39 語らぬ二人
クリアちゃんが去った応接室には、重苦しい空気が充満していた。
壊れた壁の外から中を窺ってくる魔女狩りたちの喧騒とは対照的に、私たちはしばらく誰も口を聞かなかった。
「ロード、しっかりしてください!」
そんな中、声を上げたのはアリアだった。
重症のロード・デュークスの介抱をしていた彼女は、悲痛な声で叫ぶ。
クリアちゃんのショックで頭が混乱していた私は、その声に我に返ってすぐに顔を向けた。
床に倒れ込んでいるロード・デュークスは、既に炎からは解放されているも、全身大火傷だった。
一番最初に受けた攻撃が空けた体の穴は、焼き切れて最早流血すらしていない。
炎の手で掴まれた頭部は特に損傷が激しく、顔は爛れてその相貌には面影がない。
見るも無残な、あまりにも哀れな姿になってしまったロード・デュークス。
そんな状態でも辛うじて命を繋ぎ止めていることが奇跡的で、しかしそれでももう限界に近いことは明らかだった。
アリアが治療の魔法を使っているのに、彼の容体は一向に快方へと向かわない。
魔法だって万能ではないから。治しようがないほどに、激しい損傷を負ってしまっているのかもしれない。
でも、まだ生きているのならばなんとか助けたい。
私はすぐに駆け寄って、アリアのすぐ脇に身を寄せた。
「アリア、私に任せて」
「アリス……でも、でも……」
「できる限りのことは、やってみるよ。私、誰にも死んでなんて欲しくないから」
アリアは迷うように口をパクパクさせ、けれどすぐに口を噤んだ。
常に私に対して敵対してきたこの人を私が助けようとしていることに、気遅れを感じているのかもしれない。
けれど、命を助けることに関しては、立場や関係性は何にも関係ないと私は思うから。
ロード・デュークスに向けて全力の治癒魔法をかけてみると、確かに手応えはとても悪かった。
けれど全く効かないわけではなく、緩やかながらもダメージを癒すことができているようで。
少しすると、辛うじて外見は見られる程度に回復させることはできた。
けれど、肉体が負っているダメージ、それそのものを回復させるにはまだまだ時間と力が必要そうで。
私がやったことは飽くまで急場凌ぎ、一命を取り止めさせたにすぎない。
それでも、あのままでは回復が追い付かずに死んでしまっていただろうから、私が治癒できたのはよかった。
「すげぇよ、さすがアリスだ。俺はもう、ダメかと思ったぜ」
焼け爛れた姿から外見を修復されたロード・デュークスを見て、レオがホッと息を吐いた。
安堵に肩を落とし、ぐったりその場にしゃがみ込む。
「取り敢えず強力な治癒で強引に治しただけだから、ちゃんと治癒が得意な魔法使いの人に見てもらった方がいいとは思うけどね……」
「そこまで持ってけただけで、お前は大したもんだよ。俺やアリアの魔法じゃ、ロードの命を繋ぐことはできなかったさ」
正直私もダメ元で不安だらけだったから、取り敢えず状態を保たせることができたことに胸を撫で下ろす。
そんな私に、レオは優しく微笑んで肩を叩いた。
「この人は、とても褒められた人じゃないかった。でも、それでも、俺たちを魔女狩りにしてくれて、ここまで導いてくれた人ではあるんだ。その点に関しては、感謝もしてるしよ。死なれちゃ、困るんだ」
「そうだね。ただ、この人には生きて罪を償って貰わなきゃいけない。アリスを何度も殺そうとしたこと、私たちを、世界中の人たちを謀ったことを」
レオに賛同しながらも、アリアは少し怖い顔をして言った。
自分たちの上司である彼に対する思いと同時に、二人としては私の敵としての側面も大きいんだろう。
二人は、私の親友という立場と気持ちを、かなり利用されてきたわけだし。
正直、私もアリアと同意見の思いから彼を助けた節がある。
このまま死なれてしまっては困る。それで終わりでは困るんだ。
罪を償うという点もそうだけれど、彼にはこの先を見届ける責任があると思うから。
「君はデュークスの坊やすら、助けちゃうんだね。まぁ、それはとてもアリスちゃんらしいけどさ」
私たちが取り敢えず安堵を噛み締めていると、背後から夜子さんの声が振っていた。
振り返ってみると、さっきとは打って変わってニヤニヤ顔に戻った夜子さんと、お母さんが並んでいた。
けれど私をのんびりと見下ろす夜子さんに対し、お母さんはこちらに背を向けていて顔を合わせようとしていない。
