82 走馬灯のような夢

 夢を見た。

 夢だとわかる夢を見た。


 様々なものが朧げで、何も具体的なものは見て取れないのだけれど。

 ここにこうして存在していることすらも定かではないけれど。

 それでも私は、夢を見ていることを自覚した。


 風景なのか人なのか、よくわからないものが目の前をぐるぐると過ぎていく。

 それが何なのかさっぱりわからないのに、何故か懐かしいような気持ちだけがポッと胸を熱くする。


 でもその感情すらも何となくで、何一つ定かなものはなくて。

 でも頭だけは妙にクリアで、不思議な夢だなぁなんて思いながら過ぎ行く不確かな光景を眺めていた。


 ふんわりと夢の中を漂っているのは案外暇で、私は眠る前に考えていたことにもう一度頭を巡らせた。

 すると私の考えに反応したのか、急激に視界がハッキリとしてきた。

 ごちゃごちゃしていた風景はピントが合ったように明瞭になって、一気に景色が広がる。


 そこはうちのリビングだった。

 いつもご飯を食べたり、テレビを見たりしてくつろぐ我が家のリビングだ。

 私はソファに座っていて、視線の先には台所で料理をしているお母さんの姿があった。

 ごくごくありふれた、なんてことない日常の風景。


 パッと場面が切り替わった。

 私は制服を着て道を歩いていて、右には晴香、左には創がいる。

 これはついこの間まで当たり前だった通学の風景。

 変わることがないと信じていた、三人での日々だ。


 今度は学校の教室になった。

 創に会いに来たのか、正くんもいる。

 そこに善子さんがやってきて正くんを嗜めた。


 薄暗い場所になった。夜子さんの廃ビルだ。

 千鳥ちゃんが夜子さんにキツイこと言われてキーキー喚いている。

 もう何度も見た、二人ならではのやりとりだ。


 三階の千鳥ちゃんの部屋になった。

 私の太腿にまくらちゃんが頭を預けて嬉しそうに笑っている。

 そんなまくらちゃんを、カノンさんが緩んだ顔で見つめていた。


 私の部屋になった。

 薄暗い中で私は晴香と一緒にベッドに横になっている。

 赤い顔で滝のような汗を流しながらも、晴香は笑っている。


 夜の公園になった。

 私はそこで誰かと抱き合っていた。

 燃えるような赤い髪と長い黒髪のポニーテールが見えて、それがレオとアリアだとわかる。

 二人は私を抱きしめて泣いていた。


 景色が流れる。人が流れる。

 次々に切り替わる場面と人々を追っているうちに、私は理解した。

 これは私が大切にしてきた人たちと、その思い出の断片だ。


 大切なもののことを考えながら眠りに入ったものだから、その想いが走馬灯のように駆け抜けている。

 そうやって改めて噛み締めてみると、やっぱりどれも大切で比較なんてできないと思ってしまう。

 でもきっと、この中のどこかに私にとっての一番が────


 そう思った時、私は違和感を覚えた。

 今もなお流れ続ける様々な思い出。いろんな人たち。

 でも、まだ私の前に現れていない人がいる。


 所詮夢なんだしとも思ったけれど。

 でも、その人がここに現れないのは、なんか嫌だと思った。その時だった。


 流れていた景色、人々がパッと消えて一面が真っ白になった。

 眩しいくらいの白い視界は次第にその明るさを落ち着けていって、やがて周囲は淡く青白い光に満たされていく。

 今度は何が起こるのかと辺りを見回していると、視界の端っこに人影が現れた。


 私は急いでその人影に目を向けた。

 そこにいたのは一人の女の子。私がよく知る女の子。

 雪のように白い肌と、艶やかな黒髪のショートヘアが対照的。

 お人形のように端正な目鼻立ちの中で輝くスカイブルーの瞳。


「氷室さん……!」


 私は思わずその名前を呼んだ。

 そしてここで声を出すことができるんだと遅れて驚いた。


 氷室さんは私の呼びかけにびくりと肩を震わせた。

 やや俯いて、目を前髪で隠してしまうのはいつものことだけれど、そこはかとなく他人行儀な雰囲気を感じる。

 それに見た感じ、いつもより三割り増しくらいで大人しそうだ。


