第44話

ガラガラ


保健室のスライドドアが勢いよく開けられる音で俺は現実(夢の世界?)に引き戻される。


長濱先生だと思った。


「長濱せん――」


「こんなとこで何してるんだ、もう下校時間だぞ?」


「え・・・・・・?」


え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?


「なんだ、鳩が豆鉄砲くらったような顔をして。」


「誰・・・・・・・・・・?」


保健室のに入ってきたのは長濱先生、ではなく、角刈りで四角い顔に厳つい眉毛の中年男性だった。この学校の生徒として二年過ごしてきたが、一度たりとも見たことはない顔だった。


え、誰この人・・・長濱先生じゃないし。


「誰はないだろう、誰は。閑谷。」


「あ、あはは・・・」


俺は愛想笑いを見せた。中年男性はどうやら俺のことを知っているような素振りだった。いや俺は知らんから。


「さあ下校時間だ。早く帰りなさい。先生は仕事が残ってるんだ。」


「えーと。」


どうやらこのやや強面の男は先生らしい。体育の先生だろうか、と俺は予想した。俺の知っている体育の先生はこんな顔ではないが。


「長濱先生って今日お休みですかね?」


「ん?」


この男が俺の事を知っているのは不思議だが、なんなら好都合だった。同僚であるに違いない長濱先生を探す手間が省けるのだから。


しかし、帰ってきた言葉は予想外だった。


「誰だ?その先生?」


男はきょとんとした顔を浮かべる。


「へ・・・?」


俺も同じように困惑する。あまりに静かな時間が保健室の中で流れた。


「いや、養護教諭の長濱先生・・・ですけど・・・。」


俺は恐る恐る言葉を紡ぐ。この男との距離感がいまいち掴めなくて困っていた。


目の前の男は、それでもなお不思議そうな顔つきのまま俺を見ていた。まるで俺のことをおかしな奴だと言わんばかりの目だ。失敬な。


「寝すぎて変な夢でも見たんじゃないのか?書類は受け取っておくから、とっとと帰りなさい。」


「え、いや、あの。」


そういうと男は俺の背中をおして保健室の出口まで俺を追いやった。俺より大きな体躯と服の上からでもわかる並み以上の筋力が一般人の俺を軽々と運ぶ。


俺は保健室の外、廊下に放り出された。さながらボールのような反発力で跳ねる。スライドドアの取っ手に手を掛けて、男はこちらを一瞥した。


「冗談で先生を揶揄うもんじゃないぞ。この学校の養護教諭は先生だけだからな。」


ガラガラと音を立てて目の目のスライドドアは閉められた。そして数秒後にカチャと内側からカギがかかる音がした。


俺は放り出された後の崩れた姿勢のまま、呆然としていた。


「ええと、何がどうなって・・・」


長濱先生がこの学校に居ない。存在ごと。


それだけで俺にとっては衝撃だった。


そしてこの訳の分からない、出口も見えない世界の手がかりが完璧に遮断されたように思われた。


なにがどうなってんだよ。夢の世界だと思ってたのに、これじゃまるで別の世界に飛ばされたようなもんじゃねえか。あんな訳わかんない強面の養護教諭なんて知らないぞ!!


それにギャル橿原のことだって・・・




あ・・・


待ち合わせしてたの忘れてたな・・・・・・・


頭の中が?で埋まり、混乱しきった状態で、俺は丁度良く廊下に設置された時計に目を遣る。


ギャル橿原と教室で別れてから、30分が立とうとしていた。


もう何が何だかさっぱりですよ、まったく。


俺はぼやきながら立ち上がり、廊下の床で汚れたかもしれないズボンをポンポンとはたいた。手の感触、視覚嗅覚、その他諸々の感覚が、俺に現実を突き付けていた。


恐らくこれはただの夢の世界ではないようだ。目覚めようにも目覚められない。


パンッと軽く両頬を両手で叩いた。あわよくば夢から覚めたいと思ったが、じーんとした痛みが頬に走っただけだった。だが同時に、弛んでいた気持ちが引き締まるのを感じた。きっと死後の世界でもないし、ただの夢の世界でもない。何か特別な世界であるに違いない。俺はそう確信していた。俺を取り巻き続けてきたこの五日間の異常が与えてくれた「適応力」に他ならない。


で、あるならば、だ。


俺は落ちたままだった荷物をブワッと拾い上げ、玄関へと駆けだした。


元の世界に戻るためのカギは絶対にギャル橿原にあるはず。長濱先生が居ないからって俺に何もできないわけじゃない。というか、俺の問題なんだ、最初から俺一人で解決できなきゃおかしいよな。


下駄箱で流れるような動作で上履きをしまい、外履きを繰り出す。この動作はいつもの世界だ。


靴を履こうとして、かかとを踏まないようにしながらも急ぐあまり、俺は玄関から出る直前で躓いてしまった。

ゴテン

痛い、ほんとうにたまったもんじゃない。こんな夢みたいな世界なら痛みなんてなくしてくれてもいいだろうに。


「待ってろギャル橿は――――」

「何言ってんの?」


クラウチングスタートのような姿勢で躓きから立ち直り駆けだそうとした俺の目の前にヒラりとスカートが舞った。俺の視線の高さではスカートとセーラーの境目しか目に入らない。しかしこのスカートの異常な丈と冷ややかな声、顔を見るまでもなかった。


「あ・・・」

「遅いってのー。待ちくたびれたし。」


パーマの当たった艶やかな髪を指でクルクルと巻きながらそう言うギャル橿原。相変わらず大人っぽさと小悪魔のようなオーラが彼女を包む。夕日も、彼女にばかり目がいっている。


「何してたの?遅くなーい?」

「あ、えっと、その・・・すみません。」

「すみませんじゃないってのー。心配したじゃん。」

「面目ない・・・」

「これはもう罰ゲーム決定だね。」

「・・・・罰ゲーム。」


玄関でこけ、犬のような姿勢で見上げる惨めな俺を、やや気だるげな立ち振る舞いで足蹴にする女王様のように見下ろすギャル橿原。そして告げられる罰ゲーム。


SMプレイの極致ですか、これ。

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