理由
戦わなければならない理由なんて、ないはずだった。
物心ついた時から住む世界は壁で分かたれていて、清浄な空気を吸えない彼は幼くして死ぬはずだった。
死んだ者の衣服は剥ぎ、毒により奇形に生まれた動物を狩って食す、その生活から不意に抜け出たのは、拾われたから。でも、壁の向こう側で待っていた生活も、今までとなんら変わらない。
逃げないようにと始終監視がつき、与えられた個室に窓はなかった。
団結し主に反抗することがないようにと、同じ黒肌の民出身の戦闘員たちとは隔離され、姿を見たことすらなかった。
行動は逐一、肉体の最奥に埋められた個体識別装置が本部に報告する。戦闘記録は戦闘の最中も、戦闘機につけられた機器が本部に送り続ける。
なにも望めない、なにも言えない、がんじがらめの籠の鳥。自分に価値をつけるパラメータは、撃墜数と称号だけだった。
よほど酷いことをしているという自覚があったのだろう、メストス階級の輩は、敵対する区の壁を越えて、黒肌の民の戦闘員が同時刻同位置に三機以上存在しないよう口裏をあわせ続けた。抑圧していなければならぬ民が、戦場で戦う敵味方さえ心を通わせその刃をこちらに向けるのを怖がり続けた。
それをわかっていながら、彼は逆らわなかった。なぜか。逆らう理由がなかったからだ。それ以外の生活を知らなかったからだ。黒く変色した自分の肌が、壁の内側でのうのうと暮らすメストス階級と自分を根本的なところで隔てているような気がした。
それがマインドコントロールであったのだと薄々気づいた今も、彼はメストス階級を自分とは異なる種族だと捉えた。本当は同じと知ってもなお、感情が受け付けなかった。
逆らうことができる身分になり、無力なかつての守る対象であった人々を見下ろした。守るための戦いに意味など見いださなかったのだから、殺すのにためらいなどあるわけがなかった。メストス階級を虐殺することに至上の悦びを感じてしまった彼に、世界を救う大義なんて見つからないのかもしれなかった。彼は、破壊神とあまりに似通った属性を持っている。それを、彼自身も自覚している。
「俺は、殺したんだな」
悲鳴をあげて逃げていく、肌の白い人々を思い出す。土埃をたてて崩れいく建造物や、火の粉のあがる街角を、彼は思い出す。
「そのことに後悔はない」
自分たちが命をとして守っていた人々、それはメゾン区のメストス階級だった。自分たちのことを使い捨ての戦争の駒だと笑う人々だとわかっていた。わかりあおうなんて思っていなかった。せいぜい
「やつらあまりにも幸せそうで……あまりにも“当たり前に”幸せそうで」
だから、殺した。それ以上の理由はない。そう思う彼に、一滴の水滴のように、純粋で恐ろしい問いが降ってくる。
『あなたを導いたあの人も、同じ理由で殺せるの?』
顔も知らぬ母のような、包み込むような声が、肉体を再び乗っ取られた彼の意識に
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