 でも、ここ数日戦ったりしている氷室さんを見ているから少し印象は変わったけれど。

 元々の氷室さんの印象といえばこんな感じだ。

 物静かで大人しくて、人とあんまり関わらなくて、いつも一人で本を読んでいる女の子。

 その元来のイメージが色濃く出ているのかもしれない。


『アリス、ちゃん……』


 その氷室さんが私の名前を呼んだ。

 今まで流れていた風景は、過去の出来事や印象をまるで映画のように観ているだけだったから、この私に語りかけてくる人はいなかった。

 でもこの氷室さんは、明らかに今夢を見ているこの私に対して声を掛けてきた。


 顔を伏せて長い前髪で綺麗な瞳を隠しながら。

 髪の隙間から私を伺い見て、か細い声で私を呼んだ。


『……アリスちゃん』


 一歩、氷室さんはこちらに歩みを進めてきた。

 ゆっくり、ゆっくりと私に近づいて来ようとしている。

 私たちの間に大した距離は空いていないから、普通ならば数歩で詰められる距離。

 だっていうのに、氷室さんが何度足を前に出しても私たちの距離は全く縮まらない。


「氷室さん……」


 気がつけば私も足を踏み出していた。

 でもやっぱり私たちの距離は無くならない。

 お互いに歩みを進めているのに、まるで動く歩道を逆走しているようにその場に留まって進まない。


『わた……私、は……』


 氷室さんが手を伸ばした。私も手を伸ばす。

 でも、届かない。


『私は、ここにいる、から…………』


 控えめに伸ばされた手を、必死に掴もうと私も手を伸ばす。

 でも届くどころか、段々と氷室さんが遠のいていっている気がした。

 お互いに向かっているはずなのに、近づくどころか距離が開いている気がする。


『私が、いつだって、アリスちゃんを……アリスちゃんの、心を守ってる、から………………』


 徐々に遠のきながら、細い声が切実さをもって飛んでくる。

 弱々しくも、それは芯の通った声だった。


『だから…………負け、ないで。見失わ、ないで。アリスちゃんと、わ、私、は────────』


 遠のく姿と共に声も小さくなっていく。

 元々細かった声が、どんどん聞き取りにくくなっていく。


 氷室さんが行ってしまう。

 それを猛烈に寂しく思った私は、必死になって足を早めて手を伸ばした。

 それでもどうにもならない。氷室さんは離れていく。


「氷室さん……! 氷室さん、待って!」


 私は叫んだ。でも、声が出たのかわからなかった。それが氷室さんに届いたのかわからなかった。

 今ここにいることが定かではない夢の中だからなのかな。

 そうこうしている内に、青い白い光に満たされたこの空間全体が段々ぼんやりとしていくのを感じた。


 けれど俯き加減の氷室さんの口元がほんの少しだけ緩んだことに、私は遠目に気がついた。


『ありが、とう……アリスちゃん────私を────と────んでくれ、て────』


 遠いからか、小さいからか、掠れているからか。

 氷室さんの声は、もうはっきりと聞き取ることができなかった。


 遠のいていく氷室さんは足を進めるのを止めていた。

 それは諦めていたというよりは、この状況を受け入れているようだった。


 青白い光が次第に強くなり、その輝きが氷室さんの姿を包んでいく。

 もうシルエットくらいしかわからない中、そのスカイブルーの瞳だけがそれを氷室さんだと教えてくれた。


『忘れ、ないで────私は、ここに────────アリスちゃんの、大切なものは、ずっと────のそばに────────』


 光が全てを満たした。もう何もわからない。

 氷室さんの姿も声もわからなくなって、私はただ青白い光に包まれた。


 この夢はなんだったんだろう。

 深く考え込んでいた私が見た、ただの夢に過ぎなかったのか。

 それとも何か意味があったのか。


 そんなこともわからないまま私は光に包まれて、視界も頭も真っ白になった。

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