第一話:「夜霧に揺蕩うケルベロス(2)」

結果を言ってしまうと、私は依頼を受けた。現在は装備の補充に向かうため手近のネストに向かっている。


サロンでの先程の会話をかいつまむと、私の繊細な依頼人はベクトール家という中々に由緒正しい家柄の生まれであるらしく、それは事前に招待された客のみが立ち入れる暗殺者の要塞である私の愛しいオルカに、出生を証明するだけで簡単に入店出来る程には由緒正しいという事の様だ。


彼の名はアルと言い(実際にはもっと長ったらしい名前だったのだが私はそう呼ぶことにする。)、如何やら恋と仕事の両方に重大な差支えが発生してしまったらしい。


簡単に言えば、事業に失敗した事である悪党の怒りを買い、金銭と引き換えに恋人を拉致されてしまったようだ。


古より続いた様々な国家が解体され百余年がたった今でも、こうした古典に登場するような事件が決して目新しい物では無く存在しているという事実が、ヒトと言う物の変質の難さを表しているように思う。


それはさておき、彼が名家の人間らしい多額の依頼金と共に持ち出した依頼内容を、あまり感情を宿さぬ瞳で話していた時の事を思い出す。



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それで、私は用意された紅茶で口を湿らすと、相手にそう促す。


挨拶を済ませ、彼が暗殺の相場を知らないのを良い事にそれらしい嘘で高額な報酬金を約束せしめた後だ。どういう相談かな?と続ける。


我々暗殺者はもしもの事態を懸念し、依頼の事を相談や物語などと暈して表現することが多い。


「あ、はい。依頼ですね。」私の懸念をよそに彼は直接そう言うと、一呼吸おいて話始める。


「恋人の事で、ちょっと困ったことになりまして。彼女とは数か月前に知り合って、最近付き合うようになったんですけど、」恋人の事と言うのに彼からはそういったことに関しての感情に揺られる様子があまり見られない。


「彼女、昔の絵画なんかを見て、センチメンタルな気持ちになるのが好きらしくて。それで、何か仕事をしようと思ってた僕はそういった物を扱う画廊を開こうと思ったんですよ。それで、父に金を借りて事業を進めたんですけど。」私は、恋人の趣味に合わせて仕事を興すとは、金持ちは考えが違う。と思ったと同時に、アルのセンチメンタルな彼女はセンチメンタアル。という不意に思い浮かんだ低質な冗談を頭から消し去る。


「しかし、上手く行かなかったと。」私の問いに、彼は神妙に頷く。


「はい。ある絵画を別の業者と競った時なんですけど、僕は相手が誰かを考えずに取り合えず金に物を言わせて絵を買ったんですね。その絵は彼女の好きな絵で、店に大きく飾ろうと思って。」彼はその時の事を思い出したのか、柔らかく微笑みながら話を続ける。


なるほど、その商売敵がそれを快く思わなかったのか。と言う趣旨を話すと、今度はその商売敵を思い出したのか、その顔から笑みを消す。


「彼らはレッドホースと言う犯罪集団らしく、その絵を購入した翌日から色々な手段でその絵を自分達の物にしようとしていたんですが、とうとう恋人まで攫われてしまって。」レッドホースとは、旧イタリア系のマフィアの流れを汲む、近年その異常な過激さから名前が知られる様になった組織だ。


敵の死体をカウチにして敵の組織に送り付けたり、恐らく彼らの怒りを買ったのであろう二人をお互いに「食べさせ合う」動画を見せしめとして投稿したりなど、そのユニークさを物語るエピソードには事欠かない連中だ。


彼女を助けてください。そういう彼にはやはり危機感や焦りを感じない為、私は些か訝しむ。


罠か?とも考えるが釈然としない。取り合えずその考えは表に出さずそのまま会話を続ける。


「つまり、彼女を苦境から救い出して欲しいと。それで、そのレッドホースの人間に、何か私の方から言って欲しい事はあるかい?」私の遠巻きな言い方に勘良く気付いた彼は、そうですね、と少し考えた後、依頼に支障がなければ多少被害を与えてほしい。と伝えてきた。


「了解した。…ああ、しかし、一つ問題がある。」私の言葉に不安げに反応した彼に、私は救出作戦用の特別な装備費用が…と続ける。



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話を終え、私が出た後暫くしてから店を出る様に。と彼に伝え、紅茶の代金を支払った後、用意してもらった車で最寄りのネストへ向かい、今に至る。


ネストと言えば、良く勘違いされるが、世の中すべての犯罪者がネストにいる訳ではない。


ネストとは結果的に、法律はもちろん人権を放棄してまで己のしたい、又はせねばならない事を実行する者達の集まりであり、そこまでのリスクを冒したくはない賢明な犯罪者達は、今も表層で日々を過ごしている。


レッドホースも、そんなサーフェス・クリミナル達の拠り所の一つだ。


一転、最早人でなくなったディープ・クリミナル達の最大の拠り所が、ネストと呼ばれる巨大犯罪シンジケートの、世界各地に大小様々な規模で展開されている拠点達である。


グロウサイドの主要なオフィスなどが集中する地区に車を止め、その中の「マリアナ動物保護グループ」と書かれた看板を掲げたビルへ入る。


受付へ行き、受付の女性に、ご用件は?と問われる。


それに三又の猫は何匹いる?と答えると、彼女はいらっしゃいませ。と笑顔で手を差し出すので、私はその手をとり握手する。


後は役員専用のエレベーターに乗り、扉の横の移動したい階を指定する為のボタンが並べられたパネルの上にある、現在の階層を示す画面へ先程握手した手をかざす。


そして簡易的な認証音が鳴ると共に扉は締まり、エレベーターはボタンの示さない地下の奥深くへと乗った者を誘う。グロウサイドで最も大規模なネスト、「フリンジ」へと。

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