74 愛おしいひと
「ありがとうクロア。君ならそう言ってくれると思ったよ」
レイはそう言って微笑むと、席を立ってクロアの後ろに回り込んだ。
その細い首に腕を回し、華奢な身体を包み込むように抱き締める。
クロアは自身を包んだ腕に手を添えて、埋もれるように顔を下げた。
「アリスちゃんは恐らく、すぐに自らこちらに乗り込んでくるだろう。そうなれば魔法使いが気付くのも時間の問題だ。だから決戦は明日。君を含めた転臨済みの子たちを筆頭に、各地へと進撃してもらうことになる」
「畏まりました。本日新たに迎え入れた者たちも、戦線に投入なさるのですか?」
「総力戦だから、そうなるね」
クロアのうなじ辺りに頰を擦り付けながら、レイは細い声で答えた。
罪悪感や苦しみを押し殺すように、クロアの黒い巻き髪に顔を埋める。
「……彼女たちは、今どうしてる?」
「全員空き部屋にて寝かせております。誰一人、あれから目を覚ましてはおりません」
「なりたての子も多いだろうし、まぁそうだろうね。それでも、戦力にはなる。明日ホワイトの
レイがホワイトをワルプルギスのリーダーとして迎え入れた理由の一つが、彼女の持つ圧倒的なカリスマだ。
絶対的な正義を宣言し、それを信じさせることができるだけの揺るぎない意志は、か弱い魔女たちに道を指し示す。
右も左もわからない者であっても、彼女の言葉を聞けば、自らの立場と使命を受け入れる。
弱き者は強き者の支配を欲する者。
そしてその指導者が正義と声を上げ、何者にも屈せぬ意思を示せば、弱い者たちは当然彼女を仰ぐ。
多くの魔女を束ね、そして結束させることにおいて、ホワイトはあまりにも適任だった。
急ごしらえの同胞であれ、彼女の鶴の一声があれば戦いに身を投じる。
それも踏まえた上での、感染拡大でもあったのだ。
「レイさんは、どうなさるのですか?」
「僕はアリスちゃんを迎えに行くよ。神殿へと導き、そして彼女の心の深淵にある扉を開いてあげないといけないからね」
「始祖様を眠りから掬いあげる、ということでございますね」
「ああ。いずれにしても目覚めてもらわなければ儀式にならない。『寵愛』の繋がりがベストだったけれど、『庇護』の繋がりでもまぁ問題はないだろう」
クロアを抱きしめながら、レイは違う女へと思いを向ける。
少女の心の奥底で、永い眠りについている古の魔女。
彼女を呼び起こし、現世へと浮かび上がらせることができれば、『始まりの魔女』の再臨は成る。
問題は、その過程でアリスの心が傷付き、潰れてしまわないかということ。
そのケアを最大限した上でことに及ばなければ、全てが水の泡となる。
レイにとって、ドルミーレの再臨による世界の再編と、アリスの心の安寧は、同時に達成されなければ意味がない。
「心配だろうが、上手くやるよ。だから、アリスちゃんのことは僕に任せて欲しいな」
「はい。全てレイさんにお任せいたします。誰よりもあのお方をご存知なのは、あなた様ですから……」
レイに身を委ねながら、クロアもまたここにはいない少女へ思いを馳せる。
かつてのあの温もりを取り戻す為ならば、どんなことでもできる。
どんな手段を取ることになろうとも、それを厭わない。
クロアの生涯の中で最も愛おしい少女。
彼女の全ての中で、何よりも輝かしく温かなもの。
絶望と孤独に塗り固められた闇のような人生に差した、一筋の希望の光。
それを失うことは、彼女にとって死よりも恐ろしいことだ。
クロアにとって、魔女の救済も世界の再編も二の次だ。
彼女が求めるものは、アリスの安寧と帰還のみ。
それが叶えば、その過程や手段など問わない。
だからこそ彼女は、それを一番成しえるであろうレイに、全てを託す。
「実は、一つ気がかりな事があるんだ」
しばらく身を寄せ合って沈黙が続いていた時、レイがポツリと声を上げた。
「僕らの動きに対し、クリアちゃんがどう出てくるか、なんだけど……」
「クリアランス・デフェリア……確かに彼女は、我らワルプルギスに紛れてよく騒ぎを起こしておられますね」
気が重くなる名前に、クロアは短く溜息をついた。
狂った魔女として同じ魔女からも倦厭されているクリアは、ワルプルギスの暴動に合わせて頻繁に騒ぎを拡大させていた。
時には手を取り合うこともあるが、決して信頼のおける仲とはいえない。
そのあまりの奔放ぶりは、目に余ることの方が多いからだ。
「ロード・スクルドにこっ酷くやられて鳴りを潜めていた彼女だけど、ここ数日でまた動き出してきた。今回、僕らの邪魔をしてくる可能性もある」
「邪魔、でございますか? 彼女の身勝手さに煩わしさを感じることはありましたが、明確な邪魔をされたことはないように思いますが……」
「今まではそこまで利害が逸れなかったからね。ただ、僕らがアリスちゃんを迎え入れ、その力を使おうとしている今、横槍を入れてくる可能性は大きい。もしくは、便乗して魔法使いに仕返しを試みるか。後者だったら大分助かるんだけど」
そう言うと、レイは溜息の代わりに力いっぱいクロアを抱き締めた。
クロアの心を解す為の抱擁は、いつしかレイ自身の安堵の為のものになっていた。
柔らかく豊潤なその身体は、包み込むような安心感を与えてくれる。
母親に甘える子供のようにクロアに縋り付きながら、レイは狂気の魔女に思いを巡らせる。
彼女の奇行、そして蛮行は目に余るものが多いが、しかしそれは全てアリスの為だと本人は言う。
だとすれば、封印が解けアリスが全てを取り戻した今、彼女もまたその身を手に入れようとするだろう。
その事実が、レイに一抹の不安を覚えさせる。
「僕らの邪魔をしない限りは、その健気さを応援してあげたかったんだけどなぁ……」
ただ一筋に、アリスのことだけを想って生きているクリア。
彼女のその行動全てがアリスの為を想ってのことだと知っているレイは、そう呟いて嘆息した。
その燃え盛る熱情を持って敵対してくる様を思い浮かべると、とにかく気が滅入った。
そのひたむきさは尊敬に値するが、同じ少女を思う身としては邪魔で仕方ない。
彼女の性質上、もう既にレイは敵とみなされているだろう。
しかしそれは、レイも同じことだった。
「そういうわけだから、君も気にしておいて。場合によっては、潰しておく必要がある」
「承知致しました。わたくしたちから姫様を奪うというのであれば、例え同じ魔女であれ、容赦は致しません」
背後から回る腕を胸に抱き、クロアは強く頷いた。
この愛を妨げるものは何人たりとも許さないと、その黒い瞳に静かな炎を揺らめかせながら。
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