13 来訪は唐突に

「……もう少し、待っててくれるんじゃなかったの……?」


 戸惑いの中からやっと絞り出せた言葉は、我ながらなかなか身勝手だと思った。

 私は飽くまで待たせてしまっている立場なのに。

 寧ろ約束を破りかけている立場なのに。


 それでも、あまりにも意外すぎる登場に、直接的な言葉しか出てこなかった。

 そんな私にレイくんは機嫌を損ねることなく、にこやかな笑顔のまま「まぁね」と頷いた。


「もちろんそう言ったよ。僕は君の結論をもう少し待ってあげるつもりだ。ただ少し状況が変わっちゃってね。だからこうして君の様子を伺いに来たのさ」


 爽やかに瞳をキラキラ輝かせて、真っ直ぐ私だけを見るレイくん。

 その甘いマスクに、偽りの色は見て取れない。


「強引に引っ張ってこうだなんて思ってはいないから、そこは安心してよ。ただまぁ、早く来てくれないかなぁとアピールしに来たわけじゃないと言うと、嘘になるかな」

「ご、ごめん……」


 アハハと人が良さそうに笑うレイくんに、私は居た堪れなくなって体を縮こませた。

 七年前、私は『魔女の森』を飛び出してからずっと、レイくんには待ってもらってばっかりだ。

 いくら優しく私の意志を尊重してくれるからといって、わがままが過ぎる。


「ちょっと、レイ。アリスちゃんに一体何をするつもり!?」


 レイくんに何て言えばいいかと迷って困っていると、善子さんが眉を釣り上げて突っかかった。

 あからさまに声を荒げたりはしないけれど、その表情と語気には明確な敵意があった。


「私の大事な後輩にまでちょっかいをかけようってわけ? そんなの、私が絶対に許さない」

「人聞きが悪いよ善子ちゃん。僕はただ、昔した約束の通りアリスちゃんに力を貸して欲しいだけだ。それに無理強いだってしてない。僕らは、友達として仲良くお喋りをしてるだけさ」

「どうだか。アンタはそうやってニコニコ人の良さそうな顔して近寄って来て、何を持ち込んでくるかわかりゃしない奴じゃない。私の時が、そうだった……」

「う〜ん。なんのことかなぁ」


 ガリッと歯噛みする善子さんに、レイくんは爽やかな笑みのまま軽い調子で受け流す。

 その行為そのものにも善子さんは苛立ちを募らせて、どんどんと空気が悪くなっていく。


 五年前のことを踏まえれば、善子さんがレイくんに対して並々ならない感情を持ってしまうことは仕方がないと思う。

 それに対するレイくんの態度があまりも素っ気なくて、その感情はどんどん深みへに落ちてしまう。


 辛うじて腰を下ろしている善子さんだけれど、この調子が続けばいつ爆発するかわからない。

 一方的な一触即発の空気に、私は慌てて口を挟んだ。


「よ、善子さん、私は大丈夫ですから。私がずっと待たせてしまっているのが悪くいんです」

「でも、こんな奴の言うこと聞かなくたって……」

「はい。私もやりたくないことはキッパリそう言うつもりです。でもレイくんと友達として約束ことがあるんです。私は、それを守りたいとも思ってる」


 私の言葉に、善子さんは釣り上げていた眉を下ろして心配そうな視線を向けてくる。

 それから何か言いたげに口を開きかけて、でもグッと堪えて言葉を溢しはしなかった。


 私と善子さんの、レイくんに対する認識は違う。

 そのことをわかって、自分の感情を一方的に押し付けてしまわないように堪えてくれたんだ。

 私も善子さんの気持ちはわかるし、レイくんにそういう部分があることは理解してる。

 でも私は私でレイくんのことを友達だと思っているから、善子さんに肩入れしてレイくんを全否定することできないし、したくない。


 でもやっぱり、善子さんに対するレイくんの対応が良いとは思えないから。

 その件に関しては、はっきりさせて欲しいとは思う。


 身を引いてくれた善子さんにありがとうございますと目配せして、私はレイくんに向き直った。

 横目で善子さんをやれやれと見遣っていたレイくんは、また私に甘い笑みを向けてくる。


「あのね、レイくん。私、考えたんだけど……」


 私よりほんの少しだけ高い位置にあるその瞳を見上げる。

 今すぐレイくんに付いていって、思う通りに力を貸すよなんて言えない。

 だから私は素直に、今自分が思っていることを口にすることにした。


「私、レイくんとの約束を守りたいと思ってるよ。魔女が虐げられている現状を改善したいっていうのは、私も同じだから。でもね、その為に魔法使いを全員殺してしまおうなんて、そんなワルプルギスの方針には賛成できないんだ」

