26 否定するということは
「アリスちゃん! しっかりするんだ!」
殴りつけるような叫び声と共に、肩を強く揺さぶられる。
曖昧な聴覚にも響いてくる、重くぶつかってくる声。
けれどその声に意識を向ける余裕なんて私にはなくて。
そんな、頭を抱えて蹲る私の体を強引に持ち上げたのはレイくんだった。
肩をぐいっと掴んで力任せに私の上体を起こして、伏せる顔を覗き込んでくる。
その端正な顔立ちを引き締めて、黒い瞳が鋭く私を見つめる。
いつもにこやかに微笑みかけてくるレイくんからはあまり見られない、切羽詰まった顔。
指が食い込むほどに肩を握る力を強め、レイくんは私に向かって叫んだ。
「アリスちゃん、自分を責めちゃダメだ。決して、これは君のせいなんかじゃない。君は悪くなんかないんだ!」
「だって、でも……私がこの世界で戦ってさえいなければ、こんなことには……!」
レイくんの言葉は気休めにしか聞こえなかった。
何の慰めにもならない。だって事実、私の今までの戦いが起因していることは明らかなんだから。
悪くないだなんて言われても、そんなこと全く思えない。
首を振って喚き、その言葉を否定する私を、それでもレイくんは放さなかった。
「確かに、原因は君の存在にある。君を巡った様々な思惑が、この世界で多くの魔法を使わせた。それは事実だけれど、でもそれは君自身のせいじゃない。その責任がアリスちゃんにあるわけじゃないんだ。君に、罪なんてないんだ!」
「そんなこと、言ったって……!」
それは責任逃れのように聞こえた。
私は狙われただけで、みんなが勝手にやったんだからと。
でもそもそも私がここにいなければ、こんなことにはならなかったんだ。
五年前、問題を先送りにしてこの世界に帰ってこなければ。
レオとアリアが迎えにきた時、抵抗せずに付いて行っていれば。
この世界で生きていきたいと、抗うことをしなければ。
ここまで『魔女ウィルス』が充満することはなかったかもしれない。
そう考えると、レイくんの言うようには考えられなかった。
「私が……私がいなければ、こんなことにはならなかったんだ。私がいなければ、こんなに人が死んだりなんか────」
「いい加減にしろ!」
私の上体を大きく持ち上げて、レイくんが怒鳴った。
眉間にシワを寄せ、その瞳は怒りに満ち溢れている。
初めて見たレイくんの憤怒の表情に、私は思わず言葉を詰まらせた。
「いなければ良かっただなんて、そんなことを言わないでくれ! 君の存在に救われた人がいる。その心に動かされた人がいる。君がいるから生きていけるいける人がいる。なのに、君がそんなことを言わないでくれ!」
怒りの表情の奥に揺れるものを見せながら、レイくんは私を揺さぶった。
それは私を叱責するようで、でもどこか縋り付くようで。
怒られているのに、でも泣きつかれているようだった。
「いいかい、アリスちゃん。よく聞くんだ。確かにホワイトが言ったことは事実だ。ここ数日、君をめぐる多くの戦いの影響で、この街には『魔女ウィルス』が満ち溢れた。それによって、この街に住む人々の感染リスクは大幅に上がって、いつこうなってもおかしくない状況だった。けれど、それは君がやったわけでもなければ、君のせいでもないんだ。だから、自分を、自分の生き方を否定なんてしないでくれ……!」
私を揺さぶりながら、レイくんの怒りの形相は徐々に萎んでいった。
怒りがそのまま悲しみに転換されていくように、眉が下がって声が震えていく。
いつも凛々しく、爽やかな笑顔のレイくん。
そんなレイくんにこんな顔をさせてしまっている。
それに気づいた時、掻き乱れあやふやになっていた心が、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
目の前の現実でいっぱいいっぱいになって、受け入れがたい事実に心揺さぶられて。
自分の今までの行動が現状に起因するという真実に直面して。
悲しみと後悔と罪悪感で心が埋め尽くされて、わけがわからなくなってしまっていた。
私は、自分自身を嘆くことで精一杯になってしまっていたんだ。
「結果は、こうなってしまっている。それでも、君が今まで過ごしてきた時間には、その時君が抱いた大切な感情がこもっているはずだ。君が誰かを想い、また誰かが君を想っているからこそ生まれた戦いだったはずだ。その気持ちまで、否定してはいけないよ。君は、沢山の想いと繋がっている。君が自分自身を否定するということは、君を想うその心を否定するのと同じだ。だからアリスちゃん、自分を見失わないでくれ」
