第7章 リアリスティック・ドリームワールド
1 心の中の太陽
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「まったく……アリスらしいなぁ……」
そこは巨大な木々に埋め尽くされた森。
高層ビルのような壮大な木々がそびえ立つその森は、まるで巨人の土地のよう。
そんなスケール感が麻痺する森の中に、普通の人間サイズのテーブルと椅子が置かれていた。
芳しい香りを漂わせる紅茶のティーポットや、甘ったるい匂いに満たされたお菓子の数々。
まるでついさっきまで楽しいお茶会が開かれていたようだった。
しかし、その席に着いていた幼い少女の姿はもうない。
本来の
ふわふわとした栗毛の髪を持つ、穏やかな少女。
『魔女ウィルス』の完全侵食によって死に至り、鍵を守りそして解放するという使命を全うした少女。
晴香は一人、『幼い少女の形を保っていた彼女』のいた席に座っていた。
その姿はほんのりと僅かに白い光をまとっており、その存在が儚いものだということを表していた。
そこは
心の深い場所。その心象が作り出す、幻の空間。
かつて記憶と力が引き剥がされていたことによって存在していた、アリスに『お姫様』と呼ばれていた彼女がいた場所。
『まほうつかいの国』で過ごしていた時の記憶の一部から作り出された領域だった。
『お姫様』がアリスの心の本体に戻ったことで、この場に住人はいなくなっていた。
しかし今、アリスの心には他者が住っている。
ここは、そんな
「どこにいても、何をしてても、アリスはアリスなんだね。こんな大変なことがあっても、友達のために……」
晴香はふんわりと微笑みながら、自分がよく知る幼馴染みの彼女らしさに溜息をこぼした。
しかしそれは呆れなどではなく、どうしようもない慈しみからくるもの。
花園 アリスにかけられていた封印は解放された。
『まほうつかいの国』での記憶、そして当時所有していた力を、彼女は全て取り戻した。
結果、アリスの心の中に住う晴香も、その記憶を垣間見ることができた。
幼馴染みが異世界にて、一体どんな冒険を繰り広げ、何に苦悩し、何と戦おうとしていたのかを、知ったのだ。
「でも、そんなアリスが好きなんだよね。だから
そう言って晴香はニッコリと目の前に笑いかけた。
テーブルを挟んだ、向かい側の椅子に腰掛ける人物はいない。
しかしそこには、青白い輝きを放つ光があった。
アリスの心の中に住うもう一人の『誰か』の心。
その光はまるで晴香の言葉に頷くように瞬いた。
「今はまだ穏やかみたいだけど。でもアリスに掛けられていた封印が解けて、ここよりも更に下の、奥深くにとっても大きな力を感じる。魔女として未熟だった私でも、わかるくらいの力が……」
晴香は努めて笑顔を保ちながら言葉を続けた。
しかし深淵より感じる不穏な力に、その表情の陰りは隠せない。
晴香は、アリスに平穏な日々を過ごして欲しかった。
『まほうつかいの国』での過酷な日々から生還した彼女に、もう危険な目にはあってほしくなかった。
封印を解いた後の運命にも、できることなら目を背けて、ただひたすらに平和を求めて欲しかった。
しかし、アリスがそれを善しとしないことを晴香は知っている。
自分だけのことならともかく、自らの運命が多くの友人のこれからを左右するものなら、アリスは立ち向かうことを迷わないと。
だから晴香も、覚悟を決めたのだ。
死しても尚、幼馴染みの心に寄り添い、その想いに最後まで力を貸すと。
本来ならば肉体が朽ち果てたと同時に、昇華して消えるはずだった心。
しかしアリスに繋がることで現世に留まることができ、愛おしき幼馴染みと共に在ることができた。
ならば自らの使命は、アリスの助けになること。守ること。
アリスの意志に寄り添い、共に歩き、その行末を見守る。
今の自分にできることは、それだと晴香は心得ていた。
「『始まりの魔女』ドルミーレ、か。どうしてそんなものがアリスの中にいるんだろう。今はまだ眠ってくれてるけど、でもきっと、もういつ目を覚ましてもおかしくないよね」
アリスの心の中に住う晴香の直感がそれを感じていた。
封印されている最中も、ドルミーレは何度か自らの意思で行動を起こしていた。
封印が解け、何のしがらみもなくなった今、いつ彼女が本格的に起き上がってもおかしくない。
心配そうに輝きを萎ませた青白い光に、晴香は真剣な眼差しを向けた。
