29 世界を滅ぼす権利
私が強い姿勢を見せても、ロード・デュークスは顔色一つ変えない。
むしろ、こうやって私が反骨することを望んでいたかのように、興味深そうにこちらを観察している。
余裕が絶えないその笑みに、なんだか見透かされている気分になる。
思えば、彼ははじめから私に対して、腹の中を探るような態度をとっていた。
表面上は理性的な対話をしているようで、私が彼とは反する意見を持つことや、その意思を明確に示すことを望んでいるようだった。
ロード・デュークスは、はじめから私を抱き入れたり、手を取り合うなんてことは考えていなかったんだろう。
全部何もかも、飽くまで表面上の、形式だけのもの。彼は、私が否定することを望んでいたんだ。
彼が私を否定する、その材料とするために。
「私を止める。そう仰るのですか、姫殿下。私はただ、この世界に蔓延る
ロード・デュークスは至って冷静なトーンでそう言うと、ティーカップに手を伸ばし、優雅に口をつけた。
やつれくたびれた中年の男性ではあるけれど、貴族然とした堂々たる佇まいは、そんな何気ない所作も雅に見せる。
そこに彼の余裕綽々の態度が合わさって、どうにも嗤われている気がしてならなかった。
けれど感情的になってしまっては、表面上とはいえせっかく対話の場が整っているのに意味がなくなってしまう。
だから私は、燃え上がる感情を胸の内で温めながら、けれど頭は極力冷静に、対面する非情な大人の姿を見た。
「あなたの理念は、確かに正しい部分もあるでしょう。魔法使いであるあなたが、魔法の実態を許せないのも理解はできます。そして、その原因を根絶したいという気持ちだって、私にはよくわかる。でも、歩む道が間違いだったからといって全てをゼロにしてしまうのは、絶対におかしいと思います。それは、あなた一人が決めていいことじゃない。いいえ、誰にだって決める権利はないんです」
膝の上で拳を握って、揺るがぬ意志で言葉を向ける。
それに、ロード・デュークスは眉尻を下げた。
「────それは違う。権利を持つものは存在しますよ、姫殿下」
「まさか、それは自分だとでも、言うつもりですか……?」
「いいえ、私もそこまで傲っていはいません。私は所詮、ちっぽけな一人の人間にすぎない。ヒトには、そんな決定権は担えませんよ」
「なにが、言いたいんですか……」
「この世の存亡、そしてそこに生きる全ての行く末を決める権利を持つものは、ただ一つ。この世界、それ以外にありますまい」
「────!?」
薄く笑みを浮かべ、事も無げに言い放つロード・デュークス。
思いもよらない返答に、私は戸惑いを覚えずにはいられなかった。
「闇に葬られた古よりの伝承によれば、この世界は一度、混沌の魔物によって破壊されるはずだった。
「過去に一度、この世界が……?」
「混沌の魔物ジャバウォックは、世界の意思によって形を得、世界の望む通りに全てを破壊する力を振るったらしい。その伝承そのものでは、それによる終末は伝えられておらず、現に世界は今まで続いている。しかしこの伝承は、『始まりの魔女』ドルミーレの忌まわしき伝説と、繋がっていた」
「ドルミーレの昔話に関しては、私も以前聞いたことがありますけど、でもそんな話は……」
「両方とも、忌避すべきものとして歴史の闇に隠されていたもの。情報が正確でないのは致し方のないこと。しかし私は、これらの言い伝えから事実と思わしきものを見出した。かつて世界を破壊するために創り出されたジャバウォックは、恐らくドルミーレが討ち果たしたのだ」
「…………!」
ジャバウォックを、ドルミーレが討ち果たした。
ということはつまり、ドルミーレはかつて世界を救っているということ?
