飛空
人が死んでいく。
視界の支配権を奪われていたはずの俺に、不意に目の前の風景が開けた。
相変わらず手足は動かないし、首も動かせないから見たい方向一つ見れやしない。けれど、なんからの理由で俺の身体を乗っ取った意思の力が弱まったことは感じられた。
――ならば、できうることをするしかない。見ることができるものを、見る。それで何が変わるわけでもないけれど。
町を焼いた戦火は炎の段階を終え、あちこちに隔離された〝まだ燃えるもの〟からあがる火が申し訳程度に視界を赤く占有する。そして、瘴気をまき散らすあの化け物は――いなかった。少なくとも、許されている視界のなかには、存在しない。
いるとしたら背後、なのだろうか? それとも何らかの外的要因により化け物は消滅した? いや、万全を期してあれの存在は仮定しておこう。仮定したとして、どう戦えばいい?
メシアは必死だった。世界消滅のカウントダウンが迫るなか、毒のばらまきを止めることに。
「――ん?」
メシアの身体が宙に浮く。彼はどうも飛翔しているらしかった。らしいというのは感覚がないからだ。空を飛んでいるときに身体にまとわりついた、あの風の渦がない。空を滑っているのは視界でもわかる。それでも飛んでいると思えないのは、風をまとっているという喜びが内より発現しないからだ。
生きている意味なんてなくただ生きていた。それでもずっと生きられたのは、彼には風があったからだ。
急降下、反転、滑空に錐もみ。エンジンを切って気配を消し、重力の束縛のなか正解の軌道を見つけ出す。敵機の背後をとり、その隙に攻撃する。
メシアは鋼鉄の肉体を持ち自分自身が戦闘機となるずっと前から、鋼の機体に守られながらも風を感じていた。それは理屈ではなかった。
「俺は飛びたいんだな」
ふと腑に落ちた気がした。何の未練もないはずのこの世界を、破壊する神がいると知ったとき、なぜあんなにも自分は狼狽したのか。メシア自身の行動論理にそぐわない行動と感情は、メシアに言い知れぬ異物感を感じさせた。その行動に、説明がついた。
「戦闘機に乗って飛びたい。だから、世界の崩壊を阻止する」
言いながらメシアは苦笑した。世界を救うにしては不純な動機である。それに、彼の乗るのは戦争の道具の戦闘機である。彼は身一つで飛ぶスリルが好きなのだ。人員輸送の航空士にはなれない。平和の担い手にはなれない、どす黒い魂の持ち主だ。
「俺は、戦争を欲しているのか」
駒として使われることに身体の深いところで拒絶反応を示していたのに、結局自分は駒にしかなれないではないか。
「戦争は世界を破壊する。――なるほど、俺は世界を破壊する神を止めたあと、自分も殺さねばならないのか。……難儀だな」
平和な世界の担い手になれない自分は、戦うために世界を救ったあと、存在してはならない人間だ。
メシアの意識から、感情という感情が、消えた。メゾン区第一空軍のタエとして同胞を狩っていたころの彼に戻ったといえるかもしれなかった。
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