135 人の気持ちというものは

 正直、自分でも何がどうなったのかわからなかった。

 考える前に体が動いていた。

 心が感じるままに体が動いていた。


 レイくんに突きつけられたゼロ距離の剣たちを、どうやって打ち破ったのかわからない。

 けれど事実私の手には、ここに落ちてきた時はなかった『真理のつるぎ』が握られていて、確かに打ち壊した感触が残っている。


 そして私は膝をつくレイくんの前に立って、静かに座すドルミーレを見据えていた。


「『真理の剣オリジナル』……」


 ドルミーレは立ちはだかる私を見て目を細めた。

 いや、正確には私の手にある剣を見て、だ。


 けれどその表情は一瞬で、すぐに小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべた。


「あら、どうしたの? あなたはもう、虜にされてしまっていていたのかしら?」

「そんなじゃないよ。レイくんは私の大切な友達だから。あなたに手出しなんてさせない。ただ、それだけ……!」

「……そう」


 またすぐに表情を引っ込め、ドルミーレは冷ややかな表情を浮かべる。

 自分の攻撃を振り払われたことに怒りを示すかと思ったけれど、それはなさそうで。

 ただ、私の行動には不服な様子だった。


「でも、その子はあなたにとっても煩わしい存在ではないの? あなたを誑かし、貶めようとしているのではなくて?」

「確かにレイくんとは今、意見が合ってない。けど、レイくんは私のことをちゃんと考えてくれてる。守ろうとしてくれている。私は、その気持ちを信じてるんだ」

「アリスちゃん……」


 レイくんの細い声を背中に受けながら、私は『真理のつるぎ』を握りしめた。

 確かに、レイくんには魅了の術をかけられたし、繋がりがあったとはいえ心の中に入り込まれた。

 ドルミーレの力を利用し、私に言うことを聞かせ、不本意なことを強要されてる。


 けれどそれでもレイくんは、常に私のことを考えてくれていたから。

 自分の目的の為に邁進しながらも、私が傷付かない方法を模索してくれた。

 ドルミーレを籠絡しようなんてとんでもない行いも、私を守る為だ。


 そんなレイくんを、見捨てるなんてできるわけがない。


「…………笑っちゃうわね」


 私とその背後のレイくんを交互に見てドルミーレはポツリと言った。


「私のことを大切だとか尊んでいるとか色々言っていた割に、結局あなたは今、その子が大事ってこと。あなたの方がとっくに籠絡されていたってことね」


 レイくんを見て、ドルミーレはカラカラと笑う。

 傷付いているというわけではなく、ただ嘲笑っているだけだ。

 他人なんてそんなものだと、そう言いたいかのように。


 レイくんはそれを真摯に受け止めながら、ゆっくりと立ち上がった。


「君に対する僕の気持ちに、偽りはないよ。けれど……あぁ、確かに今はアリスちゃんが大切だ。僕はアリスちゃんを愛している。君が彼女を塗り潰そうとするのなら、それを阻止したいと思うほどにね」

「矛盾ね。あなたは私の復活を望んでいたんじゃないの?」

「望んでいたさ。最初はね。いや、今だってできることならと思っている。けれど、どちらかを選べと言われたら、僕はアリスちゃんを選ぶ」

「………………」


 ドルミーレは理解できないというように眉をしかめた。

 他人を厭わない彼女には、人を思う心なんてわからないんだろう。


「それでも僕は、君だって大切だ。この憧れはきっと生涯消えない。だから僕はこの道を譲らなかった。大切なアリスちゃんを踏みにじってでも、君の尊厳を取り戻すことを優先させた。君に受け入れられないと、わかっていても。これが、僕の気持ちなんだ……!」


