144 誰ガ為ニ
二度にわたって暗雲を光が突き破ったことで、空は昼間の明るさを取り戻した。
立ち込めていた暗闇はゆっくりと散っていって、冬の暖かな日差しがふんわりと降り注いでくる。
眩しい光に目を細めながら、私はみんなに向き合った。
私のことを心配してくれて、私の為に戦ってくれたみんなに。
ここで得た、私の大切な友達に。
「みんな、ありがとう。そしてごめんなさい、心配かけて……」
氷室さんのことを放して、私はみんなに頭を下げた。
いつもいつも、私は助けてもらったばっかりだ。
みんなの優しさには、いくら感謝しても仕切れない。
「ったく、最後の最後でびっくりさせやがって。まぁ、結果オーライだな」
カノンさんがパッと明るい笑みを浮かべて言った。
けれどすぐにバツが悪そう視線を下げて頰を掻く。
「つーか、謝るのは実はアタシの方だ。アタシは一度、お前を見捨てようとしちまった。まくらを守る為に、アタシは……」
「そーなんだよー! カノンちゃんって酷いでしょ〜? いくらまくらちゃんの為だからってさ、見捨てて逃げるのはないよねぇ???」
「カルマてめぇ! 誰のせいだと思ってやがる!」
ボソボソと言うカノンさんに、カルマちゃんがケラケラ笑いながら飛び付いて割って入った。
カノンさんはすぐにキッと怒りを露わにして、カルマちゃんの頭をボカリと叩く。
そしてすぐに気まずそうな顔をして私を窺い見てくる。
「まぁ、その……あれだ。誰だって迷うことはあるし、間違えることもある。アタシもあと一歩で間違えちまうとこだった。すまん」
「う、ううん。カノンさんは私たちの為に沢山のことをしてくれたよ。感謝してるし、謝ってもらうなんてそんな……。カノンさんがいなかったら、私は今ここにいなかったかもしれないし」
ガバッと勢いよく頭を下げるカノンさんに、私は慌てて首を横に振って頭を上げさせた。
カノンさんはやっぱり少しバツが悪そうにしているけれど、でもぎこちなく笑顔を浮かべてくれた。
「ロード・ケインのことだって、カノンさんのせいなんかじゃない。カノンさんは、それにカルマちゃんも、沢山私を助けてくれたよ。本当にありがとう」
私が改めてお礼を言うと、カノンさんの笑みから少しぎこちなさが取れた。
カルマちゃんはなんだか一人調子に乗って小躍りをしていたけれど、すぐにカノンさんに頭を叩かれて口をとんがらせた。
凸凹ではあるけれど、この二人もなかなかなコンビだ。
でもまぁ、大人しくて可愛らしいまくらちゃんの方が何倍も接しやすいけれど。
「……アリス」
そんな二人のわちゃわちゃしたやりとりを眺めていると、千鳥ちゃんが私の服をちょこんと引っ張ってきた。
低めの位置から私のことをギッと見つめてくる。
「何やってんのよ。私にあんだけ言っといて、自分がどっか行っちゃったら、しょーがないじゃない」
「うん、そうだよね。私、馬鹿だった……」
口を尖らせて拗ねたように言う千鳥ちゃん。
でも彼女もまたバツが悪そうに、控えめな視線を向けてくる。
「でもまぁ、確かに結果オーライよ。それに、私の方が何倍も迷惑かけちゃったし、アンタのことは責められないわ……」
「迷惑なんて思ってないけど……まぁあれかな。持ちつ持たれつ、だよ。一緒に支え合って頑張ろう。私だって、まだまだ人に頼りっぱなしだしさ。だからこれからもよろしくね。頼りにしてるよ、千鳥ちゃん」
「え、ええ……! 頼りにしなさい。何てったって私は、アンタよりもお姉さんなんだからね!」
にっこりと笑いかけると、千鳥ちゃんは少し戸惑いを見せつつも、でも垢抜けた笑顔を見せた。
千鳥ちゃんにだって思うところは沢山あるだろうけれど。
でもこの戦いを経て、千鳥ちゃんは一歩前に進めたんだろう。
失ったものもあるけれど、それと同じくらい得たものもあるはずだ。
共に肩を並べて戦った。
すれ違う心をぶつけ合った。
そして、お互いの大切さを確かめ合った。
私たちは友達だ。
辛い時も悲しい時も苦しい時も、そして楽しい時も。
どんな時もその気持ちを共有できる友達だ。
千鳥ちゃんが向けてくれた笑顔は、それを改めて思わせてくれる、柔らかなものだった。
「気分はどうかな、アリスちゃん」
そんなところへ夜子さんがゆっくりと歩み寄ってきた。
いつもと変わらない緩やかな笑みは、何事もなかったかのようにとても呑気だ。
本当にただ気分を聞いてきてるだけのような、世間話のようなテンションの夜子さん。
けれど、その言葉の意味は流石にわかった。
記憶を取り戻し、力を取り戻したことについてだ。
「とても自然な感じです。今まで失っていたのが嘘みたいに」
「そうか、なら解放は問題なく成功したようだ。奴の手によってそれが行われたのは癪だけれど、そこまで私が口出しをすることじゃないね」
