第89話
「今日は楽しかった、ありがとね圭君」
「俺も楽しかった。こちらこそありがとう」
「ふふっ、なんか変に改まっちゃって・・・おかしいね」
「・・・ああ、そうだな」
観覧車が回る。俺たちを乗せて、夕日の差し込む角度を変えながらゆっくりと、ゆっくりと動く。
終点に向けてゆっくりと動く。
夕日が照らす玲奈の顔が、一層美しく儚く見える。視線が釘付けになる。
玲奈は、窓から見える景色を物憂げに眺めているように見える。このまま観覧車が空まで登って行ってしまうと勘違いしているのかと思う程に。
「この一週間、ほんっとに楽しかった・・・」
ぼそりと、玲奈が言う。誰に向けるでもなく。
「私さ、どうだったかな」
言って玲奈はこちらを見た。真剣な眼差しで俺の目を見る。
「圭君の彼女として相応しかったかな?」
苦し気に笑う。首を少し傾けて、失敗したかのように笑う。
なぜ、そんなことを聞くのか。
なぜ、そんな苦しそうなのか。
なぜ、―――
泣いているのか。
俺は一言も発さず、玲奈を見つめかえす。
俺自身の心の整理もついちゃいない。観覧車が揺れているせいで、俺の心もあっちこっちに揺れている。ずっと、ずっとだ。
そしてそれと同じことで、
きっと彼女も揺れていたのかもしれない。
不安で不安で仕方なかったのかもしれない。
彼女をただの特異点として、世界を元に戻すための「道具」として見たことは一度もない。しかし、それはあくまで「見ていない」だけで「使っていない」ということではない。
現に今こうして、彼女の願いを叶えて世界を元に戻そうとしているのだ。
一瞬だけ、窓から見える遠い景色に目を遣る。ふと視界の隅に光が差し込んだ気がしたから。
遠くの山が白い光に包まれていた。いや、ただの見間違いかもしれないが、ずーっと遠くに見える山が、その存在を光に還している。俺は勝手に、世界の収束のせいだと思った。
ここがターニングポイントで、終点なのかもしれない。
少し不安げに俺を見つめる玲奈を再度見返す。
艶やかで長い睫毛のその奥に見える瞳が、潤んでいた。
彼女は俺の言葉を待っているのだろう。
それでも俺はここで立ち止まっている。踏みとどまっている。この世の全ての期待を背負って、世界の命運を握って、それでも悩んでいる。
「圭君は私と居て、幸せだったかな?」
玲奈は膝に置いた掌をギュッと握りこんで、ワンピースにしわを作る。答えを切望する。
言え。
言え。
言うんだ。
幸せだったと。
玲奈が彼女で良かったと。
事実に乗せて、虚構を伝えろ。
ほとんど玲奈のことを知りもしないのに、彼女だということすら知らなかったのに、
それでも玲奈が好きなんだと。そんなおかしなことを伝えるだけで、世界は元に戻る。
そうすれば彼女の願いが成就して、彼女の願いが失われる。
元の世界で、俺と橿原玲奈が関わることは、無い。それが世界の定めで、それを覆すために、彼女は「能力」を行使したのだから。
七日間限定の崩壊する世界を作ったのだから。
現実では無理でも、滅びゆく世界でくらいなら彼女の願いを叶えてあげたい。
俺はそう思っていた。
自分の定めに抗って、世界を歪めてでも「願い」を叶えた彼女に華を添えてあげようと思った。だから俺は彼氏を演じてきたんだ。今日まで。
楽しくもあって、大変でもあって、痛い思いもした。
それでも俺の根幹にあった気持ちは変わらない。
橿原玲奈を助けたい。それだけだ。
・・・
・・・・・・・・・
だから俺は、だからこそ俺は、俺に正直にならないといけない。
逃げ続けてきた自分に、向き合う時だ。
静かに揺れ動く観覧車が最大高度を迎えたその時、俺は口を開いた。
「幸せだった。死ぬほど楽しかった」
でも、でも、と。
「俺は、―――玲奈のことが本当に好きだとは、言えない」
彼女の目を見て、その驚く顔から眼を背けずに、言った。
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