106 空間魔法

「それで終いじゃねぇぞ!」


 一瞬怯んだケインに、カノンは手を緩めなかった。

 木刀の一突きによって穴が空いた障壁を、強引に蹴り砕いて突き進む。


 再び両の手に木刀を握り、背後に打ち付けられたケインへと二撃を振るった。

 それと同時にカルマは柵から飛び上がり、障壁を飛び越えてケインの頭上をとった。

 大鎌を両手で握り、まるで大道芸のように自身ごとぐるぐると回転しながら落下する。


 二人の攻撃がケインに届かんとした時。

 空間自体がぐにゃりと歪み、ケインの姿が一瞬にして朧げになった。

 そして瞬きのうちにケインの姿はその場から搔き消え、攻撃はくうを切った。


「いやぁ危なかった。びっくりしちゃったよまったく」


 空間を歪めカノンの後方に転移したケインが、息を吐きながら言った。

 攻撃を空振った二人はすぐさま声がする方へと向き直り、次の一手へと構えた。

 そんな二人にケインは待ったをかけるように手を伸ばす。


「勘弁してくれよぉ。僕も結構いい歳だからさ。年頃の女の子の溢れるパワーを受けてたら、身体がいくつあっても足りないって」

「ぬかせ! 君主ロードのてめぇが、この程度でへこたれるわけねぇことくらいわかってんだよ!」

「僕が実戦嫌いなのは知ってるでしょー」


 吠えるカノンに対し、ケインはひ弱な声を上げる。

 魔法使いとして上位の存在である君主ロードにしては、些か威厳が足りない振る舞いだ。


 しかし事実、ケインは実戦力が高いとは言えない。

 魔法使いとしての魔法の技術は一流だが、それと戦闘行為の得手不得手は別の話だからだ。

 とはいえ、普通の魔法使いに魔法戦闘で遅れをとるかといえば、それほど彼も弱くはない。


 しかし今の相手はカノン。

 彼女は魔法使いとしては並みの実力しか持ち得ていないが、戦闘行為、特に物理的接近戦の能力は高い。

 知略や術理を伴う戦いではなく肉弾戦に持ち込まれれば、ケインにとって相性のいい相手とは言えない。


「だからってアタシに簡単にやられる玉かよ。そういうことは本気を出してから言え」

「手厳しいなぁ。オジサンをもっと労ってくれてもいいんだぜ?」

「問答無用だ。本気ださねぇならさっさとくたばれ!」


 肩を竦めるケインに、カノンは瞬時に飛びかかった。

 脚力を魔法で強化した彼女は、一度の蹴りで瞬く間にケインの眼前へと迫る。そう思った時────


「近づかれたらたまらないから、近づかないでもらおうか」


 ケインの目の前に飛び込んだと思っていたカノンの体は、いつの間にかビルの外へと飛び出していた。

 ケインを通過し柵を越え、身一つで宙に放られている。


「なにっ────!」

「うわーお! カノンちゃんあっぶなーい!」


 重力に従って急速に落下しようとしていたカノンを、カルマが引き寄せた。

 念動力のように魔法でその身体を支え、強引に屋上へと引き上げる。

 カノンはその勢いに乗って身を翻し、辛うじて落下を免れ着地した。


「また空間を捻じ曲げやがった。厄介だな────」

「危機一髪だったねぇカノンちゃん! カルマちゃんナイスフォローだったでしょ? 褒めて褒めて〜!」

「今それどころじゃねぇことくらいわかんだろ!」


 落下の危機を回避し冷や汗を流しつつ次の手を考えていたカノンに、カルマはハイテンションでじゃれついた。

 カノンに怒鳴られると、まるで子供のように頬を膨らませて不機嫌をあからさまにする。

 しかしカノンはそれに構わずケインに目を向けた。


「小癪な真似すんじゃねぇか!」

「それくらいしか取り柄がないからね、僕は。もう殴られたくないし、次はこっちから仕掛けよう」


 ケインの顔から笑みが消え、重く暗い視線がカノンを突き刺した。

 そのただならぬ雰囲気に彼女が警戒を強めた瞬間、まるで空が落ちてきたような重圧が二人に襲いかかった。


 プレッシャーのような精神的な圧力ではない。

 その場の空間が折りたたまれようとしているように、上から物理的な圧力が降りかかってきている。


「なんだ……!?」


 カノンとカルマは咄嗟に上部に障壁を張ったが、その場の空間が降りかかってくる圧力に抗えるものではなかった。

 上から地面が落ちてきたような重圧。空間の圧縮に、その場に存在する物質が逆らえるものではない。


「ぁぁああああ!!!」


 しかしカノンは辛うじて膝を折らず、力の限り踏ん張って押し潰されそうな圧力に耐えていた。

 いち早く重圧に屈してうずくまったカルマを庇うように覆い被さり、獣のように咆哮を上げながら堪える。