「レイ、くん……」
伏せていた私の顔を、見上げるように覗き込んでくるレイくん。
その顔を見返さなくても、言葉に乗って沢山の感情が伝わってくる。
私たちの心の繋がりが、その溢れんばかりの想いを教えてくれる。
そうだ。私の心には、友達の沢山の心が繋がっている。
私はその繋がりに、いつも沢山支えられて、助けられてきた。
私が自分の存在を否定し、今までの行いを否定するということは、私に力を貸してくれたみんなの気持ちを否定すること。
私の、私たちの今までの戦いがこの現状を引き起こしてしまった原因だったとしても。
その中にあったみんなの気持ち、そして私自身の気持ちまで否定しちゃダメなんだ。
今こうなってしまった現実は受け入れないといけない。
今までの自分の戦いが現状を作ってしまったと、きちんと認識しないといけない。
でも誰も、それを望んでいたわけじゃない。だから、それでこれまでの自分の否定しちゃいけないんだ。
「私も、そう思うよアリスちゃん。アリスちゃんのせいじゃないし、誰のせいでもないんだ。アリスちゃんは自分の気持ちに従って、友達のために戦った。その行為に、罪なんてないって私は思うよ」
善子さんが私の手を取ってそう言った。
握ってくれるその手は震えているけれど、それでも私を支えてくれようと強く指を絡めてくる。
その手の温かさが、じんわりと私の心を解きほぐした。
知らされた真実は重く苦しくて、今までを悔やむ気持ちはなくならないけれど。
それでも、自分を責め続けて今ここで何もできなくなってしまってなんて、いられない。
今までの私の戦いが、この世界に、この街に濃く『魔女ウィルス』を蔓延させてしまったのなら。
尚のこと私は、一刻も早く『魔女ウィルス』の問題を解決させなくてはいけない。
そして今、この現状を利用しているホワイトの行いを、止めさせなきゃいけないんだ。
「…………ありがとう、レイくん。ありがとうござます、善子さん」
少しずつ心が落ち着いてきて、私はようやくまともな言葉を出せるようになってきた。
自分の力で顔を持ち上げて、二人の顔を見る。
「私は……自分が無関係だとか、責任がないだとか、そういう風には思えないけど。でも自分のせいだと責め立てて、今までを否定して、塞ぎ込んでちゃいけないよね」
責任を感じるならば、正しい認識が必要。それはさっきレイくんに言われた言葉。
この現状に対する責任と、後悔の感じ方を間違えてはいけない。
自分を責めるのは簡単だ。
だからこそ、本質を見誤ってはいけなんだ。
「今までの私の戦いが、私に向かってきた色んな想いの争いが、今に繋がってしまったんだと思うと、どうしても胸が苦しくなる。でも、私たちにはそうすることしかできなかった。それが私たちの全力で、生きる為には、想いを繋げる為にはそうするしかなかった。だから私はもう、そのことを悔いたりはしないよ。だから私は、今、前を向く」
ゆっくりと立ち上がる。
二人の手が体を支えてくれて、寄り添ってくれる。
苦しくて、辛くて、胸が張り裂けそうだ。
足が震えて、すぐまたへたり込んでしまいそう。
それでも私は、立ち上がる。
ここで歩みを止めてなんかいられない。
私は、友達を守り救う為に戦うと決めた。
私に連なるあらゆる問題にケリをつけると決めたんだ。
だから、泣き叫ぶのはもうおしまい。
この心に繋がる沢山の心を胸に、私は前を向くんだ。
自分の足で床を踏みしめて、それから二人の顔をもう一度しっかりと見る。
レイくんも善子さんも、ホッと一安心というふうに顔を緩めていて、とても心労を欠けてしまったことが窺えた。
もう大丈夫だと顔を引き締めて見せると、レイくんはやんわりと笑みを取り戻した。
「君に泣き顔は似合わない。アリスちゃんは笑っている時が一番可愛いからね」
「うん。ありがとう、レイくん」
そうこぼす言葉に素直な気持ちを返すと、レイくんは少し驚いたように目を見開いた。
でも満足そうにいつもの優しげな微笑みを浮かべる。
二人のお陰で心を落ち着けられた私は改て、静かに佇むホワイトを直視した。
絵画のように整った和風美人の顔は、何事もないかのように平然と私を眺め返してくる。
彼女は、この状況に何も感じてはない。
それに怒りを感じながら、それでもその気持ちに飲み込まれないように呼吸を整える。
彼女を止めなければ、状況はどんどん悪くなる。
なんとしてでも、その蛮行を止めさせないといけない。
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