114 友達と家族

 昼夜を反転させた曇天。

 まるで夜の帳が下されたかのように辺りは暗く重い。

 その下で、まるで邪悪を体現したのような、醜悪の権化が目の前に浮かんでいる。


 そこに存在しているだけで放たれる威圧感。

 相対していると押し潰されそうになる圧迫感。

 立っているのも、息をしていることさえやっとな気持ちになる圧倒的恐怖。


 それが今、私たちの目の前にいる。


「コイツは……アタシたちの手に、負えるのか……?」


 木刀を握りしめ、カノンさんが歯を食いしばりながら口にした。

 全員が思っていることを、敢えて言葉にすることで明確化する。


 元々のアゲハさんだって、とてつもなく強かった。

 転臨に至った魔女の力は、本来の魔法使いとの優劣を覆すほどのものだった。

 でも今目の前にいるアゲハさんは、もうそんな次元を超えていて。


 強いかどうかではない。そんな価値観の外にいる存在のように思えた。

 住む世界が違うというか、概念が違うというか、尺度が違うというか。

 そんな気持ちにさせられる程、めちゃくちゃな力を感じる。


「完全にヤババ〜って感じだね。勝てるか勝てないかでいうと、カルマちゃんは勝てないと思うんですけれど……?」


 カノンさんにしがみつきながら、カルマちゃんはストレートに言った。

 口調はややおどけているけれど、でもその声色からは緊張が隠せていない。


「アリス、ちゃん……」


 みんなで息を飲む中、氷室さんがそっと私の名を呼んだ。

 向けられた静かな瞳に応えると、氷室さんはぶれることのない真っ直ぐな瞳で私の目を見つめてきた。


「あなたが戦うのなら、私も戦う。例え、相手が何だとしても」

「氷室さん……」


 決意に満ちた言葉に、私は自分の声が震えたことを感じた。

 氷室さんだってあのアゲハさんのとんでもない力は感じ取っているはずだ。

 だからみんなと同じように、どうしようもなく恐ろしいと思っているはず。


 それでも、それでも私の意思を信じて付いてきてくれようとしている。

 その真っ直ぐな気持ちに、私は自分自身への責任を感じた。

 私が戦うと言えば、氷室さんはきっと私よりも前に出て戦ってくれる。


 それはつまり、誰よりも危険なところに飛び込むということ。

 私が戦う意思を見せることで、氷室さんを危険な目に合わせてしまうんだ。


「…………」


 そう思って言葉を詰まらせた私を見透かしたように、氷室さんは無言の視線を投げかけてきた。

 その目は、私なんかよりもよっぽど覚悟ができていた。

 私の考えなんか全部お見通しの上で、氷室さんは問いかけてきたんだ。

 なら、もうくよくよなんてしていられない。


「戦うよ。私は、戦う。そうしないともう、何にも解決しないから」


 千鳥ちゃんの手をぎゅっと握って、私は踏ん張るように言った。

 氷室さんはただ無言のまま頷いてくれて、それを見たカノンさんとカルマちゃんも顔を引き締めていた。


「やるっきゃ、ねぇーよな。今更逃げ出してる場合じゃねぇし。アタシも最後まで付き合うぜ」

「しょーーーがないよね。乗りかかった舟ってやつ? ま、アゲハちゃんとは知らない仲じゃないし? どっちの方がプリティチャーミングなモテモテガールなのか、わからせるいい機会かもねん!」