でも、そうだったとすれば、彼女がこんなにも忌み嫌われることは……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
けれど、本当にかつてドルミーレがジャバウォックと対峙しているのであれば、双方が天敵という状況が少し理解できる。
関係性まではわからないけれど、でもドルミーレとジャバウォックには因縁があって、それが今も尚お互いの在り方に作用しているんだ。
以前はドルミーレが勝利したのだとしても、彼女にとってジャバウォックは、決して相性が良い相手ではなかったんだろう。
「世界は古の時代の時点で、既に消えて無くなるはずだった。それを『始まりの魔女』が阻み、世界を歪んだ形で存続させてしまった。そんな世界に、一体どれ程の価値があると仰るのか。姫殿下、この世界はとっくの昔から、救いようなどないのですよ。目先のことを哀れんで、選択を誤ってはいけない」
ロード・デュークスの言葉は、何から何まで魔女憎しで埋め尽くされている。
ドルミーレが世界を存続させてしまったから、世界は今こんな風になってしまって、だからそれは間違っているのだと。
大昔の時代に世界は自らの意志でこの世を終わらせようとしていたのだから、それが本来あるべき形なのだと。
ドルミーレがとった行動は誤りで、そこから今までの全てはあってはならないものだと。
でも、本当にそうなんだろうか。
私もドルミーレのことはいい人だと思えないし、その考え方は受け入れられない部分ばかりだ。
でもその話が本当なら、彼女が世界を救ったことは事実で、それ自体は何も間違っていないはずだ。
だって、それによって救われた命は決して少なくないはずだし、結果この時まで世の中は続いているのだから。
ドルミーレが決していい人とは言い難く、そしてその彼女が振り撒いた『魔女ウィルス』が恐ろしいものだということは、どうしようもない事実ではあるけれど。
でもそれに囚われて、何もかも恨み尽くし、一つの感情に縛られてはいけない気がする。
それを理由にこの世界の全てを否定し、そこに生きる人を踏みにじることは、どうしたって正当とは言い難い。
私は今の話を必死に咀嚼してから、口を開いた。
「ロード・デュークス、あなたの考え方はわかりました。確かに、目先のことに囚われて、大局を見誤ってしまうのはよくないことです。けれど、それはあなたにこそ言えることではないんですか?」
「……と、いいますと」
「あなたの行動原理は、ドルミーレを始めとする魔女を憎み、忌み嫌うことに終始しています。その理屈にはある程度の正当性があったとしても、それは、今この時を生きる人たちを蔑ろにしていい理由にはならない。一つのことで頭がいっぱいになって、大切なものを見失っているのは、あなたの方ではないんですか?」
ピクリと、ロード・デュークスがの表情が揺らいだ。
私に否定されることは想定していただろうけれど、そっくりそのまま言い返されたことに、プライドが傷付いたのだろうか。
淡白で平坦な憮然とした表情に、不機嫌さがじんわりと滲み出た。
「なるほど、面白いことを仰しゃる。では、問いますが────」
やつれこけた風体の中から、重く鋭い視線が放たれる。
ロード・デュークス、静かな感情の波を揺らがせながら私を見つめた。
「あなた様は、この世界が正しいとお思いか? 『魔女ウィルス』がなければ、世界がこうでなかったらと、そう思われたことはないと? あなた様は、その身が抱える呪われた運命を、嘆かわしく思ったことはないのですか?」
「……確かに、こうじゃなければと思ったことは沢山あります。それによって失ったものは沢山ある。でも私は────」
「ならば、あなた様にもわかるはずだ。私は、これ以上この世界で誤ちが繰り返されぬようにと、そう願っているのです。失われたものは、もう帰っては来ないのだから」
今までとは違い、その言葉には少なくない感情が込められているように感じられた。
淡々とした、機械的な言葉の羅列じゃない。そこには、彼自身の気持ちが含まれている。
悲劇が繰り返されないためにと、そう言いたいのだろうか。
でも、そのためにあらゆる未来を犠牲にすることが、本当に正しいことなんだろうか。
確かにこのままではまだまだ悲劇は増えていって、時間が経つだけ流れる涙は増えていくかもしれない。
でもそれと同じくらい、いいことだって沢山あるはずだ。希望が全くないなんてことはないんだから。
悲しみを恐れて塞ぎ込んで、希望までも突き放してしまうのはよくない。
前を向き、歩みを進めていかなければ、何も得られない。
諦めてしまうことが、一番の絶望だ。
「それでも私は、世界を守りたい。その上で、みんなが笑える未来を目指したいんです」
私は首を横に振りながら、噛み締めるように言葉を口にした。
「終わりは救済にはならないと、私は考えます。ロード・デュークス、あなたの優秀な頭脳と実力を、もっと前向きな方法に使うことはできないんですか? あなたならば、こんな犠牲を出す方法以外にも、何か策が出せるんじゃないですか? 私は、できることならみんなで一丸となって、この世界を救いたい」
「……姫殿下はお優しいお方だ。そのお心遣いは痛み入りますが、それはできない相談です」
「どうして……!? あなたにだって、失いたくないものはあるでしょう? 他に方法が見つけ出せれば、あなただってその方が……」
「いいえ、私にはそのようなものはありません」
ロード・デュークスは小さく息を吐いて、そうポツリと言う。
その瞳の内側で揺らめていて、不機嫌さに、どこか悲しみが混じったような気がした。
「失いたくないものは、とうの昔になくなってしまった。犠牲は、既に払っている。この世界が在り続ける以上、救われるものなどないのだと、私は知っている。だから私は、この世界の誤ちを清算しなければなれないのだ」
その言葉に込められているのは、単なる憎しみの感情だけではなかった。
彼の野心や願望、私利私欲だけで口にされた言葉ではない。
それは、ロード・デュークスの信念によって紡がれたものだと、わかった。
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