第一話:「夜霧に揺蕩うケルベロス(3)」

皮肉なネーミングのマリアナ動物保護グループから直通の名前もそのままマリアナ地区と呼ばれるフリンジの区域は、富裕層や地上のお偉いさんが通う歓楽街でもあるアドリア地区と、ネストに全てを奪われた物乞いや浮浪者が集うスラム街のサルガッソー地区、フリンジの中のベッドタウン、リグリア地区の丁度中間に位置する場所であり、ネスト内でもある程度名の知れた人物やその部下達しか立ち入りする事の出来ない場所である。


法の存在しない、名声や力が全てであるネストにとって、名声と言うのはその人間の存在価値と直結するほど重要な物であり、それがなければまともな日常生活すら送ることは出来ない。


そういった法則が存在するこの場所にあるマリアナ地区はフリンジの中で最も大きく、最も栄えている巨大な商業地区である。


比較的治安も良く、多種多様なサービスやマーケットにアクセスできる。


今回ここを訪れた目的もまさにそれだ。



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我々暗殺者はネストで活躍する他の稼業とは異なり、依頼人や任務の秘匿性を何よりも重んじる職業である為、ごく限られた人間にしか己の素性を明かさない暗殺屋の人間は、先程述べたように名声を命のライセンスとするネストの中では極めて異端な存在である。


当然、暗殺屋の中で高い地位にいる者であっても、寧ろそうであればあるほど周りの人間にとってはその命の価値がない存在として見做される。


しつこく言うが名声が全てのネストでは、名前の知らない人間とは即ち都合のいいカモの様な物であり、例えマリアナ地区に立ち入れる人間であろうと命の安全は確保されない。


つまり、今の私の様にマリアナに入るや否や裏路地の奥に連れ込まれ、数人の暴漢に囲まれる様な事態も面倒ではあれさほど珍しくはない。



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「申し訳ないがどいてくれないか。」私は、この状況ではほぼ確実に承認されないだろう要求を口にする。七名いる武装集団の中から笑い声が返ってくる。


「はあ?んな事言って、はいそーですかってどいてくれると思ってるわけ?優男さん。」集団の中の、単分子性の刀を担ぐ紅一点ともいうべき人物が、ガムを噛みながらショッキングピンクの髪をいじりくりそう返す。


この界隈では改造C.M.Hのおかげか性別による職業適正の差はほぼ無く、当然こういった荒事に女性が加わる事も珍しくない。


普段であれば大変結構な事だが、いざ自分が当事者になってみると多少厄介さを感じざるを得ない。


女性の不意に見せる客観的な冷静さは侮れないし、任務以外で女性に暴行するというのはやはり気が乗らない。


私は女の言葉に、良い刀だ、とスーツのポケットに手を入れそう答える。


「成程。なら建設的にいこう。要求を言ってくれよ、そうすれば私も最大限努力しよう。だが持ち合わせは無くてね。」ポケットから手を出し、素早くコートとジャケットを脱いで見せ、シャツの袖をまくると、私は手を挙げてたり大げさな身振りを交えながらそう話す。


「お前、知らないな。」私の前に立ちはだかる集団の中央に立つ一際体格の大きい男、恐らくはリーダ格であろうその人物が私の言葉を無視しそう言ってくる。


私がこの言葉の意味を把握できず、それについて質問しようとした矢先、その男が拳を突き出し殴り掛かってくるので、私は刹那で受け身を取り、男に先程ポケットから取り出した小指の爪程の大きさの機器を投げつける。


全身を揺らす衝撃に体は成す術なく吹き飛ばされ、壁に全身を打ち付ける。ダメージは軽いものの、改造C.M.Hの巨漢に力任せに殴られるのは余り愉快な体験ではない。

  

男は装置が服に張り付いた事に気付いてはいない様だ。


私は壁を背に床に崩れ落ちながら、アーネストが俺にやらせろ、と言うのを脳裏で感じる。


お前に任せると何時もやり過ぎる、ここは私に任せてくれ。と頭の声に言い聞かせる。



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しかし、これはあくまで示威的行動だと判断した私の思惑は外れ、男の一撃を皮切りに集団は一斉に襲い掛かってくる。


刃物も鈍器も投げ物も駆使した、都市のデッドスペースとも言える人気の無い空き地をふんだんに活用した数の暴力は非常に厄介で、躱すのがやっととなってしまった私は慌てて前言撤回、助けてくれ、とアーネストに脳内で語り掛けると、途端に私の意識は遠のき、思考の海に溶ける様に奥へと沈んで行く。