「まぁ、アリスちゃんならそうだろうね」


 レイくんはあっさりとそう言って頷いた。

 それで?という視線に促されて言葉を続ける。


「私、レイくんが私の力を別の形で貸して欲しいっていうのなら、いくらでも助けになりたいと思う。でも、今のその方針には、私は力を貸せない。例え約束を破ることになっても。嘘付きだと、最低だと罵られても。私は魔法使いを殺すことに力は貸せないよ」


 魔法使いが一方的に魔女を虐げて殲滅しようとするのと、それは同じだから。

 立場が違うからぶつかってしまうのは仕方ないけれど、本来どちらにも罪はないんだから、傷付けて良い理由なんてない。

 それに魔法使いには私の友達や、知り合いだって沢山いるんだから。

 魔女を救いたいからといって魔法使いを殲滅するなんて、私にそんな手段はとれない。


 ハッキリとキッパリと、レイくんの目を見て自分の気持ちを伝える。

 飽くまでレイくんに敵対したいわけじゃなく、ただ今のそのやり方には賛同できないだけ。

 スラっとしたその手を両手で握って、私は真摯な想いを視線に込めた。


 レイくんはやんわりと口を緩めて、私に握られた手を眺めるように視線を落とした。

 落ち込んでいるようには見えないけど、でも朗らかとはまた違う。

 なんとも判別しかねる表情を浮かべたレイくんは、小さく息を吐いた。


「まぁ、そうだよね。君があの時森を飛び出して魔法使いのお友達を作った時から、そうなるんじゃないかと思ってた。いや、最初から君はそんなことをしたいと思う子じゃなかったけどさ」


 視線を上げて私の目を見ると、レイくんは穏やかな声色で言った。

 その視線は柔らかく、私を咎める風ではない。

 寧ろ私の心と気持ちを理解した上で、それを受け入れているかのよう。

 でも、握り返してきた手の力は少し強めだった。


「昔の、何もわかっていない君に約束を取り付けた僕は、卑怯だったのかもしれない。広い世界に触れ、沢山の人の心と繋がった今の君が、そうしたくないと思うのは当然だ。だからそんな君に約束約束と迫る僕は、嫌な奴なのさ」

「そんなことないよ。私、レイくんの力にはなりたいよ。他のやり方でなら、いくらでも助けるよ。もっと平和的なやり方を、一緒に考えようよ」

「平和的、か。それは魔女の僕には難しい相談だ。僕はね、アリスちゃん。魔法使いよりも魔女こそが尊いと思っているんだ。自身こそを崇高だと信じている魔法使いとは、どうしても相容れない」


 レイくんは寂しげに言う。

 レイくんの言う魔女の立場の改善は、魔法使いを打倒することこそに意味があるってこと?

 だとすればそれは確かに、共存を目指す私とは考えが一致しない。


 どうすればいいのか、なんて言葉をかければいいのか。

 私たちが手を取り合う為には何が正解なのか。

 返答に迷っていると、レイくんが空いた片方の手で私の頭を撫でてきた。


「アリスちゃんの気持ちはわかった。なんとか君に味方して欲しいと思ってしまうけど。僕のことを一番に思って欲しいと思うけど。でも、今は少し我慢するよ。それよりも、大切なことがある」

「どういうこと?」


 思い詰めるように私を見るその瞳を、真っ直ぐ見返す。

 レイくんは私の頭から手を下ろすと、困ったような笑みを浮かべた。


「予定が狂ってしまったんだ。多少無理を押してでも、アリスちゃんに来てもらう必要ができた。もちろん、前言通り無理強いはしないけれど、でもできればわがままを言わせて欲しい状況だ」


 やれやれといった軽やかな苦笑の表情だけれど、その言葉にはやや切迫したものを感じた。

 飽くまで普段の飄々とした調子を保ちつつ、でもレイくんには珍しく焦った感じを漂わせている。

 見慣れないその態度に顔を覗き込むと、レイくんはゆっくりと口を開いた。


「取り敢えずは建前でもいい。力を貸すと言ってワルプルギスの元に来て欲しいんだ」

「建前でもいいって……どういうこと? 一体、何が……」

「ホワイトを止める為だ。このままだと大変なことになる」


 ガタリと、善子さんが身動いだ。

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