第65話

「ええと・・・あれ、佐藤さん、怒ってらっしゃる?」


潤んだ瞳で俺を睨むように見上げる佐藤に恐る恐る聞く。


「怒ってます・・・うぅっ・・・」


唸るようだった。今にも泣きだしてしまいそうな元幼馴染がそこに居た。


「い、いやごめん、そういうつもりはないというか・・・」


というか、佐藤は俺のことをつい先日まで嫌っていたんじゃなかったか?ゴミでも見るような目だったきが・・・


「この世界の閑谷さんのことを確かに私は嫌ってましたが、それでもひたむきな閑谷さんの姿勢には尊敬の念くらい抱いてたんですよ?」


と口を尖らせる佐藤。残念ながら今の俺に、もとい元の世界の俺にひたむきさなどあるわけもなく。


「いやそうはいってもだな・・・」


「だってもへちまもないです!」


「どっちも言ってねえよ・・・」


佐藤はそっぽを向いてしまった。朝方の一般道横の歩道。通行者も通行人も少ないお陰で俺の風評は保たれるだろうが、涙目の女子高生が隣でそっぽを向いている状況と言うのはどうにも気まずい。


どうしたものか。


「閑谷さん」


「ん?」


「以前、元の世界での私と同期した、という話はしましたよね?」


「ああ、そういえば。」


だからこそあれだけ俺を嫌っていた佐藤が、こうして今は俺のために起こっているのであろう。それがどうしたのだろう。


「元の世界の私は、人助けボランティアを辞めた閑谷さんのことをやっぱり心配してたんですよ。」


「あの、その言葉使うの辞めてくれないか・・・」


―――――――――はもう耳にもしたくないのだ。


はあ、と一つため息をつくようにして佐藤は呆れる。


「そういう自分の正直な意志に向き合わないとこも、心配してました。」


「俺の正直な意志、ねえ。」


「ええ、そうです。」


俺の意志は・・・なんだ?


「この世界の俺はその忌々しい活動の中で――」


俺が『忌々しい活動』といったところで佐藤は俺の袖をぐいと引っ張った。


佐藤の顔がぐいと近づく。

潤んだ瞳が、俺の瞳に近づく。

そして、口を開く。


「それ以上卑下するなら、その口、私が閉じますよ?」


冷ややかで、それでいて訴えかけるような声だった。

艶やかな唇が俺の目前で縦横に動く。


今にも俺の口をその唇で塞ぐと言わんばかりの。

そんな冗談みたいな冗談を、本気だと思わせるような口ぶりだった。いや、唇ぶり。


「わ、わるい。」


接近された驚きで、俺は言葉を訂正する。


「この世界の俺はその、ボランティア、みたいな活動で何をしてたんだ?」


そんなに言いづらい言葉じゃないでしょう、とだけ佐藤は言って、


「そんなこと、自分自身に聞いてくださいっ。」


悪戯っぽく微笑んだ。


「おいおいそりゃずるいだろ。」


「ずるいのはどっちですか。あんだけカッコいいことたくさんしてきて、幼馴染を惚れさせて、今更過去を否定するなんて、ズルい通り越して詐欺ですよ。」


「な、なんだそれは。」


一体どれほど善行をなしたというのだ俺は。偽善の善行、なんて言えば俺はまた怒られるだろうが。


「だから、自分のこと知りたいなら、自分がどうすべきか知りたいなら、それだけ凄い閑谷さん自身で探してください。」


無茶を言う。この世界の俺と、元の世界の俺とでは天と地ほどの差がある。人助けボランティアをしている以前に。


彼女がいる。それだけが決定的に違う。


「橿原さんにも、相談すべきですよ、きっと。」


俺の思考を読むかの如く、佐藤が付け加えた。


「彼氏の悩みを幼馴染だけが知っているなんて、三角関係修羅場まったなしですからね。」


言って、


それもありかもですね、と小さくわらった。


「まあ、相談はすべきかもな。」


この後どうせ会うわけだし。このままの気持ちで橿原とデートしても、楽しませても、それこそ偽物だ。


「そうですそうです。」


「真面目に聞いてくれてありがとう。助かった。」

自分のすべきことと、その指針を与えられ、俺は軽く頭を下げる。


「こういうとこだけは、素直ですもんね閑谷さん。」


「へ?」


「いいですいいですー。私はお仕事に戻ります。」


またそっぽを向くように、それでいて先ほどとは違い、怒りではなく照れるような表情で、佐藤は俺の前を行く。見回りの仕事に戻るらしい。風紀委員の腕章が朝日に照らされて輝いていた。


「じゃ、またな。」


次に会うのはいつになるのだろうか。この世界が今日含めあと二日なら、もしかしたらこれが、この佐藤と会うのは最後かもしれない。そう思うと少し悲しかった。元の世界に戻ったらこの記憶もなくなっているのだろう。

そう思うと、やはり少し悲しい。この佐藤も、確かに俺の知っている佐藤であるはずだ。


でもそんなことはおくびにも出さず俺は別れを告げた。多分、幼馴染だから。


「ええ、また会いましょう、閑谷さん。」


佐藤も俺と同じように簡素な言葉だった。


そして、振り返って


もう一度悪戯っぽく微笑んで、


「私の大好きな圭のこと、ずーっと、頼んだからね。」


そう言った。俺に。この世界の俺のことを、元の世界の俺に託すかのように。


その笑みは、その振る舞いは、その短く切りそろえられた髪は、その涙は、その言葉は――


紛れもなく、佐藤結奈という俺に優しい彼女のもので


彼女は、大切な――幼馴染だった。


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