131 止まらない涙

 千鳥ちゃんは、私のことを真っ直ぐに見据えて、震える声で叫んだ。

 私のことを殺すと、その口で。


 涙が溢れ出すその奥で、震えながらも芯の通った瞳を向けて。

 脚は震え、肩は震え、息は荒い。

 真っ青になった顔で、それでも力強く。


 千鳥ちゃんは、私に言ったんだ。


「そんな…………それじゃあ、それじゃあ……」


 決然と、覚悟を決めた目を向けられながらも、対する私は戸惑いを隠せなかった。

 心臓がキュッと締め付けられて、体が強張る。

 体の中を引っかき回されたような気持ちの悪さに襲われて、今にも吐き出しそうだった。


「千鳥ちゃんはずっと、私たちを騙してたの……? 私を、夜子さんを、みんなを、騙してたの?」

「それは……違う。いいえ、違わないかもしれないけど、でも、違うの」


 震える手を胸の前で握りしめて、何とか気持ちを保ちながら、絞り出すように尋ねる。

 千鳥ちゃんはまた少し俯きつつ、フルフルと首を横に振った。


「私はね、ロード・ケインに言われて、夜子さんを殺すためにその懐に潜伏した。居候としてここに居座ったのは、その為だった。でも、夜子さんと一緒に生活して、アンタたちと出会って私、とてもじゃないけどそんなことできなかった。誰かを殺すなんて、夜子さんを殺すなんて、できなかった…………」


 未だにその涙は止まらない。

 大粒の涙を流し続けながら、千鳥ちゃんは吐き出すように言う。


「我が身可愛さに、自分が生き残れるならって、ロード・ケインの話に乗った。私はそういう奴だった。でもね、アリス。私、ここで過ごしているうちに、自分と同じくらい大切なものを見つけられたような気がしたの。夜子さんとかアンタとかといるのが、すっごく居心地が良くて。碌でもない私を受け入れてくれて、必要だと言ってくれる人がいるんだって知れて。私嬉しかった」

「じゃあ……!」


 心の内から吐き出すようなその言葉には、偽りなど見えなかった。

 取り繕うことのない、紛れもない千鳥ちゃんの本心だとわかる。


 千鳥ちゃんの吐露からは、私たちに対する敵意は全く見えてこない。

 私たちを騙し、欺こうとしているとは到底思えなかった。


「だからね、無視してやろうと思ってたのよ。約束なんか知ったこっちゃないって。君主ロードの保護を受けなくたって、私はここでみんなと生きてやるって思ってた。夜子さんのことも、アリスのことも、私が守ってあげるんだって、さっきまでそう、思ってた…………」


 拳を強く握り、千鳥ちゃんは食い縛るように言う。

 何だかその言葉は、懺悔のように聞こえた。


「私を友達と呼んでくれるアンタのこと、大切だって思ってる。なんだかんだ言って、私の面倒を見てくれる夜子さんのことも、大切。当たり前じゃない。大切じゃないわけ、ないわよ。でも。でも、でも…………」


 顔を持ち上げ、千鳥ちゃんは再び私の目を見た。

 泣き腫らした真っ赤な目。今も尚止めどない涙を流し続ける目。

 そのぐちゃぐちゃの顔で、千鳥ちゃんは私を見る。


「お姉ちゃんが……お姉ちゃんたちが、私に生きて欲しいと望んでる。私の大好きなお姉ちゃんたちが、二人とも、その命を懸けて私のことを想ってくれた。私が生き続けられるように、私の幸せを願い続けてくれた……! 弱い私を、頼ってばっかりの私を、逃げ出した私を、無責任な私を。お姉ちゃんたちはずっと愛し続けてくれてた! 私はずっと目を逸らしてきたのに、アゲハお姉ちゃんは、ずっと私のことを想ってくれてたの!!!」


 その叫びは、まるで心を握りしめているかのようだった。

 溢れんばかりの感情を自分でも整理できなくて、でも、そのまとまらない気持ちが彼女を突き動かしている。

 衝動的かもしれない。でもそれは、千鳥ちゃんの心が命じた純粋な気持ちによるものだ。


「私、バカだから……いつまで経っても、自分のことで精一杯なバカだから。取り返しがつかなくなるまで、気付けなかった。自分にとって一番大切なものは何なのか、誰よりも私のことを想ってくれていたのは誰なのか。私が、何に生かされてきたのか。今になるまで、気付けなかった……」

「千鳥、ちゃん…………」

「私ね、アリス。アンタのこと好きよ。アンタに友達って言ってもらえて嬉しかったし、居場所になるって言ってくれたのも、すっごく嬉しかった。だからアンタのことを守りたいって思って全力で戦ったし、だからこそ命懸けで転臨もした。私は、アンタが大好き」


 千鳥ちゃんはぎこちなく笑う。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔で。


 その笑顔は歪だったけれど、そこに込められている好意は本物に思えた。

 その言葉は、私のことを好きだと言ってくれるその言葉は本物だ。

 でも、涙は止まらない。


「でもねアリス、ごめん。ごめん……ごめんなさい。私、やっぱりお姉ちゃんが大事みたい。バカみたいって思うかもしれない。何絆されてるんだって、思うかもしれない。でも私やっぱり、アゲハお姉ちゃんが大好きみたい。あんなに嫌だったのに、怖かったのに、憎かったのに……でもやっぱり、好きだったみたい。ごめん、アリス」


 今まで気付けていなかったお姉さんたちの愛に触れて、自分がどれだけ守られてきたのかを知って、自分の本当の気持ちに気付いたんだ。


 今まで恐れ憎み続けていたアゲハさんのことも、自分は好きだったんだって。

 本当は大好きで、だからこそ憎かったんだって。


「アンタのことが好き。みんなのことも好き。でも、でも……私にとっての一番は、お姉ちゃんだ……。お姉ちゃんより大切なものなんて、私にはなかった。お姉ちゃんたちが、私の全てだった。そんなこと、今更気付いたってもう遅いけど。だからね、ごめんアリス……」


 何度も何度も、千鳥ちゃんは謝る。殺すと言った私に、謝る。

 決意を込めた目で、涙と共に謝り続ける。


「私は、大好きなお姉ちゃんたちの望みに応えたい。アゲハお姉ちゃんがその命を懸けた望みを、私は叶えたい。だからね、アリス。その為なら、私は何でもする。裏切り者と言われようと、卑怯者と言われようと、知ったこっちゃない。私は、お姉ちゃんたちの願いのために、アンタを殺して生き続ける!!!」


 声は震えているけれど、その気持ちに揺るぎはなかった。

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