HANNAH&HAL

第一話:「デスボイス(1)」

夢を見た。翼と、子供と、炎の夢。いつも見る悪夢だ。

軍を離れて数十年経っても、戦場は俺を忘れはしない。

いつだって、本物の影の様に俺の後を付いて回る。


アレスは、ロウである俺の扱いに困っていた。

情報化不全症でも過酷なテストをクリアし軍に所属する人間は俺以外にもいたが、

俺は余りにも規格外過ぎた様らしい。

人類の春の最中、怪物を見るような目で俺を眺めていた上官の顔を思い出す。


人類の春が終わり、俺は形だけの表彰式を終え、

英雄として一通り崇められた後、軍事機関第三首極地戦術部隊から、

情報機関第六首重要テロ対策課に異動になった。


そこでの仕事は極めて単純だった。問題は昼飯を何にするか考える事だけ。


それももう40年近く前だ。

今はロウであっても、医療目的の部分換装や高度医療によって

人間の寿命は200歳を超えるらしいが、それでも、体は老いる。


後は命を消費するだけ。もう俺の人生は終わったと思っていた。

まさか、この歳で子守りの大変さを思い知ることになるとは。

始まりはそう。あの朝からだ。



-----------------------------------------------------------------------------



くそったれの朝。まだ昇り切ってすらいない朝日が顔にかかる。

そのお節介な光のおかげで目を覚ます。体が重たく、頭が痛む。


カーテンが不格好に外れた窓を睨みながら、

腰のあたりまではだけてしまっている毛布に手を伸ばすと、

思わぬ物に手が触れてしまう。

ああ、またか。と思いながら俺は足に絡みつくそれを無意識に一通り撫でた後、

横で寝る女が起きない様に体を動かし、片手で頭を押さえベッドから逃れる。


ベット横の小さなテーブルには空の酒瓶や銀紙に盛られた粉末がある。

バーで酒を飲んでいたのは覚えているが、それ以外はあまり記憶になかった。

クスリもやったのか?


女の顔も見覚えが無いので、そこらで連れて来たのだろう。

相手が商売女である可能性も考え、

ベットの下に散乱した衣服から財布を引っ張り出し、

堕落でまみれたサイドテーブルに数枚の金を無造作に投げる。


部屋も身に覚えがなかった。この女の家か、どこかの宿だろうか。

冷蔵庫を見ると瓶に入った発泡酒があるので、

俺は蓋を開けてそれを一口飲むと、冷えた瓶を頭に当てる。


炭酸が喉を通る感覚と瓶から伝わる冷気で、

鈍くなった頭が幾分か明瞭さを取り戻した気になる。


レールを外れたカーテンの隙間から差し込む様に入る日の光を全身に受けながら、

体を伸ばす。

伸ばした体の筋肉が伸縮し、そこら中の骨が子気味良く鳴る。


欠伸をしながら、両手の指を曲げ伸ばし調子を確認する。

手が浮腫んでいるような違和感があったが、あまり気にしない。


伸ばした手を見ると血が付いていた。


その手は先程頭を押さえていた手であったので、

俺はもう片方の手で頭痛の箇所を触ると、やはり若干ではあるが血が指に付く。


女と暴れている間にぶつけたのだろうか。


いい歳して怪我をするまで女と求め合うとは。

恥ずかしさを感じた訳ではないが、片手で頭をさする。

短く刈った髪の感触は癖になる。


今日は仕事があっただろうか。と財布と同時に取り出した端末を操作する。


俺が買った当時は最新機種だったこれも、今や旧式端末の代表作と位置づけられ、

むしろ古臭い感じが情緒があって良いね。とまで言われる様になってしまった。


自分は元来機械には興味が無く、

当時も、ただ連絡と通信が出来れば良いという理由で買った物だったので、

それが出来る限りは変わらず使う気でいる。


壁に投げつけても壊れない耐久性と、

無骨さを滲ませる黒いスクエア型のフォルムも密かに気に入っている。


端末の画面には、

「要相談。早朝、『バークレーのバガーバー』で。」と書かれていた。

俺は素早く下着を履き、衣服を身に着け持ち物を確認した後、

部屋を出る直前で思い直し、サイドテーブルに置いた札の一つを

自分の財布に戻すと外へと出た。



-----------------------------------------------------------------------------



外に出るやいなや、都市を覆う冷気が体を包む。

俺はボンバージャケットのファスナーを首元まで閉め、

ジーンズのポケットに手を突っ込んで辺りを見回した。


俺の寝ていた部屋と同じ構造の建物が、駐車場を囲う様に複数並んでいる。

駐車場の出入り口付近には「エクスワイア・モーテル」と書かれた、

大きなネオンサインが出番を終え静かに眠っていた。


俺が飲んでいたバーとは大分距離がある。


ロウ・タウンは出ていない様だが、どうやってここまで来たのか、と

失った記憶を復元しようと試みている時、駐車場に自分の車があるのを見付ける。


泥酔していても運転は出来たのか。駐車スペースにもしっかり収まっていた。

女が起きたら面倒なので、早速俺は車に乗り、

端末に書かれていた場所に向かうことにした。


今思えば、この時点で疑うべきだったのだ。

年を取ったからか、俺はすっかり油断していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます