六日目 転機
第53話
「おはよう。調子はどうかね、閑谷君。」
「まあ、そこそこといったところです。」
ハハハとしゃがれた声で笑う老人。高級そうなソファに腰かけ、俺は向かいの高級ソファに座る老人と相対していたのだった。
要は六日目の早朝ということである。
部屋の窓から眩しい日の光が差し込んでいる。長かった暗闇のせいで太陽の光にまで安心感を覚える始末だ。本当に、俺は生きて帰ってきたらしい。
そもそも―
俺はふと下に目を遣る。自分のズボンを見た。白いカッターを舐めまわすように見た。
やはりそうだ、全て元通りだ。いや、元通りというか別物というか。
俺のズボンはまるでクリーニングにでも出した後のような綺麗な折れ目のついたスラックスで、昨日刺されて破れ血まみれだったはずの白カッターももれなく新品同様な状態だった。
疑うのも無理はないだろう。どう見たって新品を用意されたのではなく、「修復」された又は「巻き戻された」ような状態なのだから。
俺はカッターの内袖に乱雑に書かれた自分の名前をチラりと見た。首元に書くはずの名前をこういう普通は見ない所に書く俺の癖が良くも悪くも俺を混乱させたのだ。
「君と、最後にもう一度話がしたくてね。」
老人の声に、顔を上げる。
「とはいえ、君は私と話したくはないのだろうが。」
「・・・」
何だこいつ超能力者か。
「昨日あんなことがあった後だ。私の正体を知れば委縮するのも無理はない。」
「いや、まあ・・・」
そりゃシオンから聞いた戦いぶりではどう考えてもこの老人は鬼か悪魔みたいな武神なわけで、そんなの知ったら体中に冷や汗かきながら対面せざるを得ないでしょ。
膝に置いた拳の中が湿っているのが分かる。気持ち悪い。
「手短に済まそう。これは私からの単なるお願いだ。」
「お願い、ですか。」
「そう、お願いだ。それも世界を保持する機関の会長として最初で最後のお願いだ。」
少し、違和感を覚えた。最初で最後、どういう意味なのだろう。この老人は自分の寿命を把握したうえでそう言っているののか、はたまた単に人にお願いするなんて御免だという生き様の現れなのか。ともかくなんかおかしいな、と思った。
「自分に出来ることなら。」
何の能力もない俺に出来ることは大してないと思うが。
精々橿原の願いをかなえてあげるくらいだ。彼女を満足させて世界を元に戻すことくらいだ。
大したことか。
「ありがとう、そう言ってもらえるとこれまで骨身を削って尽力してきた機関の皆も救われよう。」
老人は神妙な面持ちで遠い窓の外を見た。悲哀に満ちた顔。なんだろう、機関のために人生を捧げ、命を賭してきたかつての仲間でも思い浮かべているのだろうか。なんて、これはただの憶測だ。
「で、何をすればいいんですか?俺は。」
老人の目先に俺も視線を合わせ、居るのかすら定かではない世界の守護者ともいえる彼らに一応頭を下げといた。先人への礼は忘れない。恩人も、もれなくね。
だからまあ、俺がこの命の恩人とも言える老人の願いを聞き入れることは自然なことだった。
あくまで聞き入れるだけで、叶えられるかどうかは別だが。
「あー、そうだな、まずは・・・」
まずは?何個もあるのか?
「ワシの写真を撮ってくれんか!!」
「・・・へ?」
どんな大層なお願いをされるのだろうかと思っていたので、顎が外れるようにぽかんとしてしまった。
てか急にワシて・・・おじいちゃん感激増よ。
「ワシの写真を、おぬしのすまーとふぉんで撮ってほしいのじゃ。」
「ええと、いいですけど・・・」
「本当か!!!良いのか!!!嬉しいぞワシは!!」
突然親戚のおじいちゃんみたいに豹変してしまった老人に俺は驚いた。その顔は確かに傷こそあれど威厳も威圧もなく、ただ朗らかな孫を見るような顔だった。
年齢的には俺のおじいちゃんくらいの歳ではあるのだろうが。
「でも、写真なんかとってどうするんです?」
ブロマイドでも作って機関の宣伝でもするのだろうか。
「保険のようなものじゃ。」
「保険・・・」
「そう、保険じゃ。元の世界に戻った時のな。」
「あんまりよくわかんないですけど・・・」
というか世界が元に戻る前提で話を進められると俺の荷がまた一層重くなりますね。
「君の能力の話は、理解しているかね?」
「まあ、一応。」
嫌でも、という感じですが。
「それと同じで、この世界が元に戻ったところで、この七日間の記憶は全ての人間に残らないと考えられている。」
これは推測だが、という前置きをして老人は続けた。
「結局この世界は特異点によって作られた一時的な世界でしかないのじゃ。だから元に戻れば、元の世界のこの一週間は何らかの形で全人類の記憶に補填される。というのがワシら機関の結論じゃ。」
俺が難しい顔で聞いているのを見て、それでも老人は続けた。
「けれど、ここに問題が発生するのじゃ。」
ここぞとばかりに老人は語気を強め俺を見る。
「元の世界に戻ったところで、本当に世界が完璧に元に戻るのかどうかも定かではないのじゃよ。」
「・・・どゆことですか?」
もうどこもかしこも良く分からないが俺はとりあえず疑問を投げておいた。
元の世界に戻らなければ一体どうなるというんだ。魑魅魍魎か?ファンタジーか?
「ああ、いや――、これは少し言い方を間違えてしまったかな。すまない。」
突然、機関の会長の顔と口調に戻った。なんなんだこの人本当に。
「厳密にいえば、元の世界で『能力』が存在するか分からない、ということだ。」
厳密に言われても良く分からないが、俺はごくりと唾をのんだ。それっぽいから。
「特異点の持つ『願いを叶える』能力が、『能力』そのものを消滅させてしまう可能性を我々は考えている。そうなれば君たち一般人にとっては『元の世界』の『元の日常』だが、能力を持つ人々—それこそ機関や敵対組織の存在は恐らく消えてしまうだろう。」
「消える・・・」
「あくまで能力や組織が消えるだけで、人の存在が消えるわけではないのだがね。」
私は何の職に就いているのだろうか、と真面目そうにふざけて見せる老人。多分あなたは道場の師範とか盆栽職人ですよと言おうと思ったが、そんな空気でもなかったのでやめた。
少し、考えてみた。長濱先生や佐藤、それにシオンはどうなるのか、能力そのものがなくなることは俺にとってはきっと喜ばしいことだが、逆に言えば能力こそが俺と彼女らを結ぶ一つの尊い糸だったのではないかと思い至った。
「あの、長濱先生とかは―」
「どうだろう。全て可能性の話だ。どうなるかはわからんよ。」
「そうですか。」
分かり切っていた言葉に、頭を落とす。答えが出ないことなんてわかっていたのに。
「まあ、だからこそのお願いなのじゃ。」
俺は顔を上げた。また親戚のおじいちゃんのような老人が、そこに現れていた。朗らかな笑顔。
「えと、スマホで写真を撮ればいいんでしたっけ。」
そんなことをして何になるんだという言葉を必死に抑えて、俺はポケットからスマホを取り出した。まだ新品の俺のスマホは昨日の衝撃でもなんとかその品質を保っていたみたいだ。それか修復されたのだろう。
「それが、わしの希望的観測なのじゃよ。」
俺のスマホを指さして老人は言う。しわがあるが、張りもある生きた手に釘付けになる。
「おぬしのフォルダーには、元の世界での記録が残っておろう?」
「あー、ハイ、まあ。」
俺のスマホに残っている記録なんてこの世界では一ミリも役に立たないデータだけ。
「おぬしと同じじゃ。」
「?(なにニコニコしてんねん)」
「おぬしのすまーとふぉんにはまだおぬしの能力が残っているのじゃよ。」
「能力・・・」
能力の干渉を無視するだけの能力・・・それが俺のスマホに?
「あくまでこれも可能性じゃが、この世界で保存したすまーとふぉんの記録だけは、元の世界にそのまま持っていけると睨んどるのじゃ。」
ここだけの話じゃぞと口の前で人差し指を立てた。
「じゃから、おぬしには機関の会長としてのワシを記録に残してもらい、元の世界でもなんとか伝記にでもしてくれんかと思っとるんじゃ!」
「伝記・・・」
「そう、わしは小さい頃からああいう本に載るのに憧れ取っってのう。いわゆる歴史上の偉人というやつじゃ。シリーズものが大体あるじゃろ?」
子供のようなテンションで喋りたおす老人に俺は気圧されていた。全く飲み込めない。
「まあ物は試しじゃ、ほれ撮ってくれんか。時間もなかろう。」
腕時計をちらと見た後、もう6時じゃと声をあげ、急いで腕を組み会長室の椅子に自信ありげに座る老人を俺は写真に撮った。なにがなんだか分からないまま撮った写真は如何にも創業100年を超える老舗の初代店主みたいな威厳のある写真になった。
でもこれ、歴史上の偉人シリーズには載らなくないかな、とは口が裂けても言えなかった。
「ともかく、色々試してみることじゃ。体に文字を残しておくとかな。」
それじゃあ後々困るか、ガハハなんて笑う老人を後にして、(勿論そのあときちんとお礼は伝えた)俺は機関の本部から漸く出て、外の空気を吸うことができた。
振り返ると大きなビルが天を突くように伸びている。
これが世界を保持する機関の本拠地・・・
言われてみれば納得する、その程度だった。
「閑谷君、行くわよ。」
黒い長濱先生のワゴンから先生が顔を出す。手招きの速度に急げという無言の圧力を感じ、俺は駆けた。
風がカッターの間を通って、また抜けていく。
俺にとってのこの世界六日目が、始まった。
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