第90話 推し

「え・・・?」


 壊れる瞬間のような、悲痛に満ちた顔の玲奈を、俺は見なければならない。


 目を逸らしてはいけない。


 彼女を真の意味で助けたいのなら、ここで彼女を傷つけることになろうとも。


 世界を元に戻せなくても。


 俺は、真実を告げねばならないのだ。


「俺は、玲奈の彼氏じゃないんだ。ホントは」


「・・・どういうこと?・・・冗談でも、悲しい、よ?」


 今にも泣きだしてしまいそうな玲奈を見て、心が引き裂かれる。痛い、痛い、痛い。胸が詰まり、灰の中が空っぽになる。


 痛い、痛い痛い痛い痛い。


 でも、この痛みは、向き合うべき痛みなんだ。


「この世界の玲奈は、余りにも俺の理想過ぎた。優しくて、可愛くて、気が遣えて、俺を尊重してくれる。それは、とても心地が良かった」


「・・・ありがとう、なの、かな。よくわかんないけど」


「けど、逆に言えば、それは不自然だ」


「・・・そうなの?」


「俺のような人間に、綺麗にカッチリはまってくれる、全てを肯定してくれる彼女なんて出来るわけがない」


 自虐でも卑下でも何でもなく、紛れもない事実だ。

 

 イエスマンの彼女なんて、それこそラブコメだけだ。


「でも、私は正直に圭君のことを――」


「俺は、ホントの玲奈を、知りたいんだ。今の君は、自分を偽ってしまっているはずなんだ」


 俺は彼女の笑顔を思い出す。いつだって思い出す彼女の笑みは、確かに目の前の玲奈と一緒で、何ら変わりない笑みのはずなのに。『あの彼女』の笑みだけは、この玲奈の笑みではないのだと、確信していた。

 ギャル橿原の瞳の奥に見える哀しみを、俺は知っている。この世界の清楚な玲奈よりも過ごした時間は短いはずの彼女のことを、見放すことが出来ない。


「・・・なんでそんなこと言うの?・・・そんなの、酷いよ」


「俺と付き合う世界を構築するために、俺の理想の彼女になってしまった玲奈は、きっとホントの玲奈じゃない」


 分かっている。

 この世界の玲奈にそんな記憶はない。彼女からすればデートの最後に彼氏から突然振られるという最低最悪の時間に他ならないだろう。

 

 だからこれは、事情を伝えたつもりになって、楽になろうとする俺の甘えだ。


 儚い美しさのまま、俯いてしまっていた。


 胸は、ずっと痛い。その痛みに、慣れることは無い。


 また外を見遣った。遊園地の外に広がっていた大自然が、光に包まれていくのが見える。俺の選択によって、この世界はどうなってしまうのかは計り知れない。


 この世界が消えることは確定事項で、

 

 元に戻るのか、そのまま世界自体が消滅するのか、今の時点では分からない。


 残された時間は、本当にもう少しだ。


 目の前の俯いて体を震わせる玲奈を見た。その痛ましい姿は、目をそむけたくなるような罪悪感を俺に与えたが、それでも俺は彼女を見つめる。


 ギャル橿原を救う、ホントの橿原玲奈を救うというのが、俺の選択だ。


 でも、それはこの世界の橿原玲奈を救わないという選択をしたわけではない。


 あくまでこの時点で、


 「閑谷圭が、橿原玲奈の求める言葉を伝えず、願いを否定した」ことによって、この世界の崩壊は始まっている。


 七日間のリミットが、ここで終わる。


 元の世界の橿原玲奈を本当の意味で救うための布石。

 もう、準備は終わった。後はもうどうなるか分からない。


 残された時間で、俺に出来ることは――


「なあ、」


「・・・なに?」


 冷たい声が、帰ってくる。


 ごめんな、俺のせいで、こんなことになって。


 でも、もう俺の仕事は終わった。


 例え君が本当の橿原玲奈でなくても、彼女の願望によって用意された『俺の理想の彼女』であっても。


 夢物語の彼女であったとしても。


 俺は観覧車の中で立ち上がって、すこし揺れながら、彼女の横に座った。少し狭めの座席で、彼女は俺にスペースを譲った。その距離に、離れていく彼女の心を感じる。


「さっきはああいったけど、俺は今の君も、それはそれで好きなんだ」


「・・・わけわかんないよ、バカ」


 もっと、君を知りたい。


 この世界の玲奈を偽物だと言い切るつもりはない。


 俺は既に彼女だった君を知って、橿原玲奈という存在を知って


 橿原玲奈を救いたいと思ったのだ。




 そして、


 橿原玲奈を、好きになったのだから。

 

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