62 眠る友の傍で
「アンタは別に、悪くないと思うわよ」
私と同じように善子さんを見送った千鳥ちゃんが、ポツリと言った。
床に座り込んだままの私の元へに氷室さんと一緒に歩み寄ってきた千鳥ちゃんは、ポンと私の頭にその小さな手を置いた。
「誰だって強くいられるわけじゃないもの。無理強いはできないでしょ」
「……うん。もちろん、無理強いをするつもりはなかったけど。でも、もっと私に、何かできたんじゃないかって……」
乗せられた手に思わず甘えて頭を傾けると、千鳥ちゃんはそのままお腹に頭を預けさせてくれた。
ポンポンと緩やかに叩いてくれる手が、何だか妙に優しくて心地いい。
誰だって、いつもどんな時も強くいられるわけじゃない。
けれど、それでも今まで強さを貫いてきた人が心折れてしまった。
そんな姿を見せられて、何も思わないなんて無理な話だ。
けれど、私に一体何ができるんだろう。
私が慰めたり、手を差し伸べたりしても、善子さんの自尊心を傷付けてしまうだけな気がする。
善子さんを救う為に、私には何ができるんだろう。
その答えを見出せなくて、だからこそ私は呼び止めることすらできなかった。
そんな自分が情けなくて仕方ない。何にもできない私が惨めに思えて仕方ない。
「……アリスちゃん」
千鳥ちゃんとは反対側に回り込んだ氷室さんが、そっと口を開いた。
自然な動作で私の頭に手を伸ばすと、それとなく千鳥ちゃんから引き剥がして自分の方に顔を向けさせた。
「大丈夫。私が、付いているから。あなたのことは、私が守るから」
「……うん。ありがとう」
クールなポーカーフェイスで、静かに言葉を添えてくれる氷室さん。
その心はとても頼もしいけれど、今欲しいのはそれではないと、罰当たりなことを少し思ってしまった。
私の我儘に過ぎなのかもしれないけれど、私は、善子さんと一緒にワルプルギスの問題に立ち向かいたかったから。
リーダーのホワイト、そして五年前からの因縁があるレイくん。
善子さんが抱える問題に、その心で戦って欲しかったんだ。
善子さんがいてくれることで頼もしいと思うこと以上に、私はその為に一緒に行って欲しかった。
そうしないと、善子さんは救われないだろうと思ったから。
けれど、彼女自身がそれを望まないのなら、私にはどうすることもできない。
少なくとも今は、例え追いかけたとしてもその考えがそう簡単には変わるとは思えない。
もう十分すぎるほど考えたかもしれないけれど、もう少し時間が経てばまた気持ちが変わる、かも……。
そう自分に言い聞かせて、私は無理矢理納得することにした。
そうしないと、このショックを和らげることができなかったから。
それから少しの間三人でポツリポツリと言葉を交わして。
私は透子ちゃんの様子を見るために五階に行くことにした。
二人に了承を得て、一人で階段を上る。
てっきり千鳥ちゃんに、氷室さんとまた二人きりにされるのは気不味いとぶつくさ言われるかなと思ったけど。
気を使ってくれたのか、特に顔に出すこともなく見送ってくれた。
どちらかといえば、氷室さんの方が少し含みのある視線を向けてきていた。
もちろん何も言わなかったし、そのポーカーフェイスは微塵も揺らいではいなかったけれど。
二つ階を上がって五階に辿り着く。
オンボロな廃ビルで唯一小綺麗な扉を開いて、病室のような白い部屋に足を踏み入れる。
そこにある白いベッドには、変わることなく透子ちゃんが横たわっていた。
まるでお伽話の眠り姫のように、目覚めることのない眠りにつく透子ちゃん。
白いベッドに包まれて、長く艶やかな黒髪がとても際立っている。
全く身動ぎ一つしていないのか、その寝姿は乱れることなく整然としていた。
「やっぱり、まだだよね……」
わかり切っていたことだけれど、そう思ってしまう。
さっき気を失っていた時、心の中で会ってお話はできたけれど。
それでも、実際に目を覚ましてくれないという現実はどうしても寂しい。
体の傷はとうに癒えていて、その心だって私と繋がっている。
それでも敢えて目を覚まさずに、透子ちゃんは何をしているんだろう。
それとも本当は目を覚したくても覚ませなくて、それを私に隠しているのかな。
私に心配かけさせないために、自分の意思で目を覚まさないんだと、そう言っていたりして。
そんなことを疑ってしまうくらいに、透子ちゃんに会いたかった。
五年前の封印の時から、ずっとずっと私を守ってくれていた透子ちゃん。
透子ちゃんがいたから私は時間を置くことができて、心を育むことができたんだ。
それに、透子ちゃんとはまだまだ話し足りない。
透子ちゃんのことを何にも知らない私は、もっともっと沢山お話をしたいんだ。
透子ちゃんのことをもっと色々知りたいんだ。
「私が『まほうつかいの国』の戦いから帰ってくる頃には、もう目を覚ませるようになってるといいな」
その柔らかい頭を撫でながら、切実な願いをこぼす。
目を覚ませるのはそう遠くはないって言っていたし、決して叶わない願いじゃないはず。
どうすれば透子ちゃんが戻ってこられるのか、それがわかれば手伝えるのに……。
「やっぱり。アリスちゃんはここにいると思ったよ」
しばらく透子ちゃんの顔を見て、そろそろ下に戻ろうとした時。
夜子が普段通りのニヤニヤ顔を浮かべて部屋に入ってきた。
そういえば一昨日もここで夜子さんと話したな。
そんなことを思っていると、夜子はダボダボのズボンのポケットに手を突っ込みながら緩やかに歩み寄ってきた。
「そしてここには、君は一人で来ると思っていた」
緩やかな笑みを浮かべたまま、けれどどこか含みを持たせてそう言う夜子さん。
その言葉の意味を図りかねていると、夜子さんはスタスタと目の前までやってきて、透子ちゃんが眠っているベッドの縁にちょこんと腰かけた。
特段不可解な行動というわけではないけれど、その意図がわからない。
なんて答えようか迷っている私に、夜子さんはただニンマリと微笑みを向けてきた。
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