第54話

「とりあえず昨日の夜時点で妹さんには事情を伝えてあるから、うまくやって頂戴ね。」


朝日が指しこみ、独特の車内の匂いに満たされながら俺は窓の外を眺めていた。窓から見える景色は壮大で、どうやら都市部にビルはあったらしく、朝七時の時点でここまで多くの人々が街中を歩いているのは俺にとって新鮮な景色だった。


「事情、といいますと?」

「閑谷君が急遽キャンプに行きたいと言い出したから連れて行ったって。」

「それ事情といいますかね・・・」

「君が一晩家に居ない事情には十分でしょ。」

「というか、妹はそれを信じてました?」


突然学校の先生にキャンプに連れて行ってくれなどと頼む兄など、俺が妹なら、と考えただけでうんざりする。行動力の塊というか人にお願いしている辺りも、たちが悪い。


「信じているかは分からないわ。でも、一応納得はしてくれたみたい。まあ、別に一晩居なくなることくらい、高校生ならよくあるんじゃない?」

「友達がたくさんいる男子高校生なら、よくあることでしょうね。」

「あら、閑谷君に友達は居ないんだったかしら?」

「少なくとも元の世界では一人たりとも居ませんでしたね。」

「私くらいのものだったのかしら、閑谷君と話していたのは。」


分かってて聞いてるだろこの童顔巨乳メガネ大先生が、と心の中で毒づいた。シートベルトに収まっているのか怪しい胸の膨らみに睨みを利かせる。


「まあ、ともかく妹さんにはそれっぽく誤魔化してあるから、あとは何とかしてちょうだい。」


それっぽさは微塵もないですがね、というのはやめた。


「でも、生徒の俺が長濱先生と朝帰りしたみたいな構図になると、もっと怪しい感じがしません?」


一線を越えてしまった生徒と教師、よくありそうなシチュエーションである。


「どういうことかしら?」


やはりこの先生は鈍感というか、ウブというか、これで本当にアラサーかと思うレベルだった。いや俺が幼いだけかもしれない。


「俺と長濱先生が恋人だと勘違いされないかなと――――ってうわっっっ―――」


俺が楽し気に言い切る前に、俺は車の中で大きく揺さぶられた。まるで車がその場で回転しているような感覚だった。


数秒激しく縦横無尽に揺れた後。車は漸くそのバランスを取り戻した。


俺の隣で長濱先生が息も切れ切れになっている。俺の心臓もバクンバクンと高鳴っていた。


死ぬかと思った・・・


幸い、車は既に都市部を抜け、俺が住む田舎街に続く山中の無駄に広い道路だったため事故が起きたという訳ではなかった。ある意味大事故だけど。


二車線の道路の真ん中に、ワゴンは横向きで佇んでいたのである。とんだ不良駐車だ。


「せ、先生・・・どうしたんすか・・・?」


恐る恐る隣で肩を揺らす先生に問う。突然ハンドルを左に大きく、どころかハンドルがもげるくらいにぶん回していた先生の姿を、俺は見逃していなかった。


「わ、わわわわわたしと閑谷君が恋人だなんて・・・しかも二人で夜を共にしたなんてそんな・・・そんなことしたら私・・・」


あわわとあからさまに戸惑っている長濱先生を俺はやっちゃったなぁという顔で眺める。


ほんとにやっちゃったわ。これ。


ちょいと揶揄いすぎたようだけど、運転がここまで乱れるとは思ってもなかった・・・。


長濱先生は顔を両手で覆い、頬を赤くしていた。車のエンジン音だけがうるさく響く。


「に、妊娠しちゃうかもしれないじゃない!」


「いやしませんよ・・・。」


そういう意味ではやってなかった。


「ほ、ほんと・・・?」


疑うように俺を見る長濱先生。なぜこの人が養護教諭などやっていられるのか不思議で仕方なかった。


――ああ、機関のカモフラージュのためだったっけか、いや、それにしてもだけど。


生徒の方が詳しいってどうなのと言いたかったが、まあ長濱先生はそういう時はそれっぽくやり過ごすのだろう。きっとこれまでもそうしてきたに違いない。でなければ長濱先生が校内で恋愛経験豊富そうに見えるわけがないのだから。


「ホントです、安心してください。」


「よ、よかったぁ・・・いえ、良くはないのかしら・・・?」


混乱しているようだった。


「冗談が過ぎました。妹にはなんとか言っておくので、もう少し、運転お願いしますね。」


「え、ええ、そうね。取り乱してごめんなさい。いきましょう。」


そういうと先生は落ち着きを取り戻して、ハンドルを握り直し、また山中の道路をスピード出しまくりで走らせるのだった。


少しだけ空いた窓から入ってくる風が顔に当たるのが、絶妙に気持ちよかった。


長濱先生は、能力が、機関がない世界では何をしているのだろうか。


そんなことが気になった。


「先生。」

「ん?どうしたの?」

「先生って、夢とかありますか?」

「何よ急に。」

「いえ、ちょっと気になって。」

「ちょっと怖いわね。まあ別にいいけれど・・・そうねえ・・・」


少し考えてから先生は言った。


「よく考えたら私、クレープ屋になりたかったかも。」

「クレープ屋。」

「そう、クレープ屋。笑わないでね?」

「笑いませんよ。開業したらお客第一号になります。」

「ふふ、嬉しいこと言ってくれるのね。」

「リップサービスを所要します。」

「リップ!?」


きっと口づけか何かと勘違いしたのであろう長濱先生は少しだけ車体をぐらつかせたが、すぐに立てなおした。


「あ、相変わらず閑谷君は私をからかうのが上手ね・・・」


ぐったりしたような体勢で先生は言う。


「嘘じゃないですから。」


俺は微笑みながらそう返した。


先生も「そう、ありがとう」とだけ言って、ただ微笑みを返してくれた。


どこかで先生もこの世界の終わりに、機関の終わりに、この関係性の終わりに気付いていたのかもしれない。


だからこの話はもう、これっきりだった。


「さーて、もうひとッ走り行きますかぁ!」


山中でのイニシャルなんたらよろしく、先生の見たこともない走行技術に酔いしれ、圧倒的不快感と共に我が家の到着したことは、内緒の話である。






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