117 心は間違わない
『目を覚まさせる! 善子さんが! わたくしを! 寝言は寝てからお言いなさい!!!』
獣の咆哮のような絶叫と共に、ホワイトはその淀んだ魔力を膨れ上がらせた。
人ならざる醜悪な気配は更に色濃くなり、メデューサのような髪の蛇が獰猛に牙を剥く。
何者をも射殺すような鋭い眼光と、蛇たちの頭が一斉に私たち向けられる。
相手は彼女一人なのに、数百の怪物に囲まれたような気持ちに駆られた。
『目を覚ますのは貴女の方です! 魔女の身でありながら、その至高性を理解できず、わたくしの正義を理解できない貴女こそが!』
「………………」
善子さんはホワイトの叫びに少し寂しそうな目を向けてから、私の方へと向き直った。
それはとても優しい、心安らぐ表情だった。
「アリスちゃん、力を借りていいかな。あの馬鹿をぶっ飛ばさなきゃいけないけど、私じゃ力不足だから。一緒に戦って欲しいんだ」
「もちろんです────ただ私、少し不安になってしまって……」
「なぁに、大丈夫だよ」
快く返事をしたはいいけど、先程ホワイトに言われた言葉を思い出して、思わず顔が下がってしまう。
そんな私の背中を、善子さんは強くポンポン叩いた。
「あの子に言われたであろうことは、凡そ想像がつく。あの子の正しさの前では、私たちのやってることなんて穴だらけで、それを突かれたらだいぶ堪えるよね。でもさ、アリスちゃん。普通間違わない人間なんていないんだし、そこを気にする必要はないんだよ」
「でも、私は……偉そうなことを言ってるくせに、自分が一番人の声を聞けてなかったのかもしれないって、そう思って……」
「そう気付けたんなら、もう間違わないよ。大丈夫。それにさ、もし今までアリスちゃんが失敗してしまってたとしても、アリスちゃんが感じた心だけは決して間違ってなんかないから」
「……!」
心は絶対に間違っていない。
そう言われて、気持ちがストンと落ち着いた。
私がその時感じた気持ち、みんなと通じ合った心は、確かに間違いなく存在したものだ。
やり方や過程に誤りがあっても、それだけは間違いない。
なら、今は過去を後悔するのではなく、この心が歩んできた道を信じる時だ。
「……わかりました、善子さん。私は自分の気持ちと、みんなとの繋がりを信じます」
「うん、それでいい。正義なんて、所詮そんなものなんだ」
顔を上げて真っ直ぐ目を向けると、善子さんはニコッと笑って私の頭を撫でてくれた。
温かく柔らかく、そして頼もしい力強さを持って。
それからすぐにホワイトへと向き直り、凛々しい目付きでその姿を見据えた。
そんな彼女視線で殺さんばかりの勢いで、ホワイトもまたその獰猛な視線を突き刺す。
『いいでしょう。もう好きにするがよろしい! 崇高なる始祖ドルミーレ様の威光を前にしても、まだその目が曇らせ続けるというのであれば。わたくしは、貴女を悪と見なします!』
「悪、か。アンタに叱られ慣れてる私としては、今更そんなこと屁でもないよ。ただ今回ばかりは、私がアンタを引っ叩く番だけどね」
『できるものならやってみればいい!』
咆哮のような叫びと共に、大きく開かれたその口から眩い光線が放たれた。
光が凝縮された濃密な熱エネルギーの塊である光線は、瞬きの速度で私たちに向かって突っ込んでくる。
私たちは顔を見合わせる暇もなく、それぞれ散開して空を駆け、それをかわした。
外れた光線が『領域』の仕切りをすり抜けビル群のような木々を焼き貫いた。
しかし屈強で巨大な樹木はその程度では燃えはせず、幾らかの枝が落ちただけだった。
善子さんのお陰で動けるほどに回復した私は、そんな怪獣映画みたいな光景を横目に見ながら、光線の脇をすり抜けホワイトへと向かった。
光線の反対側にいる善子さんと視線で示し合わせ、左右から一斉に飛び込む。
しかし案の定、神の蛇の大群が入り乱れて降りかかり、私たちの接近を阻んだ。
