先日と同じく、セーブとロードを駆使すれば大島を出し抜く事は可能だろう。だが相手は大島だ。大島に同じ手は通用しないと言うのは俺達にとって常識となって魂に刻み付けられている。

 直接対峙して何度も出し抜かれれば大島は不審に思うだろう。そしてその秘密を探ろうとするはずだ。

 まさかシステムメニューと言う存在にまでは奴の動物的本能による推理──あてずっぽう──も届かないと思うが、奴にはあらゆる意味で常識が通用しない事は嫌というほど思い知らされている。その不気味さが俺に二の足を踏ませる。


 嫌な予感は当たる。

 それは単に成功と失敗では失敗時の印象の方が強いため頭の中に強く残り、偏った経験則になってしまうだけだ。

 所詮予感とは範囲が限定された未来の可能性であり、予感にある状況が発生しない確率の方が遥かに高い。


 また、やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したいという台詞があるが、それはやらなければ自動失敗で、やっても成功する望みが無いという場合使われる場合が多い。そりゃ僅かでも可能性があるならやってみた方が良いだろう。だがやって失敗した時の損害が、やらずに自動失敗した時の損害より遥かに大きければ話が変わる。

 やった場合とやらなかった場合に、それぞれもたらされると想像出来る幸福量と不幸量。それに予想される成功確率を掛け合わせて出た結果が判断の基準……つまり一言でまとめるなら、俺は何もせずに家に帰った。



 家へ帰る途中。散歩道に置かれたベンチに疲れ果てて座り込む尾行者を見つけたので、奴の前を通るときに財布と携帯を収納した。財布の中には東海エージェンシー 須長という名刺を見つけた。そして携帯の通話やメールの履歴を確認してから、少し離れた場所でそれぞれ別の方行の草むらに投げ込んだのは、他人の後をつけ回す職業的ストーカーへの被害者からの制裁であって、大島に連絡されたのが悔しかったからではない……マル。それは「取って来い」じゃ無いから拾いに行かなくて良いよ。

 そして「何で?」って顔をするマルも可愛かった。



 家に戻り晩御飯を食べ終わると、予定通りにマルのブラッシングを始める。

 気持ち良さそうに目を細めながら、ブラッシングして欲しい場所を俺に差し出そうと床の上で転がる。興奮してハァハァと息を荒げながらも時折きゅ~んと鼻を鳴らす愛らしさ。これは厳ついと言っても良い見た目のマルが見せるから感じるもので最初から可愛らしさ満点の小型犬には出せない愛らしさだ……とマルに癒されつつ、この後の教頭宅への侵入に付いて考える。


 紫村の情報通りに一人暮らしなら侵入時や侵入後の対応が断然楽になる。

 侵入時に俺の身元が分かるような証拠を残さなければ、物を取るわけでも、危害を加えるのが目的では無いので、彼一人の証言では警察も動けないだろう。脅迫はするつもりだが俺が突きつける脅迫のネタについて奴が自分で警察に証言出来るわけも無いのだから。

 だが最悪の場合は奴の口を永遠に封じる必要がある。その為にも大島を完全に出し抜かなければならない。



 十一時五十分。鈴中のアパートに侵入した時とおなじ身支度を済ませる紫村からのメールを待っていると、マナーモードにしてある携帯が振動しメールの着信を知らせた。

『遅れてすまない。調べる事の出来た教頭の情報を送る。中島 聡史(なかじま さとし) 1959年生まれ55歳──』

 その辺はスクロールさせて飛ばす。

『2006年11月 離婚。2009年9月 長男、高大(こうだい)死亡(自殺)。2010年4月 教頭として赴任──』

 三年前に赴任なのか、意外にうちの学校にいる期間は短いな。いや北條先生が教師になってうちの学校に来たのも三年前だろ偶然だろうか? 離婚に長男の自殺か……まあ、その辺は今回の件に関係ないだろう。


 それにしても北條先生を中傷する噂が出回り始めたのは二年前で、そのかなり前から鈴中が北條先生にしつこく付き纏っていたという話があり、その前に鈴中の犯罪を見破り脅迫して手下にするための時間を考えるとかなりタイトなスケジュールになる。


 全くの偶然という可能性も無いでもないが、最初から北條先生をターゲットにして行動していたと考えた方が良さそうだ。

 もしかすると鈴中の事も赴任前に調べてあり、全ての準備を整え終えてから教員採用された北條先生の赴任に合わせて自分も移動を希望した?


