第78話 幼馴染サイド2

 これは元の世界の、かつての私の記憶――


「よーし、それじゃあ今日の合同練習は終了だー。気を付けて帰るように」


 青いジャージを着たどう見ても音楽の先生とは思えない角刈りの教師の声が音楽室の隅々まで届く。


 私は木琴の前で項垂れていた。二本のバチを持って。(バチではないと言われたけど、私にとってはバチだった。)


 学校単位で行われる地区内音楽会に参加することは、そもそも私にとって楽しいことではなかった。中学生の私はまだ随分と子供で、女子友達とおしゃべりしているよりも、男子と一緒に外で遊んでいる時間の方が好きだった。体を動かして、陽の光を浴びていると体の芯から成長していく気がして、自分がまるで植物になったように感じた。体育は好きだけど、座学全般が嫌い。そんな生徒だった。


 そして音楽の時間は私にとって苦痛以外の何物でもなかったのだ。


 リズム感皆無、音痴、そんな自分への羞恥。


 やってられないのである。ほんとに。


 結果的に音楽会向けのパート合同練習で項垂れる始末である。


 木琴というのは打楽器に求められるリズム感と同時に鍵盤を覚えて叩かなければならないハイブリッド楽器だと私は認識している。いや、ハイブリッドというと環境に良さそうだから、鬼に金棒と言った方がいいのだろうか・・・それも違いそう。


「結奈ちゃんて、木琴苦手なの?」


 同じパートの女子生徒が不思議そうな顔で気まずそうに聞いてくる。


 木琴苦手ってなによ。自己紹介で使いましょうか?って感じである。


「ご、ごめーん、ちょっと頭が回ってなくてさー」


 適当に誤魔化す。昼休み遊びすぎて太陽光にやられちゃったかなー、なんて勝手に悪者を作り出して。


「大丈夫?ちょっと心配だよ。」


 熱中症か何かを心配しているのだろうが、そんな訳もなくただの言い訳だったのでその言葉は、より一層演奏のひどさを指摘するようだった。


 ぐっと心が重くなる。疎外感のような無力感のような今すぐ消えてしまいたい気持ちになる。


 ちょっと保健室言ってくるねー、なんて逃げるように言いながら私は保健室に駆け込んだ。別に頭が痛いわけでも体調が悪いわけでもなかったので、保健室前の入り口で立ち止まる。

 

――適当に時間を潰して、次の授業開始直前に帰ろう。


 なんて、教室に帰ったらどう振舞おうかとか皆に何て言おうかとか、どうでもよいカモフラージュを考えていると、そんなことをしている自分にまた悲しくなって、胸が締め付けられる。涙がこみ上げてくる。そんなところに、


「あれ?結奈じゃん。なにしてんの?」


――彼が来た。いつものように、彼が来た。


「・・・圭じゃん」


 驚きと同時に歓喜が湧いて、それまでの少し暗かった心がぐちゃぐちゃになる。彼と会うといつもこうだった。困ったときは特に。


 彼は体育終わりだったようで白地の体操着を泥んこにしていた。活発で陽気な幼馴染。「人助けボランティア」なんて大層な活動をしているとは思えない無邪気さに噴き出してしまう。


「――っておい。なんで笑ってんだよ」


「ごめんつい、面白くて」


「何が面白いんだ???」


「顔が」


「おいッ!!!!!!」


 ホント面白すぎその顔、なんて笑い泣きするように目元を手で拭った。

 保健室前で騒いでいると、中から養護教諭が出てきた。


「中で休んでる子がいるんだから静かにしなさい。」


 ごもっともな注意を受け、私と圭は追い返された。教室へ戻るために随分と遠回りをした。


「ん?なんでわざわざ遠回りしてんだ?」


「探検みたいなもんだから、帰りたかったら帰っていいよ」


 なんてぶっきらぼうに言っても、彼は


「ほーん、じゃついていくかー」


 頭の後ろで手を組んで、何も気づいていないような顔でそっけなく言う。


 けれど、私は知っている。分かり切ったうえで、「帰りたかったら帰っていいよ」なんて言ってしまう。


 彼は、私の心を見透かしている。私の心が悲しんでいるのを、知っている。


 圭はそういう人だってわかってて、どれだけ相手が突き放しても助けようとする圭のことを尊敬していたし、理解してはいたけれど、だからこそ彼に意地悪をしてしまう。突き放してしまう。


 私だけが、彼の特別で居たかったから。平等な彼に複雑な感情を抱いてしまう。


 まあ、中学生の私にはそれが恋心だなんて認識するのは不可能だったとは思うけれど。


「なあ結奈、なんかあったん?」


 いつものように彼は聞いてくる。幼馴染の私以外にそんな言葉を使ったらデリカシーなさすぎて怒られちゃうよ、なんて戒めても


「じゃあ俺ら幼馴染だからいいよな」


 なんて笑いながら言うのだ。


「バーカ」


 とだけ返す。心のなかではどうしようもなく嬉しくなってしまっている。自然と、頬がほころんでしまう。


 この件は別に、結果的に私が木琴を誰にもバレないように薄く叩くことで「失敗しない」という解決策を見出してもらっただけにすぎず、何かが解決したという訳ではなかったけれど、それは大した問題ではなかった。


 悩みを聞いてくれる人間が、手を差し伸べてくれる人間がいるという安心感。


 そして


 どうでもいい悩みを、誰よりも真剣に、誰よりも真摯に彼は聞いてくれる。そして動いてくれる。誰よりも心強い幼馴染。


 それが閑谷圭という人間だった。


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