第二話:「獣(5)」

私は、目的地へ向かう為サルガッソーの通りを歩いている。


入り口のアーチに掲げられた、光を失ったネオン看板には辛うじて、

「ガルフストリート」と書かれているのが見えた。


かつては大通りとして賑わっていたそれも、今は見る影も無く、

広い道には、ゴミやバリケードの名残、木のくべられたドラム缶などが置かれ、

道を覆っている。


周囲のガラス張りの壁には、明かりを隠す為の黒い布が掛けられていて、

その中を窺い知る事は出来ない。


その布は、サルガッソーの至る所に掛けられており、

やはりその様は、街全体が静かに死者を悼んでいる様に見える。


対象の父親は、何を考えてこんな場所に店を構えたのか。


商い屋に属していなかった。と言う事から、ある程度想像は出来るが。


その店も、もうすぐそこだ。

店はこの大通りの、私が入った入り口から三番目の路地に入った先にあるらしい。

そして、私は今まさに該当の路地を見付けた所だった。


中には袋に詰められたゴミが散乱しているが、

微かに人の通った足跡も確認出来る。


屈んでそれをよく見れば、足跡は4人分あるようだ。


足が付かない隠れ家に、護衛を連れて隠れているのだろうか。


そうなれば、これはかなり慎重な相手だ。

この先に罠が仕掛けられている可能性もある。


家族を失った男の、破れかぶれの行動だと思っていたが。

彼は、突発的に機密情報を盗んだ訳ではないのだろうか。


念の為、コートを脱ぎ、私はその中へ入って行く。



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その路地は、人が2人、やっとすれ違えるか。と言う程の広さで、