 いや無理だろう。余程の無茶をしない限りそんな事が出来るとは思えない。北條先生が教員採用されどの学校に赴任するのか何て、一教員に知る事が出来るだろうか? 知ったとしてもそれに合わせて自分も転任するなんて事が……もし出来たと仮定しよう。そこまでして、更に鈴中を脅迫してまでやらせたのが嫌がらせだと? しかも二年以上に渡って? そんな馬鹿な事をする奴がいるなんて想像も出来ない。つまり教頭の目的は単に北條先生に嫌がらせをする事ではなく、もっと決定的な結果を用意しているはずに違いない。


 紫村に『ありがとう参考になった。だが三年前に北條先生とうちの学校で出会った教頭が、鈴中の犯罪行為を知り、それをネタに脅して北條先生への嫌がらせをさせるまでの時間が短すぎる。教頭は三年前よりもっと先で北條先生の事を知っていた可能性を疑う』とメールした。


 家の外には先程の須長という名の興信所の所員が一人。そして大島が一人……最悪だ。

 しかもマップ機能で検索するとカメラが存在し二階の俺の部屋の窓に向けられている。多分須長が先程の尾行の後も家を見張り、俺の部屋を特定したのだろう……財布はともかく携帯は誰かにコールしてもらって回収したのだろう。草むらではなく川に投げ込んでやれば良かった。


 一応『赤外線カメラ』でも検索を掛けたが幸い反応は無かった。

 カメラは多分三脚で固定されているのだろうピクリとも向いている方向が変わらない。

「二階のトイレからでも出るか……」

 そう思って部屋のドアをそっと開けるとマルが居た。俺が起きている気配を察知してドアの前で待っていたのだろう。

 僅かに開いたドアの隙間に鼻先を押し込むと無理やり中に入ってきてしまった。

 だがこんな時のために闇属性Ⅱの【催眠】がある。その効果は『対象を眠りに落とす。文字通り眠りを催すであり対象を操ったりは出来ない。対象が興奮状態にある場合は効果が無い』であるので、喜んで軽い興奮状態にあるマルを落ち着かせなければならない。


 カーテン越しに差し込む月明かりの中で、マルの目をじっと見つめて頭から首、そして背中とゆっくりと撫で続ける事十分。やっと落ち着いてきたマルを【催眠】で眠りに落とした。

 眠っているマルを抱いて一階に下りると居間の隅に置かれたマル専用の敷物の上に寝せてから、家の敷地外からは死角になるトイレの窓を使って外に出た。

 外にさえ出てしまえばこちらのものだ。カメラの死角で大島と須長の視線が外れている場所を移動して家から離れた。

 大島め、明日になって全てが終わった事を後で知って、悔しさに泣き濡れて蟹と戯れると良い。


 急いで教頭の家に向かう。時間を掛けすぎれば動きの無い俺に痺れを切らした大島が、教頭の家の方を見に行ってみようと気まぐれを起こす可能性もある。

 既に十二時を回っていて住宅地の路上には人の姿はほとんど無い。監視カメラの類も無い。

 俺は自重することなく全力で走った。

 そして教頭の家を周辺マップの隅に確認すると同時に、地面を蹴り、次の一歩で塀の上を蹴り、更に上へと飛ぶと、三歩目で家の屋根を蹴り宙に舞った。


 目的までの距離は百メートル。最高速度、時速百キロメートルを凌駕する俺の跳躍でもまともに届く距離ではない。だが俺には飛ぶための翼の代わりに魔術があった。


 風属性Ⅱの【真空】は直径五メートルの対象範囲に真空の空間を作るという使いどころの分からない魔術の中でもトップクラスに意味不明だった。

 火を消したり射程が長ければ相手を窒息させるなどの使い方があるのだろうが、精々自分と真空空間の間が二メートル程度の距離しか取れ無いので、使い道が無いと諦めていたこいつの出番がやっと来た。


