前世(後編)

 氷に閉ざされたような冷たく自由の利かない意識のなかで、メシアは前世の記憶を見ていた。それこそ、死を目前にした走馬灯のように、不気味に静かな、無音の空間のなかに、ただ残酷な事実を示す映像だけが流れ続ける。

「俺たちの祖先は……俺たちの祖先〝が〟、世界を破壊した張本人だったなんて」

 瘴気から逃れたごくわずかな土地のなかで暮らす人々の祖先は、赤い髪に赤い瞳を持っていたと言い伝えられていた。現在その特徴を引き継いだ人間はほとんどいないが、稀に赤い髪と赤い瞳を持った人間が生まれてくる。それは先祖返りと呼ばれ――多くの場合、気味悪がられた。

 メシアが自分の髪と瞳の色を知ったのはメゾン区の戦闘員になってからのことだった。壁の外の世界では、誰もが生きることに必死で、瞳の色など話題にする価値もなかったのだ。鏡という贅沢品を一度だけ覗き込んだことがメシアにはあった。そこにいた人間は、自分の周りにはいない赤い目をした人間だった。


 先祖返り――それが、メシアの魂の素性を明かす手がかりとなる。ヴァンという名前だったメゾンが、実家の敷地を掘り返して見つけた古文書の記述とも一致する、救世主の生まれ変わりの伝説。世界を瘴気で覆わせた当事者たちが、意図して後世に残さなかったのかもしれない、禁断の秘密。

 かつての国家に準ずる「区」という行政単位を治める権力者は、その多くが「かつて瘴気と戦った英雄の子孫」を自称している。ヴァンの父が隠し持っていた書物は、メゾン区の存在の正当性を揺るがしかねない禁書であっただろう。


 ふと、メシアは思い出す。現代に生きる者が悪気なく再発見し、今まさに兵器として使われている生物のことを……。

「もしかして……アルファとは、この気味悪い走馬灯に出てきた、あの怪物のことか?」

 ファスト亜区軍はメゾン区との区境を進軍しているはずだった。

「止めなければ――あの怪物を!」

 前世の記憶が正しいのならば、あの生物が世界の汚染に関わっていることは確かである。止めなければ、かろうじて残った人類生息可能地域バビダブルゾーンさえ瘴気に侵されてしまう。止めなければ――なのに、身体は自由を失っていた。

『〝憎しみ〟が鍵なんだよ』

 自分の声が、意識の閉ざされた薄暗い空間に響く。しかしそれは自分の発した声・・・・・・・ではない。

『お前はこの世界をリセットするために生まれてきた』

「どういうことだ?」

『お前は救世主として――世界を滅ぼすがいい』


 メゾンは先ほどからの第四形態のメシアの行動に違和感を感じていた。メゾンは五百年前の記述のある古文書を、実はすべて読んではいない。

 救世主の生まれ変わりの仕事とされた〝リセット〟は、階級の格差をなくし共同で世界浄化に動くことだと信じて疑わなかったのである。

 救世主の使命とは、実は破壊であった。彼は世界を終わらせ、再び創始させる神の意思で生まれた。神は人間を、とうの昔に見放していた。それでも最後の期待を込めて、五百年の猶予を与えた。救世主の生まれ変わりが怒りに身を任せ、それが鍵となり第四形態にトランスフォームしてしまったが最後、現代を生きるメシア本人の肉体の支配権は奪われてしまった。

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