 私自身も、そしてみんなも、強がりを言っているんだってわかる。

 でも、強がっていなければ押し潰されそうなんだ。

 だから目一杯の力強い言葉で、自分を奮い立たせて立ち向かう勇気を振り絞っている。


 蝶を模した異形の怪物と成り果てたアゲハさん。

 真っ白な身体と蒼い羽が、夜のように暗くなった空の下で不気味に映えている。


 そんな彼女に、私たちは精一杯の強がりで向かい合う。

 そんな中だった。


「…………アンタたちは、逃げなさい」


 千鳥ちゃんが一歩前に踏み出し、ポツリと言った。

 握りしめていた私の手をそっと放して、弱々しい一歩を踏み出した。


「ダメよ。戦っちゃダメ。そもそも戦いになんかならない。擬似的とはいえ、模倣とはいえ、再臨に手を伸ばしたアイツは、見た目通りの化け物よ。絶対……絶対……」


 唇を噛み、涙を堪え、恐怖を押さえつけながら、千鳥ちゃんは震える声で言った。

 この状況になったこと、アゲハさんがあの姿になったこと、その全てに責任を感じているようだった。

 そのツケを全部自分で払おうと、一人前へと足を伸ばしている。


 でも、それは違う。


「私たちは誰も逃げないよ。一緒に、千鳥ちゃんと一緒に戦う。誰も千鳥ちゃんのことを責めたりしないし、誰も千鳥ちゃんのことを一人になんてしないよ」


 追いかけるように私も足を踏み出して、放された手をもう一度握る。

 千鳥ちゃんが、引きつった顔で私を見た。


「でも、全部全部私が悪くって、私が引き起こしたことで……だからこれは私の責任で、だから……」

「私はそんなことないと思うよ。でももしそうだったとしても、そしたらその責任を私も一緒に背負うよ。だって友達だもん。楽しいことも辛いことも、共有するのが友達だから。千鳥ちゃんの責任は、私の責任だよ」

「アリス……」


 綺麗事かもしれない。理想論かもしれない。もしかしたら、偽善なのかもしれない。

 でも私は、心の底からそう思うんだ。

 千鳥ちゃんの為に全身全霊で、できる限りのことをしてあげたいって。

 一緒に乗り越えていきたいって思うんだ。


 みんなも同じ気持ちでいてくれたのか、一歩を踏み出して私たちはまた一丸となって身を寄せ合った。

 それを見た千鳥ちゃんがうぅっと嗚咽まじりの声を上げて俯いて、小さな肩を震わせた。


『相変わらず、虫酸が走る────!』


 そんな私たちに、アゲハさんが引きつった声を浴びせかけてきた。


『赤の他人がその場の感傷で取り繕ったって、そこに何の意味もない! 友達なんてものは────そんなところにいたって、何にもならない! 血の繋がりに────家族の絆に────姉妹の愛に────敵うわけがないのに────! クイナ! ────クイナァアアアアアア!!!』


 私たちを見下ろして、アゲハさんは絶叫した。

 アゲハさんの声なのに、地獄の底の亡者の叫びのような不快感を覚える。

 そんな怨嗟のこもった叫びに、千鳥ちゃんは引きつった顔でアゲハさんを見上げた。


「家族も、友達も、違いなんて何にもない。大事なのはお互いを思う気持ちだって、私は教わった。一人ぼっちで自分のことしか考えてこなかった私が、誰かと一緒に、誰かの為に戦いたいと思えるようになった。それは確実にこの子たちともだちのおかげ。私はね、アンタのこともツバサお姉ちゃんのことも、忘れたりどうでもいいと思ったことなんて一度もない。でも今は、ここにいる友達と一緒にアンタに立ち向かうことが正しいことだと思ってる! 自分自身と、私の大事な友達の為に!!!」


 恐怖は隠せず、けれど屈さずに力強くアゲハさんを見つめて、千鳥ちゃんは声の限り叫んだ。

 怒りも恐怖も悲しみも、全部全部混ぜ合わせて、アゲハさんへの想いとしてぶつけている。


 アゲハさんが千鳥ちゃんの為といって襲いかかってくるのなら。

 千鳥ちゃんもまた、それを正面から受け止めた上で彼女に対する想いをもってぶつからないといけない。

 そうしないと、いくら姉妹でもわかり合うことなんてできないから。


 今すぐには無理でも、気持ちを曝け出し合えば、ぶつけ合えば、いつかはきっとわかりあえるはずだから。


 けれどまだ、その声はアゲハさんには届かない。


『どの口が! ツバサお姉ちゃんを死に追いやったアンタを────私は許せない! 私から逃げて────一人ビクビク生きてきたアンタが────何を偉そうに! 弱くて守られないと生きていけない妹のくせに────姉に逆らうな! 私が代わりに、全部清算して────アンタを救ってやるって言ってるんだから────大人しく全部ぶっ壊されてればいいのよ! それがクイナの────唯一幸せになる方法なんだから!!!』


 あらゆる感情がおぞましい力となって、叫びと共に私たちへと覆いかぶさってきた。

 一言ひとことが空気を揺るがし、あらゆるものを圧迫する。


『その為にはまず────アンタが、死ね────アリス!!!』


 呪いのような叫びと共に、アゲハさんの黒い魔力が吹き荒れた。

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