最中、突如俯き、だらりと脱力して動きを止めた私に敵が警戒している姿を朧気ながら捉えた後、私の声が聞こえる。


しかしその声は私の声色よりもっと低く凶暴で、私は、ああ、アーネストに関わる羽目になるとは彼らも災難だな、と思わざるを得ない。



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おい、何だ?と目の前にいる人間達の一人が仲間に囁くのが聞こえる。


知らないよ。と、聞かれた黄色い目の女が答える。


良い女だ。


俺が女を甚振って殺す時の独特な興奮と愉悦を思い出すと、口の両端が勝手に吊り上がる。その笑みに相手は一層表情に警戒の色を強める。


「誰だ?」俺は体を弛緩させ俯いたままそう問いかける。俺の問いに、暫く誰も答えようとしない。


「何がだよ。」やっと、陳腐な棘付きの棍棒を持ったひょろひょろの男が答える。ネストで銃は警戒され易い為、こういう近接武器を持ち歩く人間は多い。だが結局、他人の警戒心を気にしてるような雑魚は何を持とうと雑魚だが。


「お前か。」俺は顔を上げそのもやし男を見やると、懸垂をする時の様に両腕を前に出し、腕に備えた棘を集団に打ち出すと、同時に両の掌を縦に開き露出した手首から、前腕に隠した短刀を飛び出させその男に飛び掛かる。


数人は俺の動きに反応し避けたり反撃したりしてきたが、突然の暗器での攻撃に動揺したのか俺には当たらない。


唸り声をあげ迫る俺にもやし男は何も出来ぬまま立ち尽くし、俺の刀を鳩尾で正面から受け止める。


呻く男からそのまま腕を縦に振り下ろし、性器ごと体を切り裂く。


切り口からぼたぼたと血や臓器を吹き出し、だらしなく腸をぶら下げたもやし男はそのまま音を立てて床に崩れ落ちる。


C.M.Hと言えど、三世代目は殆ど人間と変わらない。機能も、死に様も。



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突然の俺の攻勢に相手は茫然としている様だ。


まあ、相手は俺の人格が切り替わった事も知らないのだからそれも当然か。


あの口だけ達者なエドガーと一緒にしてもらっては困る。


意表を突かれぐしゃぐしゃになった仲間の姿を見て怖気付いたのか、逃げろ。とリーダー格の熊男が言うやいなや、敵は一目散に逃走しようとする。


当然後を追うとするが、エドガーが、待て、そのまま逃がせ。などと言ってくるので、馬鹿な、と一蹴する。


敵はビビっているし、さっきの棘が刺さって傷を負った相手もいる為殺すのは容易だ。


しかし、依頼の方が先決だとか、先程殴られた際に相手にトラッキング装置を取り付けたから探すのは簡単だ、であるとか面倒な御託を並べ始めるので、勢いを削がれた俺は舌打ちを鳴らしつつもエドガーに従う。


つまらない男だ。


ヴィンセントなら嬉々として俺と殺しを楽しんでくれるのだが。同時に二人までしか意識を保てないと言うのは面倒な話だ。



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興醒めした俺が暗器をしまい立ち去ろうとすると、後ろで何かを落としたような物音が聞こえる。


俺が近寄ると、空き地の端に積まれたクレートの陰に、俺を襲った奴らの仲間の一人である、黄色い目の女が蹲り身を潜めているのを見つける。


どうやら俺が放った棘が太腿に深く突き刺さり、致命傷ではないものの逃げる事が出来なくなったらしい。


俺が目の前にいる事に気付くと、ハッと息を呑みこちらを見上げ硬直する。


お得意の刀は何処かへやったようで、空の鞘を丸めた足の前で必死に握り締めている。


蛇に睨まれた蛙とは正にこの事か。先程の威勢はどこへやら、俺に見つかり、端正な顔が絶望に染まる様子が堪らない。


脳裏で、エドガーが必死に私を立ち去らせようと説得する。


こいつは人が痛め付けられるのを見るのは好きじゃないらしい。全く、とことん俺とは趣味が合わない。


しかし時間を掛ける訳にもいかない為、仕方なく嬲り殺すのはあきらめる。


賭けだ。表ならお前の勝ち。俺は女の前にしゃがみ込みそう持ち掛けると、懐から骨董品の25セントコインを取り出す。


ヴィンセントが良くやるゲームだ。


コインを、軽く握った親指と人差し指の腹に乗せ、弾く。


この賭けの代償の重さとは酷く不釣り合いな、ピン。と言う金属音が、地下都市の孤独な空き地に響く。


裏ならお前は死ぬ。空を舞うコインを必死に眺める女を見ながら、そう呟く。

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