06 セスとロゼル
線路に敷かれた振動を分散させる役目を担う人工鉱石に高いヒールをとられて少しふらつきつつも、真紅はセスよりもうまく着地した。窓から車外に降りてきた彼は、まだ残る頬の冷たさを感じていたセスの腕を掴んだ。
「ボクも行くわ……!」
白い息と混ざり合って吐き出されたのは衝撃的な内容。
セスの思考は頬の冷えから真紅へと移る。
「…………は?」
まばたきを三度。
「はあ!」
セスは目を見張る。
驚愕するセスに真紅は続けた。
「カニバルブーケを追うつもりなんでしょう? ボクも、一緒に行く」
「一緒にって……あんた、話を聞いてました?」
「聞いていたわ。だから行くって言っているのよ」
セスを真っ直ぐにとらえる豪然たる碧眼。
誰かに、似ている気がした。
「…………お断りします」
セスは握られている腕を捻り、相手を振り払う。
拘束とも言い難い力加減だったお陰で彼の手は呆気なく離れた。セスは踵を返し「しないで!」走り出す前に、また外套を掴まれた。
しかも、今度はすぐには離してくれない。
「……離してください」
「邪魔はしないわ。お願い。連れて行って」
「いやです……」
それでもセスは無理矢理足を前に進めた。
セスを止める気ではなく、逃がす気がないらしい相手は外套をしっかと握り締めたままセスのあとを追ってくる。
「……あんた、新聞記者ですか? それとも
「どちらも違うわ」
「……と言うか、さっきまでと雰囲気が違いません?」
「キミ、魔女なんでしょう?」
「そうです」
「ならボクも隠す必要ないかなって」
「あんたも魔女とか、言いませんよね……?」
「ボクはれっきとした人間よ。自己紹介がまだだったわね。ボクは……そうね」
すぐには名乗らず、なぜか相手は少し考える素振りをみせた。
「ロゼルと呼んで。親しい人には、そう呼ばれているの」
「……人間と、親しくなる気はありません」
「キミのお名前は?」
黒外套が引っ張られる。無視していたが何度も何度も外套を引かれては流石に鬱陶しくなり「……セスです」と名乗ってしまった。
「よろしくねセス」
「よろしくしません」
今宵は満月。
研ぎ澄まされた雲ひとつない空に滞在する薄い三日月とその内側の丸い月の光は強く、またほんのりと残った雪がそれを反射していた。
元より昼夜関係なく視覚が機能するセスはどんどん森の奥へ踏み込む。
故意に寒さに負けずに葉をつけている木々の隙間を抜い、月光を妨げてセスは歩んだ。
自分とは異なり、光源を月にしか頼れない相手が暗闇に竦み、森の鬱蒼さに困惑して隙を見せてくれないかと思ったが、ロゼルは頑なだった。
「…………」
流石に汽車から離れすぎた場所で人間であるロゼルを放るわけにもいかず、セスは溜め息とともに渋々足を止めた。
背後の気配も止まる。
セスは手の中で杖を素早く持ち直し、杖の柄先をロゼルの眼前に突き出した。
これにはロゼルも瞠目する。手からそっと外套を零した。
「……これ以上関わると、あんたも呪われるかもしれませんよ?」
セスは感情の含まれていない平坦な声で言い放った。
「人間がどうなろうと自分は構いません。呪われたいのなら、呪われれば良い。それとも――」
静かに続ける。
「魔女の呪いが気になるのなら、自分が呪ってあげましょうか?」
耳を澄ませば、人々のざわめきが仄かに闇の隙間から漂ってくる。汽車の位置は、まだどうにか分かる距離だ。それでも、夜気と冷気に包まれた夜の森はまるで世界から切り取られたかのような心細さを生むだろう。
しかも、眼前にいるのは魔女と名乗る存在。セスは本物の魔女だ。ロゼルにそれを信じてもらえていないとしても、それでも忌み嫌われる魔女を自ら名乗る変人と二人っきりで森にいることは彼には不安しか生まないはずだ。
「……喋り方、少し早くなったわね」
なのに、ロゼルは至って落ち着いた様子だった。
それは強がりではない。
「持ち手側をボクに向けたのは、この暗さで万が一にも当たってしまった時の配慮?」
一切の揺らぎを見せない碧眼とセスは向かい合う。
「呪いを好まない魔女を師と慕う者が、安易に呪いを使うものかしら?」
詠うような言葉とともに真紅は口端をつり上げた。
「さっきボクに『危ない』って気を配ってくれたわよね。汽車でも、カニバルブーケから庇ってくれた」
「……そ、れは…………」
「ボクに組み敷かれた時もやり返さなかったじゃない。逆に話しをしようとした。それって、人に危害を加える気はないってことよね?」
「……騙している、だけかも、しれませんよ?」
「騙そうとしている相手に魔女だと明かす? 名前まで教えてくれて」
押し黙ったセスの目が無意識にロゼルから逸れる。
「少なからず、キミは人間に危害を加える気はない。逆に人間から距離を取ろうとしているわ。いまだって……。ねえ、違う?」
セスが構えた杖の先に、そっと手が伸ばされた。
尖った先端ではなく、丸みを帯びた持ち手の先に相手の掌が触れる。
「心配ありがとう。セスは優しい魔女なのね」
セスが肯定する前に、安堵したようにロゼルは表情を綻ばせる。
彼の手から逃げるようにセスは杖を下ろし、大きく肩も落とした。
「…………危ないから、戻ってください」
諦めたセスは本心を吐いた。汽車で会話をした時にも思ったが、真紅は観察力に長け、頭が回る相手のようだ。
元々、セスは弁舌戦は得意ではない。むしろ苦手だ。
「魔女ブージャムの呪いでないのは確かです。だからと言って、カニバルブーケがどういったものなのかは分かりません……」
相手には嘘も脅しもきかない。
それどころか逆効果になると感じたセスは大人しく偽るのをやめた。
「自分も噂には聞いていましたが……実物は、初めて見ました……」
魔女ブージャムの呪いではない。
ならなんなのか? と問われれば、セスには答えられなかった。
魔女ブージャムは無関係であっても、他の魔女が関わっていないとは言い切れない。
「噂の通りなら…………あれは、人を食らう。人間であるあんたは、確実に危険です。得体の知れないものと、迂闊に関わるべきじゃない」
「そうね……」
「なら」
「でも、いやよ」
その静かながらも重く落とされた拒絶にセスの喉はしまった。反論が出ず、半端に息だけが洩れる。
「戻る気はないわ。ようやく見つけた手掛かりだもの」
「手、掛かり……?」
「師匠の汚名を晴らしたいキミとは理由が違うけれど、ボクもあれに用があるの。なにを言われても、戻れないわ」
戻らないではなく戻れないと、屈強な意思でロゼルは言い切った。
セスを射抜く碧眼。
誰かに似ている、澄んでいながらも気骨な眼光。
先程も感じた既視感。この瞳を、セスは知っている。
誰だったかと思案し――――総毛立った。
それは、セスの良く知る人物。
「カニバルブーケも、魔女も、実在していた。これを逃すわけにはいかないのよ」
好奇心と呼ぶにはひたむきすぎて、盲信と呼ぶには純粋すぎる。
一体なぜここまでカニバルブーケにこだわるのか分からない。
分からないが、セスは思わず後退った。
「………………」
ロゼルの青い目は、魔女ブージャムに似ているのだ。
これはなにがあっても己の意志を貫き通す者の眼。それに気が付いたセスは、別のことにも気付く。
この手の人間には関わってはならないと。
いままでの経験から、本能が警報を鳴らす。
関わると、ろくなことにならない。
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