 ちなみに良くある真空の刃で相手を真っ二つというのがあるが、それは真空というものに幻想を抱き過ぎとしかいえない。

 単純に真空の状態の空間に身体が触れても、人間の皮膚は真空と通常の大気圧の差である一気圧程度で裂ける様な柔なものではない。

 以前観た科学番組では人体の皮膚は真空空間にも耐える機能を持つ最小限の宇宙服のようなものだと言っていた。つまり人間は真空空間に放り出されても眼球は飛び出さないし、血が沸騰するとかいう話もあるが、空気ボンベを使っての十メートルの深度から減圧を無視して一気に浮上するのと同じような潜水病の様な症状を起こすだろうが、短時間で致命的症状を起こすような深刻なレベルにはならない。

 つまり真空により直接的に命を奪うのは窒息以外ない。


 だがそれゆえに悔しい。魔法なんだからもっと融通を利かせろよ! 【真空】も派手にズバーンのチュドーンでいいだろ? 何故それが出来ない? 使えないぞ馬鹿野郎が……【水球】シリーズのパワーアップバージョン楽しみに待ってます。


 自分の進行方向に次々と【真空】を発動する、問題は目的地の教頭宅にたどり着くのが早いか、俺の魔力が尽きるのが早いかだ。

 虚空に浮かぶ真空の道を飛ぶ俺は、空気抵抗を受けないために弾道曲線ではなく重力の影響だけを受けた綺麗な放物線を完成させるだろう。

 呼吸が出来ないのが玉に瑕だが、この浮遊感が最高に爽快だ。


 だが教頭宅まで五十メートルを切ってもまだ俺の身体は放物線の頂点に達してはいなかった。

 このままでは目標を飛び越える事になるので、慌てて【真空】の使用をやめると、空気の抵抗が突然身体に襲い掛かり身体の姿勢が崩れるが、身体の上昇は終わり下降に入る。だが、まだ飛距離が出過ぎている。


 それも想定の範囲内だった。俺は両手に五キログラムの鉄アレイを装備する。運動エネルギーゼロの状態で出現した二つの物体がの物体が俺の身体を減速させる。ついでに両手が後ろに引っ張られるために崩れた体勢も回復できた。

 ちなみに鉄アレイを使ったのは、異世界で使っていたような岩は現実世界の町には転がっていないからだ。


 収納し装備し直す度に身体は減速し高度も下がり、最終的には装備して出現した鉄アレイを持つ両手を前に振る事で完全に前へと進む力を打ち消し、最後に収納した鉄アレイを装備して真下に引き下げる事で、落下するエネルギーも打ち消し、ほとんど音を立てることなく教頭宅の狭い庭に着地した……国際宇宙ステーションのスタッフが見たら発狂するだろう。


 実際のところ、鉄アレイと収納が無くても、身体の姿勢を制御するのは可能だ。空気の支えすらない宇宙空間でも物体はその重心を動かすこと以外の動きは出来るのだ。

 腕を回せば反動で身体が逆回転を始める様に、何かを支えにする事が出来ず、外から力を得られないので全体としての運動エネルギーの量はゼロであり、重心を動かす事は出来ないがそれ以外の運動は可能なのである。



 周辺マップで見張りの人間の動きを確認する。四人ともこちらに視線を向ける様子も無いことから、庭に侵入した事には気付いていないようだ。

 教頭宅の様子を伺うと中に居るのは教頭一人のみ。家の窓からは光は漏れておらず、教頭が1階の西側の部屋で動かずにじっとしている事から既に就寝していると判断する。


 居間の窓に近寄ると【闇手】を使って鍵を鍵を開けると、ゆっくりと窓を開け中に入り閉める。

 教頭が寝ていると思われる部屋に向かう。周辺マップの中の教頭は先程から全く動いていない。

 部屋の前にたどり着く、ドアの向こうは八畳の正方形の部屋だ。

 ドアを開いて中に入ると周辺マップで正確な位置を調べて【結界】を使用する。直径五メートルの範囲を外部への光・振動・臭いの伝達を絶つのでこれで教頭が幾ら暴れても外には一切伝わらないが、範囲が八畳間よりも広いので外に【結界】の黒い壁が外にまではみ出ると拙いので、【結界】の中心点を部屋の中心点の下の地面の中に設定する。


