77 抑止
「それは確かに……思っているわ」
私は、ここに帰ってきてから抱くようになった、親愛の気持ちを確かめながらしっかりと頷いた。
以前は何もかもに無関心で、そして遠ざけていた私だけれど。
でも今は、二人の友人と、そして最愛なる人をとても大切に思っている。
「けれど、それが何か問題なの? ヒトは皆、誰かを想っているものなのでしょう? 私のそれは、特別なものではないと思うのだけれど」
「そうね、そう。ヒトが誰かを想うことは、別に変わったことではないわ。ただね、あなたに関しては、その優先順位が問題になるのよ」
私が肯定したことに対して嬉しそうに微笑みながら、しかし未だ辛そうに顔をしかめるミス・フラワー。
彼女は悩ましそうな目を私に向けながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「あなたは、その大切な人たちのためなら、全てを捧げたいと思っている。それはつまり、世界のことは二の次……いえ、極端なところどうでもいいと思っているんじゃなくて?」
「それは……」
ミス・フラワーの指摘に、正直否定はできなかった。
私にとって、世界や役割の優先順位は確かに低い。
私は愛する人たちのために生きたいし、この力だってそのために使いたい。
もし世界とどちらかを選べと言われたら、私はきっと迷うことなく愛する人たちを選ぶだろう。
しかし、それを明確に口にしてはいけないのだろうと、何故だかそう思えた。
だから言い淀むことしかできずにいると、ミス・フラワーは静かに目を細めた。
「私は、あなたのその気持ちはとても素敵だと思う。私自身は、あなたに幸せになってほしいと思っているから、そう考えられるようになったことはとても嬉しいわ。でもね、アイリス。それは、あなたに与えられた役割に反する恐れがあるのよ」
優しくそう言ったミス・フラワーの言葉で、私はようやく彼女が言わんとしていることを理解した。
つまり、私が世界のことよりも愛する人たちを優先することが、世界に対する背徳行為となる可能性がある、という話だ。
役割に手をつけない、または後回しにするならまだしも、世界の意思に反する行為は許されないと、そういうこと。
私は友人たちの大切さを知り、そして心から愛する人と出会った。
だから私はそんな人たちを何よりも大切にしたいと思っているし、その為だけに生きたいとすら思っている。
その意思、考え方が、世界の思惑と逸れてしまうということ。
私は世界によって生み出され、この世界に生きる人たちをより深い神秘へと誘なうことが役割だから。
そんな私が世界全体のことよりも、特定の人たちを絶対的に優先することは許されない。
これだけの力を持つ私がそれを実行すれば、最悪世界を滅ぼしかねないからだ。
そこまで理解できた。
けれどそういった事情が、今のミス・フラワーとどう関係するのだろうか。
そう考えて、すぐに答えが思い浮かんだ私は、ハッとして花の顔を見上げた。
「────ミス・フラワー、あなたまさか……」
「そのまさかよ、アイリス」
ミス・フラワーは依然笑みを崩さない。
崩さないけれど、その元気はどんどんと萎んでいっている。
今にも枯れ果ててしまいそうな様子で、しかし彼女は私をしっかりと見据えた。
「私はあなたの力の一部で、あなたを見守る存在。そして同時に、あなたをコントロールする抑止の立場もある。基本はただ、あなたの横でニコニコしてればいいだけなのだけれど、あなたが道を踏み外しそうになった時、私はそれを正さなければいけないの」
「………………」
そう。それは以前彼女から聞かされていた。
ミス・フラワーは、私をヒト足らしめる為に、力の一部が別れて生まれた存在。
私はいつか彼女という一部を取り戻して、全力を賭して役割に従事しなければならなかった。
私から分離して客観的に私を見ることのできる彼女は、私を支えるのと同時に、もしもの時に備えた保険の役割を担っている。
つまり、私が世界よりも個人的なものを優先しようとしている今、彼女はそれに対する修正を行わなければならないということなんだ。
「私個人としてはね、あなたの意思を尊重したい。でも私は飽くまで力の一部でしかなくて、私の気持ちは関係ないのよ。私という存在は、自動的に役割を全うしてしまうの」
「つまりあなたは、私の道を正す抑止の役割を行わなければならなかったせいで、そんな不自由な状態なの?」
「ええ、そうよ。もっと正確にいうのであれば、その役割を何とか堪えようとしていたから、あなたとお話する元気が出せなかったの」
「…………!」
この約一年半の間、彼女がずっと沈黙を続けていた理由はそれだった。
煩わしいほどに陽気で、お喋りが好きでいつも歌うように語らっている彼女が、一言も口を開かないほどになっていたのは。
全身全霊を使って、その抑止の役割を押さえ込んでいたから。
彼女の気持ちが役割に作用しないとしても、私の力の一部なのだから、少なからずの抵抗はできたというのとなんだ。
「まぁ、それでも全てを押さえ込むことはできなかったけれどね」
「その抑止というのは、一体どうなることなの? 全てを押さえ込むことはできなかったということは、少なからず発現していたのでしょう?」
「ええ、あなたも知っているものよ。世界の力を持ち、その真理に通ずるあなたと、対照的なもの。それは既に、あなたの前にも現れたはず」
「まさか、それは……!」
直感的に、私は悟ってしまった。
理由も根拠もないけれど、でもそうとしか思えなかった。
あの気持ち悪さ、相入れないであろう
「今この国に現れているあの魔物。あれが、抑止だというの……?」
「そうよ。あなたが尊重しているものを排除して、あなたの道行を正そうとしている現象。あなたが通ずる真理と反することで、あなたに対するカウンターになっている存在の片鱗。それが、あなたたちが魔物と呼ぶもの」
「────────」
私は言葉を失いながら、思わず一歩後ずさった。
信じられないと思いつつ、しかし納得できてしまう。
だってあの魔物たちは、以前私が相対した時、何事よりも私に対する敵意を優先していたから。
あれらを見た時に感じた生理的な嫌悪感は、私に反する存在だったからだと、そう言われれば納得がいく。
『にんげんの国』にしか現れないのも、私の大切な人たちがこの国の人たちだから。
その人たちをピンポイントに狙わず、そして出現がまだまばらなのは、ミス・フラワーが押さえ込んでくれているからなのかもしれない。
もしその抑止が全力で私を正そうとすれば、魔物たちは確実に私の大切な人たちを奪い、そしてその周りのものを蹂躙するのだろう。
そして果ては私にまで至り、もしかしたら意思や考えを捻じ曲げにかかってくるのかもしれない。
あれは、そういう存在だったんだ。
「気をつけて、アイリス。私は、あなたはあなたらしく生きればいいと思っているけれど……でも、場合によってはこのままでは、大いなる混沌が、あなたを覆ってしまうかも、しれない……」
ミス・フラワーの声は段々と弱々しくなり、それでも必死の言葉が私に向けられる。
輝きが弱くなっていく瞳が私をしっかりと捉え、強い意志を伝えてくる。
「気をつけて、アイリス。私に、気をつけて────」
切実なそんな言葉を最後に、ミス・フラワーは再び萎れ、語らぬ花に戻ってしまった。
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