「だから私、少し深いところまで潜ろうと思うの。私みたいな弱い魔女の、しかも死人の心には、大したことはできないかもしれないけど。でも、ドルミーレのアリスへの悪影響を、少しでも和らげることができるかもしれないし」
萎んでいた光が、今度は驚いたようにパッと弾けた。
そんな光を見て、晴香は気丈に笑みを浮かべた。
「心配してくれるの? ありがとう。でも、力の弱い私にできることって、これくらいだし。できることをするよ。だからアリスのことはあなたにお願いするね」
急ごしらえの魔女である晴香は、魔女としての能力がとても低かった。
そもそも適性が低かった彼女は、すぐに死してもおかしくはなかった。
そんな僅かな力の全てを、『なるべく生き続ける』ことに使って、何とか数年待たせていたに過ぎない。
そんな自分には、アリスを補助することはできないとわかっていたのだ。
寄り添い、共にいてやることはできても、直接的な手助けはできない。
とっくに死亡している影法師のような存在では尚更。
それを心得ているからこそ、舞台裏で支える役割を選んだ。
アリスを導き、手を取り、共に歩んでいくのは自分では無い。
だから自分にできることは、影でひっそり根気よく、アリスの心を守ることだと。
「封印がなくなって、今このアリスの心は丸裸。昔のようにドルミーレが手を伸ばしてくれば、その影響を受けちゃう。だから私が壁になってそれをなるべく抑えるよ」
その言葉に迷いはなく、もはや覚悟を通り越した決然とした顔。
柔和な表情だが、しかしその奥にある芯はブレることなく真っ直ぐ通っている。
「アリスが困ったり、迷ったりしたら、あなたが助けてあげて。あなたの声ならきっとあの子に届くから」
晴香の言葉に、光が不安げに揺れる。
それを見た晴香はフフッとおかしそうに笑った。
「大丈夫。自分に自信を持って。あなたは絶対にアリスの力になれる。現にあなたは、もう何度もアリスを守って、導いてくれたでしょ?」
晴香は安心させるように、元気付けるように朗らかに言って聞かさせた。
しかしそれでも青白い光は不安げに弱い光を放つ。
少し頼りなくもあるが、しかし晴香は信じていた。
アリスが信じているから、晴香もまた信じていた。
「あなたもあなたで、今はとっても不安定な状態なのはよくわかってる。まさか
晴香がアリスの心に辿り着く前からもう既にいたその心。
彼女とはまた違う形で、アリスの心に逃げ込んできた心。
その存在は不確かで、名も姿も不鮮明。
それ故に、晴香もそれが誰だかを知らない。
その心が何者かを知っていたのは、訪れたその時を知っている『お姫様』だけだった。
しかしそれでも、ここに辿り着き、そして住うことができているのは、アリスとの強い繋がりがあるからだ。
その繋がりがあれば、必ずアリスの力になれる。守ることができる。
それはきっと本人もよくわかっているはずだ。だって今まで、そうしてきたのだから。
だというのに不安を見せるのは、きっと自分への遠慮、あるいは気遅れだと晴香は思った。
そんなもの感じる必要なんてないのに。それでも、感じざるを得ないんだと。
それは違うと、必要ないと否定するべきかもしれない。
あるいは朗らかに優しく励ますべきかもしれない。
そう思いつつも、晴香は敢えて強い瞳を向けた。
「本当は私がアリスを守りたい。いつだって私が、あの子の側にいたいの。でも、残念だけどそれはできない。だから、あなたに頼んでるんだよ。できることなら、他人になんて頼りたくないんだから」
晴香らしからぬ強い言葉に、光の揺れがピタリと止まった。
それを確認して、晴香はまた元の穏やかな笑みに戻った。
「だからお願いね。あなたにしか頼めないんだから。あなたにだから、頼んでるんだから。それに
それは咎める言葉でなはなく、笑みを伴った柔らかい言葉。
それを受け、決心したかのように青白い光が瞬いた。
その力強い輝きに、晴香は満足したように満面の笑みを向けた。
「アリスを……私の大切な幼馴染みをよろしくね。信じてるよ。『────』」
知らない名前を口にする。案の定それは言葉にならない。
しかし、その想いは確かに届いた。
それを感じ取り、晴香は白い光に包まれながら奥底へとゆっくりと下っていった。
その輝きはまるで、この心の中を照らす太陽のようだった。
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