37 愛は無慈悲ゆえに美しく
顔見知りの死が辛いことはセスもよく知っている。
知っているからこそ、感情の整理に手を貸すつもりはなかった。本人が感情に飲まれている時に周りが何を口にしようが、それは渦巻くものに呆気なく食い潰されてしまう。
なによりカニバルブーケにこだわるロゼルの心中にはなにかが隠されている。
セスは、それを知らない。
知らないセスがロゼルの感情の整理に口を挟めるわけがなかった。
セスは黙って自分にできることをやる。
背後でロゼルが部屋を出て行く気配を感じながら、室内を物色した。
色々探り、ベッドの側にあるチェストの前にきた時。セスは飾られている写真に真っ先に目がいった。
「……………」
そこには屈託のない幸せに溢れた親子が写っていた。
「……っ…………」
すみません。と、言いかけてセスは奥歯を噛んだ。
自分が謝る必要はないとセスは言葉を飲み込む。
自分がここで謝っては、彼らの家族としての想いを否定してしまう気がした。
いや、確かに彼らは間違っている。
確かに彼らの行いは間違っていた。
カニバルブーケのために自ら進んで命を差し出すなど、してはいけない。
しかし、家族としては間違っていないとセスは思った。
親ならば、子供のために命を差し出したいと思ってしまうだろう。
逆も然り。
子供だって、親が助かるのならばなんでもしたくなる。
なんでも、したかった。
でも――――
「それは、してはいけないんです……」
セスは写真立てに手を伸ばした。
「いくら大切でも、誰かのために自分を犠牲にしては……駄目なんです。貴方達は、間違った。してはならないことをした……」
愛は無慈悲だ。
「それでも……自分は、貴方達は最高の家族だったと思います」
ゆえに美しく、尊いのだろう。
「………………」
セスはベッドに視線を流す。
凄絶な家族の名残が虚しく転がっていた。
なんとなく、写真の中の三人のほうが現実的に感じられてしまい――――室内に充満する悪夢を見せないよう、セスはそっと写真立てを伏せた。
◆ ◆ ◆
「日記……?」
それは絵本に混ざってベッド脇の小椅子に詰まれていた。
小さな鍵穴のついた茶色い本は一目で日記と判断できた。鍵を探したが見当たらず、申し訳ないと心中で一度謝罪してからセスは力技で錠をこじ開けた。
金具が歪んだ鳴き声を上げる。厚い表紙の上部が微かに折れ曲がってしまったが、中身に支障はない。
小脇に挟む杖の位置を整えてから、セスは日記を開いた。
そこには病気の娘に対しての親の悲痛な想いが綴られていた。
様々な医者を巡ったこと。様々な民間療法にも頼ったこと。日に日に弱る娘に笑顔を向けるのが辛いこと。余命宣告を受けたが、信じたくないこと。自宅で家族三人で最期まで一緒にいようと誓ったこと。それでも、やはりできるならもっとずっと一緒にいたいと願ってしまうこと。
自分の弱さに悲鳴を上げて、痛苦と焦燥感に雁字搦めになりながらも子供のためになにが出来るかと懸命にもがく強い想いが書き殴られていた。所々にある滲んだ文字は涙の跡だろう。
「……ん?」
急に余白が続いた。
雪景色じみたページを捲っていく。
その文字は唐突に現れた。
真っ白なページの真ん中に。走り書きのように。感情的に。酷く強い筆圧で。
「――――『見つけた』」
文字を読み上げた瞬間、背筋を気味の悪い感覚が這った。
なにかに急かれるようにセスは次のページを見る。
『ようやくだわ』
『願いが叶ったの』
『これであの子も元気になるわ』
『もう大丈夫よ』
『また三人で金のお茶会をしましょう』
『これで助かるわ』
『呪いの薔薇だなんてとんでもない』
『良かったわ』
『またあの子の笑顔が見られる』
『本当に良かったわ』
『ありがとう』
『ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう――――』
『あれは本当に、■■■■?』
歓喜の嵐に、ぽつりと疑問が落とされた。
「――――ッ!」
セスは日記を落としてしまった。
自ら落としたのかもしれない。
吐き気を感じ、口を手で覆う。脇に挟んでいた杖が落ちた。
「あ、……っ……」
薄い紙に吐き出される痛烈な想いに、圧倒される。
眉を寄せ、眼球が圧迫感で痛むほどに目を瞑った。手の平に当たる唇が震えている。
瞼の裏に存在する暗い世界が回る。
早急に踵を返して別の部屋に行きたくなった。
この部屋に起こった、この家族に起こった悲劇はセスには重すぎた。
「……ううっ…………」
逃げたい。
それがセスの本心だった。
ふ、と。
暗闇の世界で笑い声が響く。
黒い世界でもっと黒い影が嗤う。
黒い髪を揺らし、回る世界で少女が嗤う。
彼女が握り締める赤い薔薇がセスの記憶の中で燃えた。
「――――!」
セスは瞼を持ち上げる。
落ちた日記を拾い上げ、睨むように灰眼で中を探った。
眩暈を感じるのは身体中に這い始めた悪寒のせいかもしれない。それでも手を止めるわけにはいかなかった。
何のためにここに来たのか。
セスはカニバルブーケを喰うために来たのではない。
カニバルブーケに傷を受けた彼がカニバルブーケにならないよう、情報を集めにきたのだ。
荒れ始めた日記を読むのは焼けた針を飲むように苦しかったが、セスは内容を咀嚼した。
それがセスのやるべきことだ。
激情を孕んだ文字は読み進めていくうちに文字ではなくなっていく。
十三の大陸すべてがひとつの言語を使用しているはずなのに、まったく読めない言語が日記には綴られていた。
『また三人で金のお茶会をしようね』
ようやく読める文字に辿り着くと筆跡が変化していた。
口調からして日記を旦那が継いだらしい。
日記にはまるで懺悔でもするように、事細かな事情が記録されていた。
すべての発端は彼の妻が昨年の十三月に持ってきた赤い薔薇。
自然界に存在せず、錬金術でも作り出せない赤薔薇は魔女が絶滅したとされる現代では過去の遺物という認識だ。
世に唯一実存した赤薔薇は西都ダマスクの大きな錬金術研究所に保管されていたが、五年前に起きた大規模な研究所火災によって消失した。
早朝から外出し、夜遅くに帰ってきた妻がそんな赤薔薇のブーケを抱えていたことに旦那は大層驚いたが、彼がなにを言う前に妻は叫んだという。
『もう大丈夫よ!』と。
興奮する妻を宥めながら問えばとても良い人に出会えたと嬉々として妻は語り出した。
医者から年を越せないと聞いた妻は必死に、それこそ手当たり次第に娘と年を越す方法を探った。職種も身分も関係なく様々な人に当たり、十三月も残すこと十数日余り――娘がいつ瞼を永遠に閉じてもおかしくないという頃。
彼女は、出逢った。
魔女の力を有する赤い薔薇に。
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