3 深い森の中

 のどかな町並みの中を、イヴニングとホーリーはトコトコと足取り軽く駆け抜ける。

 建物よりも木の方が多いようなこの小さな町の中など、彼女たちはとうの昔に知り尽くしている。

 だから最近の彼女たちの遊びといえば、専ら町の外へ出掛けることだった。


 同年代の子供たちは学校が終われば家の手伝いをしたり、隣の林で遊んでいるのが普通の風景。

 しかしそれでは収まりきらないホーリーの好奇心に、イヴニングが付き合っている形だ。

 だがイヴニング自身も満更でもない。静かで平凡な町の中で、ホーリーといる時が一番退屈しないからだ。

 ホーリーは、彼女にいつも刺激を与えてくれる。


 イヴニングの生まれた家は林業を営んでいる、林と共に生きるこの町ではありきたりな生業の家庭だ。

 両親共に突出した学はなかったが、イヴニングは知識に飢えた聡明な子供だった。

 快活さはないが欲求には素直な彼女は、町中にあるあらゆる本を借り受け、既にその全てを読破している。

 小さな町にある本の数など高が知れているが、その全てを頭に入れ、そしてそれに自らの見識を交えた彼女には、最早学校で教えることなど退屈でしかなかった。


 しかしそんなイヴニングを、ホーリーはまだ見ぬ世界へ連れて行ってくれる。

 町の多くの大人たちよりも様々なことを知ってるイヴニングだが、しかしそれは知識に偏っている。

 そんな彼女に色々な体験を与え、手を引いてくれるホーリーという友人を、イヴニングは大切にしていた。


 故にイヴニングは、決してホーリーの誘いを断ったりなどしない。

 寧ろ、今日はどんなことに目をつけたのかと内心楽しみにしているくらいだ。


「それにしても、どうして大人はあの森に行っちゃダメって言うんだろう」


 町境の低い柵を越え、草原に乗り出した時ホーリーがポツリと言った。

 彼女たちが向かおうとしている国外れの森は、草原をひたすら南に一時間ほど歩いた先にある。


「森なんて、そこの林のもう少し大っきいやつでしょ? 別に大して変わらないと思うんだけど。オバケが本当かはあやしいし」

「まぁ定義としてはそうだけどね。問題は大きさじゃなくて、あの森だから、だろう」


 気持ちが急いて足早になっているホーリーの後をのんびりと続きながら、イヴニングは答えた。

 草原に出たことで暖かな日差しが目一杯降り注ぎ、日向ぼっこをしているような心地良さのせいか、その顔を少し眠そうだ。


「オバケが実際出るのかは知らないけれど、みんなおっかながってるんだよ。あそこの木は、動くからね」

「木が動く?」

「そう。根っこが足の様に蠢いて、自由に行き来するって話だよ。まるでヒトみたいにね」

「なにそれおもしろそう!」


 町の人々が気味悪がっている話に、目をキラキラと輝かせるホーリー。

 そんな彼女を見てイヴニングは、だから大人はオバケが出ると言って脅すんだなぁと納得した。


「もしかしたらお話できる木がいるかもしれないね! イヴ、早く行こうよ!」

「まぁまぁ。森は逃げないからのんびり行こうよ────いや、木が動くなら逃げるのかな?」


 グイグイと手を引くホーリーと、それでも自分の思案に入るイヴニング。

 二人は自身のペースを貫きながら、ワイワイと青々しい草原を歩いた。


 そしてしばらくひたすらに真っ直ぐ歩み続けて、二人は一時間も掛からずに目的の森に辿り着いた。

 鬱蒼と茂った木々は、町にある林とは比べ物にならないくらいに密集し、その全体像は遠目から見たときでも計り知れないくらい壮大だった。

 しかし、木の密集地帯として大きさはあれど、別段何か代わり映えがする様な場所ではなかった。


「ここ、でいいんだよね? なんというか、大っきいだけでパッとしないけど」

「方角的には間違いないよ。ここが目的の森だ」


 拍子抜けだとでも言いたげな顔で眉を寄せるホーリーに、イヴニングは太陽の位置を確認しながら頷いた。


「でも、木は動いてないよ。いつもよく見る木となーんにも変わんない」

「まぁあくまで噂だからね。なんだい、もう飽きた?」

「あきてない! 中に入ってみよう。ウワサの女の人がいるかたしかめなくっちゃ!」


 イヴニングが発破をかけると、ホーリーはブンブンと首を横に振った。

 それからすぐにイヴニングの手をギュッと握って、勢いよく森の中に向けて歩き出す。


