109 投影

 耳元でレイくんが囁いた瞬間、ドクンと心が脈動した。

 それと同時に、氷の華がパリンと砕け散る。

 それからすぐに胸の奥が熱く滾り、体の内側から何かが飛び出しそうな、そんな感覚に襲われた。


「あ、あぁ……あっ…………」


 何が何だかはわからない。

 ただ、心を丸裸にされたような、全てを晒け出されているような、不快な解放感が全身を駆け回った。

 自分のことが隅々まで暴かれて、衆目に晒されるような。


 私の胸の内、その全てが他人の前に放り出される。

 あらゆる感情が白日の元に晒される。

 でもこれは、私よりももっともっと深いところにある────


「あ、ぁぁぁあああああああああ……!!!!!」


 理性は吹き飛び、ただ体が反射的に悲鳴を上げる。

 心が振動して身体中を掻き回し、頭はまともに働かない。

 心臓を鷲掴みにされて、強引に引き抜かれるような乱暴な衝撃に、ただただ耐えるだけ。


 体に力の入らない私を、後ろから抱き締め続けることで支えてくれているレイくん。

 私にできるのはただされるがままにいだかれていることだけ。

 周りのことはおろか、目の前のことすらよくわからない。


 心が暴かれ、胸の奥から何かが吹き出す感覚に耐え続けて。

 その吹き出す何かに、心が押し退けられ、押し潰されそうになるのを必死で耐えて。

 少しでも気を抜けば、その衝撃と反動で私のちっぽけな心なんて、簡単にプチっと潰れてしまいそうだった。


 わけのわからなくなった頭で、理性が掻き消えた頭で、それでも何とか耐えることができたのは。

 私の心に繋がる人たちの心が、必死に私を守ってくれているからだと思う。

 その声も想いも、今の私には届かないけれど。

 それでも私を必死で支えようとしてくれている、その温もりだけは微かに感じ取れた。


 そして、永遠かと思われた苦痛が唐突に止んだ。

 ピタリと前触れなく、私の全身を駆け抜けていた衝撃が途絶えた。

 その代わりなのか、激しい倦怠感を覚えて私は膝を折りそうになった。


「お疲れ様、アリスちゃん。よく耐えたね」


 そんな私をしっかりと抱き締め直して、レイくんがとても優しい声で言った。

 その甘く蕩けるような声に、全てを委ねてしまいたくなる。

 虚脱感が激しくて、頭が朦朧として、何かを考える余裕がなかった。


「一体、なに、が……」


 レイくんにもたれ掛かりながら、それでも何とか自分の足で立とうと踏ん張って。

 私を抱き締めるその腕に縋りながら、後ろにいるレイくんの方に顔を向けると、そこにはとても柔らかい笑みがあった。


「君は何も心配しなくていい。気負う必要もない。僕は決して君に無理強いなんてしない。でも、やらなきゃいけないことがある。だからその力を借りたのさ」

「…………?」


 朦朧とする意識では、レイくんが何を言わんとしているのかわからなかった。

 問い掛けるように視線を向け続けると、レイくんはそっと抱き締める腕の力を強めた。


「僕は君に、魔女たちの上に立って欲しかった。けれど、その時を待つ時間はもうなかった。だから、もう一つの手段を使わせてもらったんだ。君の中の力、君の中のドルミーレを別の人間に映した」

「……え? ど、どういうこと?」

「すぐにわかる。ほら、彼女を見てごらん」


 レイくんは優しくそう言うと、正面を促した。

 言われるがままに前を向き、霞む目を凝らして先にあるものを見る。

 そこに、あったものは────


「遂に、この時が参りました! 『始まりの魔女』ドルミーレ! 我らが敬愛なる始祖様! この身をどうか、お使いくださいませ!」


 おぞましい醜悪な魔力を帯びたホワイトが、高らかに声を上げている。

 階段の上で大きく腕を広げ、その純白の姿を晒している彼女から、吐き気を催すような不吉な気配が吹き荒れていた。

 それはとても人のものとは思えず、転臨を解放した時の感覚に近く、けれどそれよりももっとずっと恐ろしい。

 この感覚は、まるで………………。


「ドル、ミーレ…………?」

「そう。彼女のその肉体に、ドルミーレを投影したのさ」


 私の心の奥底に眠る、『始まりの魔女』ドルミーレ。

 彼女と対面した時、彼女が意識を向けてきた時に感じる、冷たく寂しく恐ろしい感覚に、とてもよく似ている。


 そう感じた私が反射的に漏らした言葉を、レイくんは冷静に肯定した。


「彼女の『魔女ウィルス』に対する高い適性。そして彼女自身が持つ、一切の穢れを持たない『純白』の性質。それが、『始まりの魔女』を受け入れるのにとても適していた。だから君の心の奥底で眠るドルミーレを浮き彫りにし、彼女に映し出した。白紙のスクリーンである彼女は、それを受けて『始まりの魔女』を顕す」

「そ、そんなこと…………!」


 ドルミーレがホワイトに映し出される……?

 言っている意味がわからなかったけれど、確かに彼女からはドルミーレととても良く似た気配を感じる。

 それに私が感じるこの虚脱感、喪失感は。妙に身体が軽くなったような、この感じは……。


「私の中のドルミーレを、ホワイトに、移したの……?」

「いや、移したんじゃなくて、映し出したんだ。アリスちゃんとドルミーレは切っても切れないからね。飽くまでドルミーレの心をホワイトに投写しているに過ぎない。しかし、『魔女ウィルス』に満たされているホワイトがそれを受ければ、それは本物に限りなく近くなる」

「そ、そんなこと……」


 目の前で吹き荒れる恐ろしい魔力の奔流に、体が震える。

 ホワイトは幸せそうな笑みを浮かべて、止めどなく溢れるその力を受け入れているけれど。

 私には今にも爆発しそうな爆弾を目の前にしているような気持ちだった。


「そんなこと、できるの? ドルミーレを、『始まりの魔女』をそんな……」

「もちろん簡単じゃないけど、できる。僕にならね。あらゆる条件が揃った今なら」


 震える声を溢す私に、レイくんは力強く頷く。


「『魔女ウィルス』の適性が極めて高い人柱であるホワイト。それに、ドルミーレが生まれ育ったこの森の、彼女の住まいの跡地であるこの神殿という場所。飽くまで彼女が今はまだ眠っているという現状。そして『始まりの魔女』をよく知り、その力をよく知り、何よりアリスちゃんと心を繋げる僕になら」


 その声は自信に満ち溢れていて、でも僅かな不安も見え隠れしていて。

 レイくんは私のことを強く強く抱き締めながら、噛み締めるように言った。


「あらゆる条件が整ったことで、今ここに『始まりの魔女』が映し出される。仮初ではあるけれど、それでも限りなく再臨に近い。大丈夫だよアリスちゃん。何も怖くない」


 段上のホワイトの魔力が臨界点を突破し、黒い極光となって全てを埋め尽くした。

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