 レイくんは以前私に、何が一番大切なのかと尋ねてきた。

 私はそれを決められず答えられなかったけれど、レイくんもまたずっと移ろっていたんだ。

 人の心は、必ずしも断定できるものばかりじゃない。

 沢山の気持ちが複雑に絡み合って、時には論理的じゃないことだってある。

 でもそれが、心なんだ。


 レイくんのそれは決して矛盾じゃない。

 二千年の眠りに着き、誰にも心を開かないドルミーレより、今は私の方が大切だと思ってくれる。

 けれどそれでもドルミーレのことも大切だから、その名誉を守りたいという目的は譲れない。

 でもきっと、そういう気持ちは彼女には理解できないんだろう。


「……まぁ、なんでもいいわ。どちらにしろ、私にとってあなたが不要であることには変わりないもの」

「ッ………………!」


 理解すること、考えることを放棄して、ドルミーレはそう言い捨てた。

 その明確な拒絶の言葉は、先程の剣と同じような鋭さを持っていた。

 レイくんは歯をぎゅっと食い縛って押し黙る。


「どうしてあなたはそこまで、人を蔑ろにできるの!? 一人で閉じこもって、耳を塞いで……確かにあなたは多くの人に否定されて苦しかったかもしれないけれど。こうして想ってくれている人だっているのに……!」


 堪らず声を上げると、ドルミーレは鼻で笑って溜息を着いた。


「くだらないからよ。どんなに情を交わしても、そこに確かなものなんて存在しない。繋がりなんて存在しない。あるのは、醜い傲慢な欲だけ」


 あらゆる人々に虐げられてきた人生が、彼女の心を固く閉ざしてしまっている。

 誰も信じないのではなく、誰も信じられないんだ。

 それだけのことが、彼女の過去にあったのかもしれない。

 でもこうやってレイくんがずっと思い続けてきたように、彼女に寄り添う人が全くいなかったなんて思えないのに。


「あなたと問答をするつもりはないわ。私とあなたではあまりにも性質が違う。私はあなたを理解できないし、あなただってそうでしょう。でも、それでいいのよ」


 そう言うと、ドルミーレはすっと立ち上がった。

 私と全く同じ高さの視線が揺れ、レイくんへと向けられる。


「────とにかく、レイ。私はあなたの要求には応えないし、ましてあなたの色にも染まりはしない。これまでの数々の無礼は万死に値するわ。あなたがどれだけ私の為と言葉を並べようと、私はあなたの全てを否定する」

「ドルミーレ…………」


 氷よりも冷たい拒絶の言葉。

 全てを閉ざした、あまりにも心のない瞳。

 それが、レイくんを貫く。


 レイくんだってもうとっくにそんなことわかってる。

 わかっていても、まっすぐ向かってきたんだ。

 けれどその言葉は、ゴリゴリと音を立ててレイくんを抉る。

 レイくんはそれを、震える手を握り締めながら堪えていて……。


「私にあなたは必要ない。目障りなのよ、昔からずっと。そろそろ消えなさい」

「────いい加減にして!」


 言葉で息の根を止めんばかりのドルミーレに、私は喚き立てた。

 そして隣でくず折れんばかりのレイくんに腕を伸ばし、きつく抱きしめる。

 その身体は、とてつもなく細く弱く感じられた。


「レイくん、もういい。もういいんだよ。あんな人の言葉に、耳を貸さなくていい。彼女の為にあなたが傷付く必要なんてない。ドルミーレがどんなにレイくんのことを否定しても、私が受け入れるから。応えられなくても、絶対に目を逸らしたりしないから……だから……!」

「アリス、ちゃん……」


 もう手を伸ばすのはやめようと抱き締める。

 そんな私の背中に、震える手がそっと回ってきて。

 弱々しく声を溢しながら、その頭が私の肩に乗った。


「僕は────」


 ずっとドルミーレを想ってきたレイくん。

 受け入れられないと、見向きもされないとわかっていたと、そう割り切っていたとしても。

 それでも想いが途切れなかったのは、やっぱり希望のカケラがあったからだ。

 だからこそ、彼女の拒絶に傷付いてしまうんだ。


 私だってレイくんの気持ちに全て応えることはできないけれど。

 でもレイくんの心を受け入れ、向き合うことはできる。

 どんなに交わらず、ぶつかることがあったとしても。

 私は決して、レイくんから逃げない。


 その想いを込めて強く、強く強く抱き締める。

 そんな私に、レイくんは弱々しく確かに腕を絡めた。


「あぁ……僕はやっぱり、君を好きになってよかった……」


 ドルミーレがこぼした嘲笑は、レイくんの嗚咽が掻き消した。

 私に縋り付くように抱きついて、レイくんは恥も外聞もなく、泣いた。

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