 念を入れて既に寝ている教頭に【催眠】を使用し、更に深い眠りに落としてから両腕を後ろ手に縛り両足も拘束してベッドの上に転がした。

 しかし、今日はかつて無いほど魔術を連発しているが、後どれ位使えるのだろう? 正直なところ疲労感とか倦怠感は無い。

 自覚症状がでるほど【魔力】を消耗していないなら良いのだが、もしも消耗の具合が自覚症状に現れないなら面倒だな。

 久しぶりに【良くある質問】をチェックする。

 『【魔力】の消耗状態の確認法は?』:魔力の消耗が大きい場合は視界の左下に警告表示が黄色で表示されます。また更に消耗が深刻な状態になると赤色で点滅します。その場合は魔術の使用を控えてください。またこの表示はあくまでも目安でありプレイヤーの精神状態によっては、警告が黄色表示の状態でも魔術の使用が危険な場合。または赤色表示の場合でも問題なく使用できる場合があります……なんかいい加減だな。俺のテンションで【魔力】の容量が一時的に上がったり下がったりするって事か。だが何も表示されていないからOKとしておこう。


 【無明】を使って教頭の視界を塞ぐと鼻を摘む。

「うぅぅっぅうっ……!」

 息苦しさにもがき始めた。

「何だ眼が……腕が……」

「大人しくしろ」

 普段よりオクターブ下げ、押し殺した野太い声で話しかける。

「誰だ!」

「質問するのは俺だ。お前が口にしていいのは質問に対する答えだけだ」

「何を──」

 反論しようとした教頭の首を掴み締め上げる。

「お前が口にしていいのは俺の質問に対する答えだけだ。分かったか?」

 感情を込めずに、淡々と繰り返して伝える。しかしまだ暴れようとするので、締め上げる力を強めてもう一度同じ言葉を繰り返すと「分かった」と答えた。


「お前は、中島 聡史は、部下である鈴中を脅迫していたな」

「……」

 今度は沈黙か、これが奴なりの学習能力だとするなら余りにも幼稚だ。こっちは言葉遊びをしているわけじゃない。

「随分と細い首だな……何かあったらすぐに折れてしまいそうだ……どんな音が鳴ると思う?」

 脅しではあるが脅しだけとも言い切れない。最善の手ではないがこいつを殺して死体を収納し発見出来ない様にするのが次善の手だと思っているのだから。

「……み、認める。脅迫していた事を認める」

 意外にあっさりと認めた。ドラマや映画では中々認めないものだが、実際のところ暴力に対する慣れが無い人間の反応なんて、こんなものなのかも知れない。

「次の質問だ。脅迫までしてお前は鈴中に何をやらせていたんだ?」

「…………」

「まただんまりか? これは単なる確認作業でお前が何をやっていたのかは知っている。ただお前が正直に話すなら……ってだけの話だ」

「……北條を……北條 弥生を学校に居られないようにするために鈴中を利用した」

「学校に居られないようにね……随分と迂遠な話だ。そんなことをするために鈴中を泳がせていたと?」

「そんな事? お前に何が分かる! あの女は、あの女は! あの女のせいで!」

 いきなり激高してしまった。何と言うか悪の黒幕感を感じさせない小者っぷりに少しうんざりしている。

「お前の恨み言には興味なんて無い。どうせちっぽけな爺のセコイ恨みだろ。一文の価値も無い」

 俺は敢えて突き放す。冷静さを失うほど激した奴にとって最もされたくないのは肯定でも否定でもなく無関心だ。

「あの女のせいで息子は。私の息子は!」

「興味ないと言ったはずだ」

「黙って聞け! あの女が私の息子を高大をストーカーだと言って警察に通報したせいで。高大は自殺したんだ。それなのにあの女はのうのうと教師になって私の前に現れた。あの女の顔を見た私がどんな──」