「けれど、このまま坊やが命を繋いでも、もう二度と目を覚まさないかもしれない。それ程の損傷を負っていたことを、それを治したアリスちゃんだったらわかったんじゃないかい?」
「……確かに、そうですけど。でも、見捨てることはできませんでした。この人は決して悪人ではなかったし、死んでいい人なんかでは、絶対にありませんでしたから。助けられるのであれば、助けます。それを徒労だとは、私は思いません」
「良い答えだ。君がそれを踏まえてやったことならばいいのさ。それに、その選択は間違ってない。私たちだって、別に死んで欲しかったわけじゃないしね」
黙するお母さんをチラリと窺いながら、私はいつも通りの雰囲気を醸し出す夜子さんと会話をする。
夜子さんは私に反応に気付いているようだけれど、それに対して何も言わなかった。
「それにしても、状況は最悪だね。まさかこんなことになるとは思わなかったよ。クリアちゃんは確かに扱いが難しい子だけれど、アリスちゃんの意思に反することはしないと思ってたんだけどね。これなら、坊やと真っ向から敵対していた方が、遥かにマシだったよ」
「夜子さん、あの、私聞きたいことが沢山あって……夜子さんたちは一体、何をしようとしているんですか? ジャバウォックの出現を止めようとしているのは、もちろんわかっていますけど。でも、なんだか……」
「おっと、残念ながら今は、いつものように楽しくお喋りをしている時間はないんだ」
ずっと抱えていたモヤモヤを吐き出さんと口を開くと、夜子さんは困り顔で肩を竦めた。
突然飛び込んできたお母さんと夜子さんの、その立場と目的を確かめたかったのに。
けれど夜子さんは、それを話せないというよりは、全く話すつもりがないような様子だった。
「クリアちゃんがジャバウォック顕現の術を知ってしまった以上、うかうかしていられないからね。早く見つけ出して、その企みを阻止しないと。ジャバウォックが姿を表すようなことになれば、何もかもが台無しだからね」
「それは、そうですけど。ならそのために、みんなで力を合わせましょう。情報を共有して、一丸になればなんとかなりますよ。だから……」
「そうしたいのは山々なんだけれどね。生憎私たちは、君たちと肩を並べられる立場じゃ、もうないのさ」
「それって、どういう……」
なんとなく口振りが不穏で、私は不安の目を向けた。
そんな私に、夜子さんはそっと微笑む。
「私たちは一応、今まで穏便に済ませようとしてきたんだけれどね。ただ、こうなってはそうも言っていられないし、手段を選んでいる余裕はない。それに、私たちがジャバウォックを阻止したいのは、極めて個人的な理由だからね。君たちとは、目指しているものが違うのさ」
「言っている意味が、よく……」
「いやぁ、アリスちゃんはわかっているんじゃないかい?」
ニヤリと、夜子さんは怪しげに笑うと、くるりとこちらに背を向けた。
「私たちは、目的の為に絶対にジャバウォックを許せない。それを止める為なら、もう何の犠牲をも厭わない。アリスちゃん、君の命以外はね」
「ッ………………!」
そう言い捨てて歩き出した背中は、とても重いものを背負っているように見えた。
そこにある覚悟が、今の言葉が嘘ではないと物語っている。
私が彼女たちから感じた気迫は、やっぱり間違いではなかったんだ。
それ以上言葉をくれることなく、夜子さんはツカツカと歩いて行ってしまう。
そんな彼女の続いて、お母さんも足を動かして、けれどすぐにピタリと止まった。
少しの間そのまま立ち尽くしたかと思うと、徐に頭を動かして、その瞳の端がこちらに向いた。
長い髪に隠れて見える顔は、柔らかながらも凛々しく引き締まった、私のよく知るお母さんとは違うもの。
けれど、その瞳に浮かぶ色は、鋭さの中に憂いが揺らいでいて。
そこに、私が知る光が隠れているような気がした。
お母さんと、そう呼びたくて。でも呼べなくて。
私はただ、端に向けられるその視線を黙って見返すことしかできなかった。
一瞬なのか、それともしばらくそうしていたのかわからない。
そんなあやふやな時間が経って、お母さんは無言のままに正面に向き直ると、そっとフードを深く被った。
そのまま歩き出す背中を、私は呼び止めることができなかった。
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