 木々がひしめき合って生い茂っている森の中は、しかし陽の光が器用に葉っぱの間をすり抜けて、深い森にしてはとても明るく心地が良かった。

 深緑に覆われた空間は空気が澄み渡っており、所々に咲いている花の香りが甘く柔らかい。

 時折鳥や小動物の声が聞こえてきて、とても賑やかで明るい雰囲気の場所だった。


 こんなところがどうして気味悪がられるのだろうと、イヴニングは純粋な疑問に駆られた。

 噂の様な特殊な木も今のところ見当たらず、気配も雰囲気も全く悪くはない。

 それでも、大人たちが忌避するのだからそれ相応の理由があるはずだが、それは全く見つかってこなかった。


 イヴニングが今まで読んできた本の中に、この森に関して多くを記述しているものはなかった。

 人から聞く話も具体的なことはなく、どう考えてもこの森を避ける根拠が見当たらない。

 恐らく過去の勘違いや、つまらない仕来しきたりから派生したものなんだろうと、イヴニングはその様に結論を向けていた。


「あれ、ちょっと待って」


 ホーリー先導の元、ずんずんとしばらく歩みを進めていた時のこと。

 進行を友人に任せながら黙々と頭を巡らせていたイヴニングの腕を、ホーリーはギュッと抱きしめて立ち止まった。

 急に止まられたイヴニングは勢い余ってつんのめり、おまけに木の根っこにつまずきそうになってよろめいてしまう。

 それに驚いたホーリーが慌てて彼女の腕を引いて、イヴニングは冷や汗と共に体勢を立て直した。


「あそこ。あの先になにかない?」


 乱立する木の隙間に目を凝らし、ホーリーはムムムと唸る。

 イヴニングがその視線の先を一緒になって見てみれば、確かに木とは違う何かがある様に見えた。

 大きな岩や壁の様に見えるが、しかしそれよりももっと整然としているように思える。

 どちらにしても、草木が生い茂っているせいでこの場所からではよく見て取れなかった。


「取りあえず行ってみよう。草木だけ眺めているのも飽きてきた頃だし、ちょうどいい」

「オ、オバケがいたらどうする?」

「その時は逃げるしかないなぁ。でもほら、美女かもしれないんだろう?」

「そうだけど、女の人に化けたオバケかも……!」


 ホーリーは少し不安そうに友人の腕にしがみついたが、イヴニングはどこ吹く風と足を動かした。

 先ほどまでとは逆転し、イヴニングが先導する形となって二人は森の更に奥へと進んだ。

 ぴったりとイヴニングの腕に張り付いて歩くホーリーだったが、見えていた何かに近づくにつれ段々とその不安は消えていき、最終的には腕を解いて前に駆け出た。


 深い深い森の奥。ずんずんと進んできた先には、木々が開けた広場があって。

 その中に、小綺麗な小屋が一軒建っていた。


「も、もしかして……!」

「もしかして本当に、誰か住んでいるのかもしれないねぇ」


 広場に辿り着いたホーリーは、先ほどまでお化けが出るかもしれないと言っていたとは思えない、溌剌な表情で目を輝かせた。

 そんな彼女に一歩遅れてやってきたイヴニングも、興味深そうに眺めながら頷く。

 鬱蒼と生い茂った深い森の中には不釣り合いな小屋は、二人の好奇心を大いにくすぐった。


「確かめてみようよ! どんな人がいるのか!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ね、ワクワクを隠せずにホーリーは声を上げた。

 そんな彼女にイヴニングが頷き、二人で小屋に近づこうとした時。

 突然小屋の扉がキィっと開き、二人は瞬間的に固まった。


 オバケかもしれないという可能性が駆け抜け、ホーリーはイヴニングに「ヒッ」と声を上げて飛びつき、彼女もまた大きく息を飲んだ。

 二人で身を寄せ合い、緊張と共に小屋から目を離せずにいると、そこから人影がスッと現れた。

 すぐにでも逃げられる様に身構えながら、それがどんなものかと目を凝らす二人。それは────


「え…………」


 それはどちらの漏らした声だったか。

 現れた人影は、彼女たちが想定していたものとは全く違った。


 小屋から出てきたのは、彼女たちと変わらない少女の姿をしていたのだ。

 それは黒い長髪を下ろし、黒いワンピースを着た、普通の人間の少女だった。




 ────────────

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る