44 夢の中の風景
気がつくと、私はゆっくりと垂直に降下していた。
ふわふわとゆっくり、そして柔らかく。
温かな風が頰を撫で、私を包み込む。
まるで優しく抱きしめられているみたいで、とっても心地良かった。
プツリと途切れた意識の果て、私が下っているのはきっと、また夢の中。
もう何度もこういった経験をしているから、自然とそれを受け入れられた。
緩やかに降下していく中で、ぼんやりと辺りを見渡してみる。
そこには鮮やかなお花畑が広がっていて、少し先には巨大過ぎる森が見えた。
封印が解けてあの『お姫様』が私に溶けた今、ここに来ることはもうないのかなって思っていたけど……。
どちらにしろここは私の心が創り出した場所だから。
全くなくなってしまうってことはないんだ。
記憶を取り戻した今、なぜ私の心の中がこのような風景になっているのか、自然と納得がいった。
『お姫様』がいつもいたあの森は、きっと『魔女の森』がモチーフで、彼女がしていたお茶会は、あの日々の象徴だ。
そして森を囲むこのお花畑は、きっと『西のお花畑』。
『まほうつかいの国』での冒険の後半で拠点としたあの場所の景色が、ここに再現されている。
記憶を封印し、当時の全てに蓋をしていても、その情景は私の心に焼き付いていたんだ。
だから私の心象風景は、このお伽話のような幻想を描いていたんだ。
私にとってあの世界は、あそこでの日々は、やっぱり掛け替えのないものだった。
夢のような不思議な世界。奇想天外に溢れた、幻想の世界。
大変なことだって山ほどあったけど、でも私にとってあの世界が素敵な場所であることに変わりはなかった。
レオとアリアに、会いたいな……。
「アリスちゃん」
そんなことをのどかに考えていた時。
真下からとても優しい呼び声が聞こえた。
完全に気を抜いていた私が慌てて下を覗き込むと、そこには透子ちゃんの姿があった。
私を見上げ、ニッコリと微笑みながら両腕を広げている。
艶やかな黒い長髪が柔らかな風になびいて、サラサラと踊っている。
彼女の温かな笑顔と相まって、とても華やかな絵になっていた。
「────透子ちゃん!」
予想していなかった登場にびっくりして、でもとっても嬉しくて。
浮き足立った気持ちが現れたかのように、私の降下する速度が早まって、すぐさま透子ちゃんの元まで降り立った。
透子ちゃんは降りた私のことをぎゅっと捕まえて、しっかりと抱きとめてくれた。
その温かな抱擁に心がじわっと弛緩して、堪らず私も強く抱き返した。
確かに触れ合える、柔らかな温もり。
お花畑の芳しい香りと共に、透子ちゃんの物と思える甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
抱きしめあっているだけでとても落ち着く大きな安心感に、心が蕩けそうになる。
「よかった、透子ちゃん。またちゃんと会えて。もう今は、燃えてないんだね」
腕を放して向き合ったから、私は透子ちゃんの体をペタペタと触ってその存在を確かめた。
さっき私を助けにきてくれた時は、火達磨みたい燃え上がっていて、その姿は見て取れなかった。
でも今は、いつも通りの綺麗な姿のままだった。
私があまりにも全身を触りまくって、挙げ句の果てに顔までムニムニとするものだから、透子ちゃんはプッと吹き出してしまった。
可笑しそうに、でも楽しそうに。ごめんねと謝りながら、透子ちゃんはケラケラと笑う。
私だって変なことをしている自覚はあるけれど。
でもさっきのあんな状態を見た後だと、透子ちゃんが何ともないのか確かめたくなっちゃって。
でも笑うことないじゃんと不貞腐れると、透子ちゃんはもう一度謝りながら私の頭を撫でた。
「心配しなくても、私はちゃんと私よ。あなたの知ってる神宮 透子に変わりないわ」
「……うん。助けてくれて、ありがとう」
柔らかな手に撫でられるのが気持ち良くて、自然と目が細まる。
しばらく私の頭を撫でてくれた透子ちゃんは、それからそっと私の手を取って緩やかに歩き出した。
「どうしてさっきは、あんな姿だったの? 今の透子ちゃんの状態と関係あるの?」
透子ちゃんに付いて歩きながら、私はすぐに問いかけた。
その手をしっかり握って、細い指に自分の指を絡めながら。
透子ちゃんは私の顔見ながら、穏やかな顔で頷いた。
「そうね。今の私は自分の体から離れているから、実体がない。でもどうしてもあなたを守りたくて、ちょっと無理をして、魔法で形を作って飛び出したの。驚かせちゃってごめんね」
「ううん。でもじゃあ、やっぱり透子ちゃんは目を覚ましたわけじゃなかったんだね……」
あの日から目を覚さず眠り続けている透子ちゃん。
何度かこうして心の中で会えてはいるけれど。
でも透子ちゃんは、自らの体で現実の世界に帰ってきているわけじゃない。
以前会った時は、意図的にその状況を保っていると言っていたけれど。
でもやっぱり私は、きちんと目を覚まして、自分たちの手で触れ合いたかった。
私のせいでこうなってしまったのだから、余計にその気持ちが募る。
「私は平気よ。こうしてアリスちゃんとずっと繋がってられているから」
不安が顔に出てしまっていたのか、透子ちゃんはそう言って微笑んだ。
その大人っぽい余裕に溢れた笑顔に、安心感で満たされる。
でも、私が心配している立場のはずなのに、逆に気を使わせてどうするんだ。
私は慌てて表情を切り替えて、笑顔で頷き返した。
「それにしても、アリスちゃんが無事でよかった。あなたの心はとても不安に揺れていたから、その弱さでは力に負けてしまうんじゃないかって、心配だったの」
「……うん。正直、ものすごく危なかった。覚悟はしていたけど、でもあそこまで彼女が主張してくるとは思わなかった。なんだか、とっても怒っていたし……」
ゆっくりとお花畑の中を歩きながら、透子ちゃんは笑顔で、でもやや眉を落としながら言った。
私と心を繋げてくれている透子ちゃんには、私の機敏がとてもよく伝わっていたんだ。
だから透子ちゃんは、私が力を使って自分で戦わなくていいように、ああして助けに来てくれた。
「それでも、アリスちゃんはなんとか押さえ込んだ。やっぱりあなたは、強くなったのよ」
「押さえ込んだって、言えるのかなぁ。殆ど彼女の意識に引っ張られてた気もするし……」
「大丈夫。アリスちゃんなら大丈夫。あなたの心にはもう、全てを受け止める強さがあるわ」
先程までの戦いを思い返すと、鳥肌が立つ。
私の半分に彼女の黒い力が巡って、暴力的な感情が押し寄せてきて。
私の意思に反して容赦なくホワイトを殺しにかかった左側。
力を扱い切れていない感覚は、とても恐ろしかった。
でも透子ちゃんは、そんな私に大丈夫と言ってくれる。
その言葉が、不安に暮れる私の心を落ち着けてくれた。
温かく柔らかな手と、優しさに満ちた笑顔が安心感をヒシヒシと伝えてくれた。
「アリスちゃんはちゃんと、強く成長した。その心を感じたから、私はあの時、あなたを迎えに来たのよ」
慈しむように微笑みながら、透子ちゃんは私の手を強く握ってそう言った。
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