「自業自得じゃねぇか馬鹿野郎!」

 聞きたい事は聞けたが、その内容の低レベルさに俺の怒りが爆発した。


「じ、自業自得だと!」

 縛り上げられているのも忘れて俺に殴りかかるつもりなのだろうが、単にベッドの上でのた打ち回るだけだった。

「お前の息子がストーカーだったのは北條 弥生の誤解だったとでも言うのか?」

 ストーカー被害では警察は中々動いてくれないのはニュースなどで良く知られている事だ。それが警告程度といえども行動に移したとなれば余程の事だ。


「それは……確かに息子はあの女に惚れて、交際を申し込んだのかもしれない。それがストーカーだなんて」

 少なくとも交際を申し込んだという事実があるなら本物だろう。そして何度もしつこく付き纏い、相手が警察に相談するレベルならストーカー以外何者でもない。

 昔は百回以上も相手に告白する男のドラマがヒットしたらしいが、今ならフェミニスト達が顔を顰め、犯罪行為を助長するとして訴えるレベルでは無いだろうか? ……まあ、そんな古いドラマは観たこと無いんだけどな。

 とにかく下らない動機だ。逆恨み以外何物でもない。


「お前が馬鹿息子の愚行を取り繕う前に、お前は自分がどれほど他人から恨まれる事をしてきたのか分かっているのか?」

「あの女が私を恨む? ふざけるな!」

「誰が北條 弥生の事を言った? お前が鈴中の犯罪を見逃してきた事だ。お前も知っているのだろう奴の犯罪行為を?」

「犯罪行為? 確かに彼は教え子との不適切な関係を──」

「不適切な関係だ? ふざけてるるのか! あれはレイプだ!」

「レイプ? 一体、何の事だ」

 こいつ知らなかったのか?

「……鈴中は教え子の少女を自宅のアパートに呼び出してレイプし、その一部始終を写真やビデオに撮り、それをネタに脅迫し口封じをして、その後の性関係の継続を強要していた」

「ば、馬鹿な……そんな……そんな」

 本当に知らなかったみたいだな。だが……

「知らなかったで済む問題じゃない。奴の被害者は確認できているだけで十三人だ」

「……じ、じゅぅさんにん。ほ、本当なのか? それは本当のことなのか?」

「息子のストーカー行為すら受け入れられないお前が信じようが信じまいが、動かしがたい事実だ……いいか被害者の中には在校生も含まれている。お前が鈴中を脅迫なんてせずに処分していれば、少なくとも彼女達まで被害者になる事は無かったんだぞ!」

「鈴中がそんな……教師として奴は何を考えて……」

「責任は教頭であり部下の教師達を管理する立場のお前にある。しかもお前は全容を知らなかったにせよ、少なくとも鈴中に問題があるのを知っていた。知っておきながら放置して、被害を拡大させたお前に他人を恨む資格があると思っているのか?」

 北條先生に対する教頭の企みは、その動機からも余りにもくだらなさ過ぎて、奴を過大評価していた自分が恥ずかしいくらいだ。

 しかし鈴中を放置した件に関してはくだらないで済まされる問題ではない。


「私は……私は……?」

「私、私とやかましい。自分を憐れんでるつもりか? 被害者達はお前の教え子だぞ。可哀想なのはお前のせいで被害にあって人生を狂わされた教え子だ。ふざけた事を考えてるんじゃあねぇっ!」

「責任……教え子、どうすれば……どうすれば良いんだ?」

「知るか自分で考えろ! 鈴中は殺された……被害者の一人にな。奴に身体を弄ばれ続けて思い悩んだ挙句の犯行だ。分かってるいるのか、お前の生徒がそこまで追い詰められていたのにお前は何してたんだ? つまらない逆恨みの復讐に酔ってたんだろうが、そのツケは必ず払ってもらうぞ」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ……私が馬鹿だった。そんな生徒の苦しみや、悲しみに気付く事も無く復讐になんて……鈴中を見逃し続けていたなんて。私さえ……私さえ馬鹿なことを考えなければ、生徒にそんな事をさせることも無かったのに! ぅああああああああああっ!!!」

