第64話「無刀取り」

(上泉信綱・・・・・・か)

 柳生流の始祖にして、あらゆる剣術の流派の祖と言われている。我流で剣を磨いた砂川改め岡田以蔵にとってもよく聞こえた存在である。


「こちらが名乗ったのだから、名乗ってくれても良いでしょう?」

穏やかな物言いで、上泉は言う。

「・・・・・・岡田以蔵だ」

 砂川も正直に幕末の時の自分の名を伝えた。

 もはや彼は現在の自分、砂川真也としての自分の方がアイデンテティが強く、自分の中で岡田以蔵は諱に近いと言っていいものではあった。

 だが、上泉が求める名前はこの名前だろうと正直に話した。


「岡田以蔵か・・・・・・聞いた名ですね。ふふっそうですか。ならば君にはこの名前で語った方がいいでしょうね。・・・・・・伊東甲子太郎、知ってるでしょう?」

 以蔵には、その名前に確かに聞き覚えがあった。

 伊東甲子太郎、新撰組の参謀にして、文学師範。江戸の名に聞こえた伊藤道場の道場主、なぜあの道場があんなに有名なのか、確かに伊東甲子太郎の前が剣聖上泉信綱ならば、納得はいく。

 しかし、だとするならば、だとするならば解しがたいものがある。


「伊藤ならばなぜ壬生の味方をする? おまえを殺したのは奴らだろう」

 伊東甲子太郎は新撰組の参謀でありながら、倒幕の思想を持つ男であった。そして、新撰組と袂をわかったあと、近藤勇の誘いで酒を飲まされその帰りに道中で暗殺されたという過去を持つ。

 以蔵は現世でこれを知った。(以蔵が処刑されたのは1865年、伊藤が暗殺されたのは1867年で、二人に直接の接点はない)

 しかし新撰組が伊東を暗殺した以上、現状大沢についてると思われる新撰組側にこの伊東甲子太郎がつく理由はないはずなのだ。


「・・・・・・以蔵、ことはそんなに単純ではないのです。あのときは誤解もありました。でもおかげで夜襲にも強くなりました、だから今回の君の襲撃にも気がつけたのですよ」


「わからん、むしろ貴殿の思想は我々に近いはず」

「確かに、あの頃の私に倒幕意識はありました。しかし、それでもね新撰組は私の一部なのだ。あのとき殺されたのは私が未熟だったからです。ほかには何もない」

「そんなの、訳がわからない。俺の知ってる歴史が事実ならばあなたはむしろ龍馬さんとともに生きるべきだ」

このときうっかり岡田は龍馬の名を口にしてしまった。


「・・・・・・そうですか、坂本龍馬。それがあなたを仕向けたのですか。なるほど、ならば私を狙いに来た理由は、大沢さんということですなあ」

「どういう意味だ」

「どうもこうも、この状況で私にたどり着いたと言うことは、大沢さんを崩そうとしてるのでしょう。ふふふっ、何の意味もないことです。あなたたちは真の敵というのを誤解している」

煙に巻くような言い方で上泉信綱は、諭すように岡田以蔵に語った。


「戯れ言を・・・・・・大沢は売国奴にすぎない」

「私から言わせれば、大沢さん以前のあなた方の組織の首相たちも売国奴に過ぎませんよ。大沢さんの理想はもっと崇高だ、それを知っているから、私はあの人についているのです」


「何を言っている?そう言ってごまかして、戦わないように仕向けるのが『無刀取り』の真骨頂か?」

 砂川には先ほどから上泉が何を言っているのか半分も理解できていなかったし、煙に巻こうとしているような気しかしていなかった。こうやってごまかすのが『無刀取り」かと、そんな風にしか感じられない。

「口八丁でごまかすのも無刀取り、それは否定しませんが以蔵君、君はもっと自分の頭で物事を考えた方がいい。何も考えずに龍馬君について行くのが、君にとって最良とは限りませんよ」

 相変わらずののらりくらりとした上泉の口調であった。


「問答無用、剣を抜け上泉」

 お互い帯刀していないのは承知の上だったが、堪忍が持たなかった砂川はそう口にした。しかし気の抜けたまるで覇気のない物言いで上泉は返すのだった。


「何をしてでも勝つのが信条ではありますが、その左腕のあなたをなぶるほど趣味は悪くありません。私は俄然、あなたに興味がある。是非次はお互い真剣にてお互いの技を競い合いましょう。それまでこの勝負は預けると言うことで、いかがか?」


 またとない提案である。

 砂川の左腕は致命傷ではないものの現状はほとんど使いものにならないだろう。加えて向こうは暗器を持っているのに比べて、自分は真剣も持たず、武器は長めの伸縮式警棒だけ、せめて鍛えた鉄がほしかった。

 是非もない話だが、いまだ上泉の狙いがわからないのが不気味であった。


「・・・・・・かまわないが・・・・・・教えろ。安代という男を捜している。どこにいる?」

 もちろん聞いたところで上泉が答える訳がないのであるが、もし素直に教えてくれるならば、上泉の提案をのむ理由ができる。

 もし、教えないというのであれば、砂川としてはやはりこの場で上泉と戦うしかほかなくなるのだった。


「困りましたね、その目、やはりここでやるのですか。私としてはようやく巡り会えて現世での恋人のようなもの、場をあらためてやり合いたいのですが・・・・・・そうですねぇ、安代のことはもちろん知っています。ですがまあ、明日です。明日になればすべて解決する、大沢さんはそこまで読んですべてを行動しているのです」

といった、また煙に巻いたようなことを言って上泉はまともな返答をしなかった。


「何を言っている?」

「あなたは十分に仕事をした、ここで私とやり合う必要はみじんもありません。・・・・・・ほら、お仲間も来たようですよ」

 そうやって、上泉は視線を砂川の背後の方に向ける。それに一瞬きをとられ、背後の方をチラリと砂川が見ると、確かに出央の乗ったレンタカーが遠く後ろの方に見えた。

 そして視線を上泉の方に向けた瞬間そこにもう上泉はなく、闇へと消えていったのだった。

(は、はやい)

 それは今の自分では上泉信綱という男に勝てないということを悟らせるに十分であった。

(あ、あの瞬間殺されていてもおかしくなかった)

 砂川は命を救われた、先ほどのやりとりで上泉が命を奪う隙はいくらでもあった。それをすべて見送った上で上泉は再戦を申し込んで、あえて命を取ることはしなかった。しかしこれは剣客としていきた岡田以蔵にとって最大の侮辱である。

 人を襲うとする以上自分が死ぬ覚悟もできている。

 

 それなのに上泉は・・・・・・

 怒りの感情とともにまた恐怖の感情も砂川の心を大きく占めていた。

 その砂川の背後から車のライトが当たり、周辺を照らした。


「一体何があったんだい、砂川君」

 そして窓から顔を出す出央が尋ねてきた。


「・・・・・・とんでもない相手に出会った」

 そうとだけ答える砂川。書かれていた。

 とそこへ砂川は、足下に一枚の紙が転がっているのを見つけた。さっきまではなかった、どこからか風に乗ってきたのだろうか。

 おもむろに拾い上げて、それを砂川は見る。


『大晦日、巌流島』


 その紙にはそれだけ書かれていた。



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