ホワイトの眼前を目指せば、その頭部から伸びる髪の蛇が襲いかかってくる。
だからといって下部から攻めれば、彼女の屈強な尾の格好の的だ。
三倍ほどの体格差、いや蛇の胴体による数十メートルの全長を踏まえればもっとある体格差の前では、あまりにもリーチに違いがあった。
『口の割に、やはり手も足も出ないではないですか! ドルミーレ様の力をこの身にやつし、その再臨の足掛かりとなっているわたくしの正しさを、身をもって知りなさい!』
高らかにホワイトが叫ぶと、彼女の背後が眩く輝き出した。
まるで後光がさしているかのように、痛いほどの白い光が彼女の背中を照らしている。
普通なら目が焼けそうなそれを、なんとか魔法で強化して見てみれば、彼女の背後には光の剣がびっしりと並んでいた。
ホワイトの背後にびっしりと並び立った光の剣が、その輝きの強さ故に一つの光のように見えている。
夜空に浮かぶ満点の星空のようなそれらの鋒は、すべてをこちらを向いていた。
「…………!」
それに気付いた瞬間、私は慌てて離れた場所にいた善子さんの元に飛び込んだ。
光をまとい光速で飛んで、私が善子さんの前に滑りこんだ刹那、ホワイトの背後の光の剣が一斉に射出された。
それは流星群、いや光の滝のよう。
巨大な打ち上げ花火を間近で見た時、それが降りかかって来そうな経験をしたことがあるけれど。
それよりも遥かに強い輝きが、実際に降ってかかって来ているのがこれだった。
今の私では掌握しきれない。
咄嗟にそう判断し、私は『真理の
ありったけの魔力を込め、その斬撃を波動と共に前方へと撃ち放つ。
突き抜けるように伸びる白い閃光は、正面から襲いかかってくる光の剣の大群をいとも簡単に掻き消した。
しかし、降りかかってくる量があまりにも多く、それだけではとても足りなかった。
「まっけるかぁーーーー!!!」
私の剣から溢れた攻撃に対し、善子さんは同様の光の剣を作り出して撃ち放ち、相殺を図った。
けれど、魔法の質も出力も量も圧倒的に違う。押し負けるのは時間の問題だった。
「私が道を作ります。善子さんはそこから突っ込んでください!」
善子さんが持ち堪えてくれた僅かな時間で剣を構え直し、私は再度大きく『真理の
防御のためではなく、ホワイトへの道筋を作るための、真っ直ぐ伸び進む斬撃を、光の剣の雨の中に打ち込む。
あらぬる魔法を斬り払う『真理の
光の雨の中を流星の如く駆け抜けて、一直線にホワイトへと突っ込んでいく。
その輝きはホワイトのものよりも澄んでいて、私には希望に満ち溢れているように見えた。
『その程度で、わたくしに触れられるものですか!』
そんな光速の接近にも、ホワイトは全く怯まなかった。
眼前に飛び込んでくる善子さんに対し、いくつもの光の球体を作り出す。
高密度に凝縮したエネルギーの塊のようなそれは、瞬時にその場で爆ぜようとしていた。
「させない!」
瞬時に距離を詰めた私が、『真理の
ホワイトが迫りくる善子さんに意識を向けたことで、光の剣の雨が止んで、私もまた突き進むことができたからだ。
『鬱陶しい!』
憚ることなく舌打ちをしたホワイトは、下品に叫びながら蛇の尾を振るった。
大気を震わす巨体の大振りは、真っ直ぐに善子さんへと叩きつけられた。
しかし、蛇の尾が叩きつけられた瞬間、その姿はまるで虚像のように透き通り、掻き消えた。
「こっちだよ!」
そう叫んだ善子さんは、もうホワイトの目と鼻の先にいた。
何もないところからすぅーっと姿を現し、ニィッと得意げに微笑む。
光の反射を使って虚像を作り出し、また光の屈折によってまるで光学迷彩のように姿を消していたんだ。
『ッ…………!』
「これでも、くらえ!」
虚を突かれたホワイトは、その巨体では大きな回避は取れなくて。
その白い鱗に覆われた頬が、強く握り込まれた善子さんの拳に打ち抜かれた。
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