夜子さんは小さく溜息をついた。
よっぽどワルプルギスが、レイくんが嫌いみたいだ。
けれどその顔色を変えることなく、私に穏やかな目を向ける。
「ところで、彼女の様子はどうだい?」
「ドルミーレ、ですか? 今のところ何も……」
コロッと話題を変えてくる夜子さんの質問に、私は首を傾げた。
思い出した記憶のことで頭がいっぱいだったけれど、封印が解けた今、ドルミーレから流れ込んでくる力を遮るものはない。
今の私は当時と同じだけの力が使えるようになっていて、またドルミーレの存在を心の奥底に感じられるようになっていた。
けれど、ドルミーレはとても静かだった。
まるでそこにはいないかのように、とても静かに眠っているようだった。
何だか拍子抜けのような気がしつつ、でも
「そう、か。ならいいんだ」
「あの、夜子さん……えっと、私……」
私の返答に、夜子さんは少しだけ難しい顔をした。
けれどそれ以上は何も言わずに、一人納得したように微笑む。
そんな夜子さんに、私は言葉を選びながら口を開いた。
私は昔から夜子さんのことを知っていたから。
記憶を取り戻した今、ちゃんと昔のことを話さなきゃいけないと思った。
けれど、夜子さんは口籠る私に向かって静かに首を横に振った。
「そういう積もる話はまた今度にしよう。私はもう疲れたよ。ほら、私は君たちみたいに若くないからね。今日はもう早く寝たい気分なんだよ。アリスちゃんも今日はもうゆっくり休むといい」
「えっと、は、はい……」
コテンと首を傾けて、夜子さんは力なく言った。
そして言うが早いか、すぐさまくるりと身を翻して階段へと歩みを向ける。
そこに込められた気遣いに、私は息を吐いた。
夜子さんだって私に言いたいことがあってもおかしくないのに。
でも今は私にゆっくりと落ち着く時間を与える為に、ああいうことを言ったんだ。
まぁもしかしたら、本当に自分が休みたいだけなのかもしれないけれど。
「ほーら千鳥ちゃん、早くしなよ。私が部屋に着くまでにベッドメイクしておいてくれないかなぁ。できてなかったら今日の晩ご飯抜きだから」
「え……あっ、ちょ、ちょっと何よそれ待ちなさいよ! てか夜子さんいつもソファーで寝てるじゃない! あんなのにベッドメイクなんてあるわけ!? ちょっと! 晩ご飯抜きはやだぁーーー!」
そこに何の意味があるのか。意味のわからない意地悪を言いながらスタスタと行ってしまう。
そんな夜子さんに千鳥ちゃんはビクッと飛び跳ねて、それから慌てて奇声を上げながら駆け出した。
それは何というか、いつもと変わりのない、二人のちょっとチグハグしたやりとりだった。
もしかしたら、夜子さんなりの思いやりなのかもしれない。
今後もいつも通り過ごしていく為の区切りとして。
やっぱり夜子さんはすごい人だ。
底の知れない部分や、魔女・魔法使いとしての強さもそうだけれど。
人として、私たちでは及びもつかない。
それがきっと、大人ということなのかもしれない。
そんな二人の背中を見送っていると、氷室さんがそっと私の手を握った。
けれど口は開かない。さっき沢山の想いを口にしてくれたからかもしれない。
でも、今の私にはそれがちょうどよかった。
「ありがとう、私を繋ぎ止めてくれて。────氷室さん」
だから一言。お礼の言葉だけを口にする。
氷室さんはただ無言で頷くだけ。
私もそれ以上はもう続けなかった。
でも、私たちにはそれで十分だった。
封印が解け、昔の記憶を思い出した。
そこにあった沢山大切なものを思い出した。
でもだからといってそれは、今を蔑ろにするものではない。
昔が大切なのと同じくらい、私には今も大切だ。
私にはまだ、どれが一番かを決めることはできないけれど。
だからこそ、大切だと思うものを全てを見失わないで、等しく目を向けることができるはずだ。
『まほうつかいの国』で私が出会ったもの。経験したこと。
それは本当に掛け替えの無いもので、私の心に深く根付くものだけれど。
私が生まれたこの世界で、ずっと過ごしてきたこの街で、共に過ごしくれている友達との日々も、やっぱり私には欠かせない。
今の自分を形作っているものは何なのか。
自分にとって大切なものは何で、何の為に自分はここにいるのか。
私は何の為に生きているのか。
私は誰の為に生きているのか。
その答えを明確にすることは、今の私にはまだ難しいけれど。
でも、一つだけ言えることがある。
私は友達と共に生きている。
それだけは、この心が証明してくれる。
だから私は、私なんだ。
暖かな冬の日差しが降り注ぐ空を見上げると、季節外れの蝶が一羽、ひらひらと横切っていった。
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