第71話

 そもそもなぜ日曜日、この世界での七日目、世界の最終日であるところの今日日に玲奈との遊園地デートなぞが実現閉まったのかということについて思い返しておくべきだろう。


 きっかけは、昨日のデート後、つまり土曜日の夜であった。


「もしもし閑谷くん?今から学校までこれるかしら?」


 電話口の長濱先生は事務連絡の極致と言わんばかりの平坦な口調でそう言った。学校の先生である長濱先生から一生徒である俺のスマホに電話が来るなんて少しくらい浮いた気持ちがあってもよさそうなものだったが、俺自身玲奈への「気持ちの整理」をつけた手前、特段緊張もなく了承した。


 土曜日の夜とはいえ、時刻的にはまだ明るい七時頃であるため、校内には幾らか人影があった。一日練習の部活を終えヘロヘロな生徒然り、休日もお仕事に励む教職員の方々然り、一日を終えた代償が顔に露わているのを眺めながら、俺は長濱先生が待つ保健室にこっそり向かった。休日ではあるが、生徒の出入りは案外容易で、門番も居なければ受付もない。入り放題である。


 入り放題だからと言って、入ろうとは思わないが。


 なんだか休日の学校はいいところではあるが、それは「用事」があるからこそ良いのであって、ただの探検には向いてないと俺は思うのだった。


 つーか俺一人の探検は多分楽しくない。

 嗚呼友達がほしいなあ。


 いや、まてよ?彼女がいるからいいのか。


 玲奈とのハグでバクバクしっぱなしの胸に手を当てながら、そんなことを思っているうちに保健室に着いた。


「失礼しまーす。」


「あ、閑谷くん、待ってたわよ。」


 長濱先生はいつも通りあっまあまのコーヒーを淹れているところだった。手元には三つカップが見える。・・・三つ?


 どうやら今の所俺の視界に映る人物は長濱先生だけである。ふむ・・・なんだろう。


 というか、前回保健室に来たのはあの夢の中で、こうして長濱先生が保健室に居て、砂糖たっぷりのコーヒーを作っているところを見るだけで、なんだか俺としては感慨深くなってしまうのだった。夢の中に居たおっさんには用はねえからなあ。


 長濱先生だから、俺はこうして保健室に入り浸り、休日のお呼び出しにも応じるのである。


「えーと、今日は何の用事で。」


 まあ分かり切ったことを聞いてみた。そりゃ勿論――


「明日起こる、世界最後の審判に向けて、ってとこかしら。」


「世界最後の審判ってそりゃ神話とかの話じゃなかったですっけ?」


 キリスト教かなんかが関係してそうな、そういう絵画があった気がする。裸の、民衆がもみくちゃになってたような。


「まあでも似たようなものよ。」


 だって、明日橿原さんの心だ満たされていなければ、この世界はこのまま終わってしまうんだもの、と当たり前のように言う。

 常識のように、決まりごとのように。


「それは、そうですけど・・・」


 忘れていたわけではないし、なんなら全ての事象――俺が刺されてしまうなんて言う大事件含め――が橿原の世界改変に伴うものだったわけで、一瞬たりともこの世界の終焉を忘れていたわけではない。


 ただ、それでも甘えたことを言わせてもらうのであれば、実にあっけない。


 味気ない。


 これで世界が終わります、とか、明日世界が終わります、なんてのが現実に起きてもまあこんなもんなんだな、と他人事のように思ってしまう。信じてはいるのに恐怖がない。


 まあ、経験したことないんだからどんな感情を抱けばいいのかわかるわけもないか。怒られると分かっているからそれまでの時間は怖いんだし、それは怒られたことがあるから怖いのだ。


 死んだことも、ましてや世界が無くなることもない俺には何もわかるわけがない。


 ま、刺されるのは二度とごめんだね。と俺は腹部を軽く擦った。どうやらホントに完璧に治っているようだった。


「あら、ごめんなさい。暗い話にしようと思ったわけじゃないの。そもそも私としては閑谷くんと橿原さんならこの世界を元に戻すことなんて容易いと思っているわ。」


 長濱先生は砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら、言う。休日ではあるが白衣をまとって、いつもの通りの先生だ。


 実は、一口目のコーヒーは熱すぎて「あつっ」ってなってるのも、ご愛敬。


「信用してもらえるのはありがたいですけど、どうなることやらですよ」


 クルクル回る保健室の椅子に腰かけながら言った。現状、玲奈の願いを叶えているとは言い難い。そもそも彼女の願いがなんなのかも分かっていないし、この六日間で得られたものは「俺の恋心」程度のものである。くそ俺恥ずかしいな。ちょろすぎるだろ。


「そんなに自信がないの?」

「自身がないっていうか、確信がないと言いますか。」

「ふーむ、そうなの・・・」

「そうですね。」


 少し長濱先生は思案するような姿勢を取る。小さな体に備えられた豊かな胸部の上に腕を組む。わざとやってんすか・・・?それ妙に強調されちゃいますよ、と心の中でだけ思う。


「じゃあやっぱり、あの手を使うしかないかしらねえ。」


「あの手?なんすかそれ――」


 なんだか奥の手みたいな言葉に興味を惹かれたところで、入り口のドアが勢いよく開けられる。


「あーーーーーーー!!!!!圭先輩じゃないですかーーー!!!!」


「え?なに――」


 俺が回転する椅子を止め、入り口の方を向き直る前に、俺は謎の感触に体全身を覆われる。主に前面に。


 柔らかい何かと、優しい香り。ここが、天国か・・・


 数秒そのままで、半分窒息しそうになって天国を垣間見ていた俺は、状況をある程度理解した。


 俺は抱きしめられているのだ。俺の顔に誰かの胸があてられ、頭の後ろに手が回され、撫でまわされている。


 圭先輩――その呼称に聞き覚えが、聞き覚えどころか新鮮味さえある。


「元気そうでよかったですーー!!まじかっこいいですーーー!!!」


 なんだか喋り方に変化があるような気もするけど、この際それは忘れておくことにしよう。


「シオン、その辺にしてあげなさい。閑谷君が今度こそあの世に行っちゃうわよ。」


 長濱先生の冷ややかな声で俺は開放される。しかしこの死に方なら悪くないと思ってしまっていたが。


「昨日ぶりですっ、圭先輩!」


 海堂シオン――長濱先生の隠し子と言う設定で、俺の後輩であり、機関の人間。制服姿に朱色のポニーテールをふわりと揺らして、彼女は俺の前に居た。


 いや、初登場シーンじゃないんだから、こんな表現はおかしいんだが、まあ、こりゃまたどういうことやらって感じである。




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