 叫びながらベッドの上をのたうち回る。



「本当に鈴中は死んだのだな?」

 暫くしてから落ち着きを取り戻した教頭が問いかけてきた。

「ああ間違いない」

「今鈴中の死体は? 私が彼を殺したと言う事には出来ないのか?」

 それが教頭が考えた償いと言う奴なのだろう。だがそれをさせればこの事件は殺人事件として警察は念入りに捜査する事になる。そうなれば鈴中の被害者達にも捜査の手は及ぶだろう。


「その必要は無い。奴の死体は決して見つからないように処分した。死体も凶器も出なければ殺人事件どころか傷害事件としても警察が動く事は無い。家族からの要請で失踪人としての扱われるくらいだろうから、殺人事件の様な大々的な捜査が行われる事はありえない」

 警察のマンパワーも限られている。警察が面子にかけても犯人を捕らえようとする大事件と普通の事件の捜査では割かれるリソースの量にも大きな開きが出来るのは当然の事だ。

 ドラマの中の刑事が「事件に大小なんて無い」と幾ら叫んだところで現実は変わらない。事件に優先順位をつけて効率的にリソースを振り分けなければ警察組織の運営は成り立たないのだ。


 今回の件も殺人事件として警察が捜査をすれば、如何に俺が完璧に証拠を消したとしても聞き込みなどから、奴の部屋に出入りしていただろう被害者の少女達に警察は行き着いてしまう。

 だが、失踪事件として扱われるならば、もし捜査が行われたとしても本人の勤務・生活態度と表向きの交友関係を洗い適当な失踪理由を見つけ出して終了だろう。


「証拠も全部処分したんだな? 彼女達がこれ以上の被害を受ける事は無いんだな?」

「彼女達はこれからも受けた傷の痛みに苦しみ続けるだろう。だが彼女達がされた事が公になり、彼女達を更に傷つけるような事にはならない」

「そうか……ならば私が法で裁かれる訳にはいかないな……教師は明日にでも辞職願いを出す。途中退職で一括給付となると大した金にはならないが、それでも数百万にはなるだろう。それからに土地と家を処分すればある程度まとまった金になるはずだ。せめてそれを被害に遭った子達に渡すようにしては貰えないか?」

 面倒な話だ。だがそれで被害者が少しでも救われるなら……う~ん、どうだろう? 誰からの物とも知れない怪しげな金が、しかもまとまった額を送りつけられて喜ぶだろうか?


 事情を説明して……それも拙いし、どう嘘をついて丸め込んで金を受け取らせるか……面倒だ。本当に面倒だ。

 幾ら頭が良くなっても、能力が向上したのはハードウェアだけだ。この手の事は経験によって育てられたソフトウェアの力が必要で、中学生に過ぎない俺にはそれが不足している。


「分かった。何とかしてみよう。それであんたはどうするんだ?」

 だが俺はそう答えた。彼女達が親元から独立して一人暮らしでも始めたら渡るようにすれば良い……しかし、それは彼女達の追跡調査をして居場所を掴んでおく必要があるということだ。

 だが本当に面倒くさいのは、どうやってやはり金を受け取らせるかだ、もし失敗したら……ああ憂鬱だ。


「私には……私がした事を彼女達に会って謝罪する資格すらない……せめて事件の関係者である私が居なくなった方が彼女達のためだろう」

「ああ、あんたが自分の罪を謝罪しても、彼女達の傷を抉る事にしかならない。そっと記憶を風化させるしか方法はないだろうな」

「わかった……」

 憑物が落ちた様に教頭の声から力が抜ける。居なくなる……つまり自らの命を絶つ事を覚悟したのだろう。


 止める気にはなれない。俺の個人的感情はともかくとして、教頭の立場として本気で後悔したとしても法的に裁かれる事も出来ない。彼女達に償うにしてもどう償えば良いのかすら分からないのだから、せめて金だけでも残して命を絶つ。多分俺でもそう判断するだろう。