 持てる魔力全てを全身の強化へと回し、なんとか持ちこたえる。

 肉弾戦、接近戦に特化したパワータイプである彼女ならではの芸当ではあるが、それも時間の問題だ。

 世界そのものが押し潰そうとしている重圧に、ちっぽけな人間がいつまでも堪えられるものではない。


「やっぱり君はおっかないねぇ。普通そんなぶっ飛んだことできないよ。でも、いつまでもつかな」

「くら、えぇ……!」


 その剛胆ぷりに関心と同時に呆れるケイン。

 しかしその実力差の前に勝負は決したと、僅かに気を抜いてた。

 だがカノンは自由のほぼきかない身体を捻り、重圧を堪えながらケインに向けて木刀を投げ打った。


 振り絞った力で投擲された木刀だが、直線的な攻撃はケインの空間魔法によって途中でへし折られた。

 真っ二つに折れて投擲の勢いを失った木刀。ただの残骸となったそれは、しかし突如自ら粉々に砕け散り木片と化した。


 予想だにしていなかった事態に、ケインは戸惑い反応が遅れる。

 その間に砕け散った木片、その一欠片一欠片が膨れ上がってそれぞれが木刀へと形を変えた。

 そして宙に並んだ木刀の群れは即座に、ガトリングガンの弾丸のようにケイン目掛けて一斉に掃射された。


「これはまずい」


 ケインは咄嗟に空間を捻じ曲げて木刀の散弾の軌道を逸らそうとしたが、遅かった。

 彼が魔法を行使するよりも早く、木刀の群れが雨霰のようにその身に飛びかかる。


 真正面から襲いかかる木刀の弾丸にケインは苦し紛れに障壁を展開し、なんとか直撃は免れる。

 しかしそれでは防ぎきれなかった木刀が、ケインの体を強く掠め穿った。


「……君もなかなか、小細工をするようになったじゃないか」


 木刀の嵐に体の至る所を強く打ち付けられ、やや顔をしかめながらケインは皮肉をこぼした。

 今の攻撃で少なからず、骨にまでダメージが通っている箇所がいくつかある。

 しかしそれによる苦痛をまるで感じていないとでもいうように、ケインは冷静な声でカノンに声をかけた。


「くそっ……」


 未だ止まない上部からの圧力に耐えながら、カノンは舌打ちをした。

 今の不意打ちでこの攻撃を止めさせることができなかったのは痛い。

 今は根気で耐えている彼女だが、それも後どれ程もつか。


 それを理解しているケインは、飽くまで余裕を持って僅かに微笑んだ。


「残念だったね。惜しかったけれど、君の負けだ」


 低い声で優しく言うと、ケインは二人にかける空間の圧縮を強めた。

 ギシギシと空気が軋む音とともに、空間が捻じ曲がり視界が歪む。

 そんな抗いようのない現象の只中で、カノンはカルマを庇いながら雄叫びを上げた。


 少しでも気を抜けばぺしゃんこになる。

 だからこそカノンは微塵も力を抜かず、一瞬一瞬に全霊を込めて堪えていた。

 しかし、人間の肉体では限界がある。いくら魔法で強化をしようとも、空間の変動にいつまでも耐えられるものではない。


「負け、るか……! アタシには、守らなくちゃなんねぇもんが、沢山、あんだよぉおお…………!!!」


 勝てないことは承知の上。

 実力に天と地程の差があることは当然の事実。

 それでも、それに打ち勝たなければ守れないものがある。

 だから彼女は、この場にやってきた。


 故にカノンは諦めない。全てを守ると決めたから。

 自らの行いを清算するため、責任を果たすために戦うと決めたから。

 限界を越えて吠える。


 一分でも一秒でも長く生き抜いて、活路を見出すために。


「うぁぁぁああああああああ!!!」


 しかし、魔法使いの君主ロードとの実力差は、根性だけでは埋められなかった。

 カノンの全身が悲鳴を上げ、意思とは無縁に体が沈む。

 瞬時に折りたたまれそうな重圧に徐々に抵抗力を失っていき、今まさに押しつぶされようとしていた。その時。


 ボンと、タイヤが破裂したような鈍い音が炸裂した。


「全くどいつもこいつも。人んで暴れないでほしいなぁ」


 そんな呑気な女の声がカノンの耳に届いた瞬間、降りかかっていた重圧が全て消えた。

 空間の圧縮そのものが破壊され、その場が急激にあるべき形へと戻る。

 不意に解放されたカノンがふらつきながら声のした方に顔を上げると、彼女の前に一人の女が立っていた。


「やぁ坊や、久し振りだね────あぁ、今はロード・ケインと呼んでやった方がいいんだっけ?」


 気怠そうにズボンのポケットに手を突っ込みながらケインの前に立ちはだかり、真宵田 夜子はニンマリと笑みを浮かべた。

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