両脇を挟む建物の壁には飛び出たパイプや換気扇が設置されている。


足元にも様々なゴミや建材の様な物が落ちており、

暗視の付いていない人間では先を進むのも困難だろう。


上を見れば、サルガッソーがスラム化した後に作られたのであろう、

金属製のワイヤーで作られた即席の送電線や、それに繋がった電球などが吊るされているが、

今はそれも機能していない。


この場所は、住人の廃棄物や淀んだ空気が溜まり、酷く臭うのだろう。

心底、鼻が利かなくて良かった。と感じる。


この体になり、嗅覚を失って損をした事よりも、得をした事の方が案外多い。

仕事柄、そうなってしまっているだけなのかも知れないが。


その路地を、障害物や、ガラス片などの踏んで音の鳴る物を

避けながら、しばらく進む。


先を見れば、バリケードによって奥の道が隔てられていた。

それは対象が設置したものではなく、それよりもっと以前に作られた物だろう。


そこに近づくと、その横の壁が、人1人分ほどの大きさの長方形に窪んでおり、

中に扉が嵌っている。素材は金属の様だが、作りは粗い。


スクモの持って来た「座標」によれば、

「ディア・ダニエル」のドアノブの下には傘のマークが彫られているらしい。


しゃがみこんでノブの下を見れば、確かに三角形の天辺から中央に線を一本、

下に伸びる様に引かれている記号の様なマークが彫られているが、

私が見る限り、それは傘と言うよりも、上向きの矢印と表す方が的確に感じた。


矢印であれば、「目当ての店はここだぞ。」と

ノブを指しているマークだと考える事も出来る。


まあ、大した差ではない。

傘も矢印も、見方によればどちらも同じだ。


鍵は掛かっていないようなので、音を立てぬ様、

ゆっくりとノブを回し、ドアを少しづつ開ける。


しかし、流石粗悪品と言うべきか、軋むような音がドアを押す度に鳴る。


そうなれば、勢い良く開けてしまいたい気にもなるが、

万が一、扉にトラップのワイヤーが掛けられている事も考え、

仕方なくそれを続ける。


手が入る程の隙間が開くまでドアを開け、

そこから伸びているワイヤーを探してみるも、

そう言った類の物は見当たらない。


レーザー感知式や人感地雷、ブレインクラッシュなど

ハイテクトラップが登場した現代でも、

そうした古典的な罠は健在なので、いつも注意を怠れない。


ワイヤーが無くとも、開いた扉が引っかかる様に貼られていたり、

開けきった拍子に上から凶器が振り子の様にして向かって来る可能性もあり得る。


私自身、頭部の直撃さえなければ余程の威力でもない限り、

行動に支障は起きないのだが、

それらの作動をトリガーに対象が逃走する事があれば、非常に厄介だ。


私はドアに顔を近づけ、奥の音を聞き取ろうとする。


引っ張られるワイヤーの微かな音や、レーザー探知式の小さな駆動音を逃さぬ様、

慎重にドアを動かす。


そうして、隙間が腕が入るまで広がったら、腕を伸ばして端末を中に入れ、

暗視状態の180度カメラで室内を撮影する。


撮影した映像を見てみても、トラップは見当たらない。

非対称透過布を使っていない限り、罠は無いと考えていいだろう。


もっとも、非対称透過布はネストでも中々お目に掛かれない貴重品なので、

こんな場面で使われている可能性は極めて薄い。


罠の心配がないなら、この喧しいドアの音さえ気にすればいいだけだ。


私は、先程よりも扉を押す力を強める。



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扉の奥は、清潔であるとはお世辞にも言えない状況であったが、

長年放置されていた割には状態が保たれている。


内装はバーと呼ぶには余りにも簡素で、

コンクリートで作られた広めの部屋に、

トタンなどで作られた手作りのカウンターと、

安価なパイプ椅子やテーブルなどが並べられているだけだ。

皆一様に、由来不明の付着物で黒く汚れている。


窓などは一切無く、何かしらの倉庫を改装した場所のようにも思える。


入り口の横にあるカウンターの奥には、恐らくキッチンが続いているのだろう。

内装費を極限まで削ぎ落した店内の奥に、もう一つ扉がある。


対象が隠れているのだとしたら、隠し扉でもない限り、そこしかない。

私は対象の殺害プランを考えながら、音を立てぬ様その扉に近づく。


歩きながら、存外この依頼は早く終わりそうだ。と私は思う。


しかしその可能性は、次の瞬間に危うくなった。


突然、その扉が開かれたかと思うと、中から黒い人影が飛び出してくる。


私は咄嗟に、カウンターの方に飛び退いてそれを避ける。

その際、コートを手放してしまう。


状況の判断が出来ないが、飛び出した人物は、黒いコートを羽織っていた。

つまりそれは、その人物が殺し屋であると証明している様な物だ。


飛び出した殺し屋はそのまま地面に倒れ、動かない。


その腹部には刺し傷の様な物がある。

しかし、その周囲は何かで焼かれたかのように焦げていた。


何故殺し屋が?

契約違反だが、私以外に仕事を依頼された人物がいたのだろうか。


しかし、何故殺害されているのか。

対象であるダニエル・マグワイアが、殺し屋を殺せる程の人物であるとは思えない。


ともかく、こいつを殺した相手は、扉の奥にいるはずだ。

私は、殺し屋が倒れて来た先を見る。


私の瞳は暗視により部屋の奥まで捉えている。

その中には、二人の人物が立っていた。


いや、正確には二体。と形容した方が適切だろうか。


その顔には表情どころか、本来あるべき顔のパーツすらない。


マネキンのような肌の、頭髪の無いのっぺりとした顔の中央に、

黒い玉が埋め込まれているだけだ。


二体とも、細身のブーツと全身を覆うボディスーツの様な服装で、此方を見ている。


性別すら判断出来ない、その容姿は明らかに異様であり、

本来ならその姿に驚く所だが、私は、その姿に身に覚えがあった。


そう、それは私が、今の私になった場所。


極秘機関大元首ガイア直属の戦術部隊、

「ローンズ」にいた、他の隊員達の姿そのものだった。


「特別仕様零世代C.M.H、ディアを確認。」

二体の内の一人が、機械的なノイズの入った声でそう言う。

その呼び方をされたのは、生身の時か、あの部隊にいた時だけだ。


ディア・ダニエル。頭の中にその言葉が浮かぶ。

スクモから聞いた時から、その言葉が気になっていた。しかし、これで納得する。


あの男の名前も、ダニエルだった。


全ては、私を誘う為だったと言う訳か。


私がディア・エバンズと言う人間として生きていた頃に聞いた、

ダニエルの最期の言葉が、頭の中に響く。


体の中に、退屈でも怒りでもない、黒々とした感情が湧き立つ。

それは、全身を黒く塗りつぶす限りない殺意だ。


「命令更新。対象の破壊を遂行。」

二体が、声を揃えてそう言った。


「場末のバーで同窓会か。面白い。」

私は抑えきれない殺意を剝き出しにして、向かって来る相手にそう言う。

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