 教頭は息子の事で血迷って道を踏み外さなければ、真面目で責任感のある教師と評価しても言い奴だったのだろう。

 だからこそ、何の方法も示さずにただ「償いをさせてくれ」などとほざく事も出来ないのだろう。もっとも俺の前でそんな事を抜かしたら裸電球をLEDに交換してやる事になるだけだが。


「……けじめは理解出来るが、あんたが死んだところで彼女達の救いになるわけじゃないぞ」

 教頭が生きていようが死んでいようが、彼女達の人生にはもう何の影響も与えられない。

 教頭に、それが出来たのは鈴中の教師としての資質に疑問を抱いた時だけだ。そして鈴中を調査して処分を下して教職から追放していれば少しは状況が変わっていた。

 既に奴の毒牙に掛かっていた被害者達はともかく、俺の同級生や下級生は無事だっただろうし、多分上級生の一部も救われただろう。そして何より西村先輩は殺人を犯す事にはならなかったかもしれない。

 だが全ては過去の事で、今の教頭に出来る事などないだろう。


「分かっている。だが生きていたところで何も出来ない。それがつらい……苦しむ姿を見せる事も償いになるかもしれないが、それさえも出来ない。かといって何食わぬ顔で教師として彼女達に手を差し伸べるなどという恥知らずな真似も出来ない……もう何も出来ないのだよ」

 全く何も出来ない訳でもない。被害者達を見守り彼女達に何かあれば力になる。そんな生き方も残っているのかもしれないが、俺は被害者の名前を教頭に伝える気は無い。そして彼も自分が知るべきではないと思っているのだろう。


「出来るだけ早く金の用意して、そうだな……庭の桜の木の傍の石の下に埋めて置く。新聞の死亡欄で私の名前を見たら回収してくれ」

「分かった。ところで北條 弥生への復讐はもう良いのか?」

「最初から分かっていたんだ。高大が悪かったという事も、彼女だって好きで警察に通報したわけじゃない事も……頭では分かっていても、どうしても認められず。そして赴任した先で新任の教師として将来に夢や希望を抱いている彼女を見て、私の中で抑えられない感情が目覚めた。私の息子は死んだのにと……彼女には酷い事をした。高大も私も私達親子は間違っていたんだ……」

 自分に言い聞かせる彼の話を聞きながら、教頭を縛ったな紐を解いて回収すると家を出る。そして塀を超えて隣の庭に侵入した所で【結界】と【無明】を解除した。


 そして一息ついた途端。ポケットの中の携帯が振動する……心臓止まるかと思ったよ。

 また紫村からのメールだった。

『教頭の方だけでなく北條先生の方からも探りを入れてみたら二人の接点が見つかったよ。北條先生は大学時代にストーカー被害を受けていて、その犯人が教頭の息子である高大で、彼は逮捕こそ免れたが警察から厳重注意を受けた事を周囲に知られて自殺。多分その逆恨みが原因みたいだね』

 残念。少し遅かったよ。

 だが、紫村の奴はどうやってこれを調べたんだ? あいつも謎の多い男だ。だが奴にそんな事を言ったら「良い男には謎が多いものだよ」とふざけた答えをかえすだろう……その時、俺は奴を殴らない自信は無い。

 とりあえず『情報感謝する。こちらは無事に全ては終了した。詳細は明日早目に部室に来てくれ』と返信した。


 それにしても竜頭蛇尾としか言いようが無い事件だった。衝撃的な鈴中の糞ったれな本性と死という開幕の御蔭で、教頭を黒幕として巨大な悪であると見誤った自分が恥ずかしい。

 名探偵が登場する必要のある難解な謎を擁する事件なんて、早々あるもんじゃないって事だな……いや、名探偵には、是非とも大島が教師を続けていられる謎を解明してもらいたい。

 さて大島といえば、まだ俺には奴とその愉快な仲間達とのかくれんぼ兼鬼ごっこが残っている。それに勝たなければ今夜はベッドで眠れないのだ……ハードだ。

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