第一話:「夜霧に揺蕩うケルベロス(終)」

お楽しみを終えた俺は、服を着直し路地を抜ける。


色が散乱する街並みや、

一晩の快楽がどれだけ大切なのかを客に力説する娼婦達を横目に

目的地に向かった。


「林檎屋の店」、馴染みの商い屋だ。


店に付けられた朴訥な名前とは裏腹に、そのビルの外観は嫌味な程派手だ。

性器をリンゴで隠す裸の女が、挑発的な態度で此方を誘っている広告が、

ビルに取り付けられたデジタルサイネージに写っている。


煌々と光るネオンに目が痛む。


俺は、扉の前で怠惰を貪っているガード共に顔を見せる。

そいつらが頷くのを見て、店の中へ入った。


「おお、エヴァじゃないか!さあ奥へ入ってくれ。」

入るや否や、店内に取り付けられた円形のカメラが赤い瞳でこちらを捉え、

部屋中から響くように声がする。


子供が良く、居もしない暗闇の中のモンスターを恐れ電気を付けたがる事はあるが、

例えそれにしてもにしてもこれはやり過ぎだと言う程、

店は人口の光に包まれている。

白い大理石の床が、その明るさを際立させている様だ。


「今日は誰だい?エドガーか?」

たとえ音声のみであっても、

それを発する人物の肥満度が透けて見える様な不健康な声がそう言う。


「アーネストだ、林檎屋。」

俺はそう返す。


林檎屋はネストの中で、暗殺屋以外では唯一俺の正体を知っている人間だ。

しかし、だからと言って別に固い信頼関係があるわけではない。

イソギンチャクに寄生するクマノミよろしく、

ただ互いに生きる為に上手く共存し合っているだけだ。

俺は相手の品揃えを求めているし、

相手は俺の金と、知り合いに暗殺屋がいるという貴重なカードを求めている。


「アーネスト、珍しいじゃないか。

買い物はてっきりエドガーの役割かと思っていたよ。」

林檎屋は、先程よりも少し声色を落としてそう言う。

相手が俺だと分かり、緊張している様だ。


林檎屋の様に俺の事を知る人間は、

皆俺を無差別に殺傷を繰り返す野獣の様に考えているらしい。

実際は殺したい時に殺したい相手を殺すので、決して無差別ではないのだが。

それにもっと言えば殺したい訳でもない。勝手に、相手が死ぬのだ。


「今は俺の番。エドガーはお昼寝中だ。」

実際はお前の脳裏にいるのだが。エドガーがそう言う。

俺達の中では、必要に迫られない限り、その時活躍した人格が、

その後の肉体の主導権を握る。と

言う暗黙のルールが、誰が決めた訳でもなく存在する。

今回は俺が活躍したので、今も俺が体を使っている。


「そうか、じゃあ店に来てくれ。」

そう言うと、奥の武器が並べられた棚が開き、エレベーターが出現する。


林檎屋の店は、扉を抜けて入る事の出来る全17階層中16階の店舗、

並びにその商品は全て侵入者用のブラフであり、並べられている防具や銃器には、

追跡装置付きの遠隔操作可能な爆薬が仕掛けられている。

実際に店として機能しているのは一階だけ。

林檎屋が鎮座する地下一階のみだ。

地下都市に住みながら、さらに下に潜るとは。

長年ネストを生き抜いた男だけあって、その狡猾さには目を見張るものがある。


俺はエレベーターに連れられるまま下へと進んで行き、到着した階の廊下を進む。

そこは先程の煌々と明かりの灯る豪奢な部屋などではなく、

冷たく光を反射する耐久性に優れた材質で統一された落ち着いた部屋となっている。

奥のスライドアが、俺が近づくと同時に重々しく開く。やっと店に到着だ。


「よお、今回は大物か?」

店を見渡せる位置に座り、

砂糖がけの焼き菓子を貪っている林檎屋がその手を止めそう言う。

目線を向けずとも、

その口から焼き菓子の欠片が散弾の様に飛び散っているのは容易に想像できる。


俺はその言葉を無視し、商品を品定めする。

地上の小規模組織相手とはいえ、

場合によっては勢力を一つ潰す事も可能な装備を用意しておく必要がある。

プロに必要なのは能力よりも執拗さだ。と昔同僚が言っていた言葉を思い出す。


俺が重火器の棚を見ていると、

エドガーが買い物をするなら俺に代わってくれとしつこく言ってくるので、

俺は渋々それを受け入れる。

俺達三人の中で、値札を見て物を買えるのはエドガーだけだ。


エドガーを「受け入れた」途端、

まるで魂が肉体から解離するような感覚が全身を覆う。

視界がぼやけ、そのまま思考が奥へ沈んで行く。


「さて、林檎屋。久しぶりだな。その菓子は母親の手作りかい?」

私はコートの襟を正し、微笑みながら彼にそう言う。


相変わらず林檎の様に丸々とした体に付いた小さな頭が、

待ってましたと言わんばかりにニッコリと微笑む。



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買い物を終え、林檎屋が手配してくれた車を使い、先程使用した出入り口を目指す。


欲望と喧騒が支配するマリアナも、

一度車内に入ってしまえば車窓の中の賑やかな風景に変わる。


それにしても愉快な事に、

ここには車の走行に関する法令は存在していないのにも関わらず、

ネストの車は例外こそあれ比較的規則正しく道路を走行している。


この車も含め、大半の車が自動操縦である事もその一助であるのだろうが、

人々が、存在しない規則を無意識に守っているのというのは興味深い。

人とは本質的に、誰かに法則を定められなければ生きて行けない生き物なのだろう。


この街も、ある意味ではルール無用と言うルールに縛られた場所と言える。


誰かに支配されて初めて、人は歩を進める事が出来るのだ。


私は林檎屋から貰った焼き菓子を嗜みながらナイトサファリを楽しんだ後、

エレベーターを使い地上に戻る。


地上に出てオフィス街のビルを見上げた時、

どこかの会社の黄色い円系の企業ロゴが目に入り、

不意にあのピンク髪の女の瞳を思い出す。


その記憶を掻き消すように、私は頭を振って小さく舌打ちする。

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