79 優先順位
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カノンとまくらが廃ビルを後にし、二人帰路についている時のこと。
街外れにある廃ビルから、更に街境いギリギリまで外れた先に、二人が住まいにしているアパートがある。
さして遠くもない道のりを、二人はのんびりと歩いていた。
「…………」
まくらの手を握りながら、カノンは僅かに顔をしかめていた。
今回アリスと千鳥に降りかかった問題の一端は、確実に自分にあると思っているからだ。
今回の元凶であろうロード・ケインと、これで否が応でも決着をつけなければならなくなった。
彼女がかつてC9として魔女狩りを務めていた際の、直属の上司であるケインに。
彼女が裏切った魔女狩りという組織に、ケジメをつけなければならない。
まくらと共に逃げ出す時、全ての覚悟を決めたはずだった。
何を敵に回そうとも、まくらを守る為ならば誰とでも戦い、生き抜いてみせると。
しかし、実際
しかし、そうも言ってはいられない。
カノンにとって守るものは、もうまくらだけではなくなったからだ。
この世界にやってきたことで、カノンには多くの友ができ、それは同時に守るべきものとなった。
彼女たちがケインの手によって脅かされているのなら、見て見ぬ振りなどできるわけがない。
それが例え強大な相手だとしても、引くわけにはいかなかった。
友を守る為、責任を果たす為。それがカノンの選んだ道だった。
「やるっきゃ、ねーんだよ」
まくらには聞こえないほどの呟きを一人こぼすカノン。
自分に言い聞かせる為だけの独り言。
その言葉に全ての覚悟を込め、カノンはしかめていた顔の力を抜いた。そんな時だった。
「ねぇカノンちゃん」
不意にまくらがカノンの手をぐいぐいと引いた。
とろんと緩んだ声色に何事かと顔を下ろすと、まくらが目をこすりながらカノンをのっそりと見上げていた。
「なんかね……バトンタッチだって……」
「は? おいまくら、どういう────」
若干舌が回らなくなっているその言葉にカノンが首を傾げた瞬間、まくらの体から急に力が抜け、ぐらっと仰け反った。
手を繋いでいるカノンは咄嗟のことに慌ててその手を引き、体勢を立て直させようとした。
しかしカノンがまくらを引き寄せる前に、まくらの体はボワンと吹き出した煙に包まれて見えなくなってしまった。
「なっ……!」
突然のことに眼を見開いているカノンをよそに、立ち込めた煙は早々に晴れた。
そこにあったのはワンピース姿の大人しい少女ではなく、三角帽子とマントを羽織るニヤケ顔の少女。
まくらは、カルマへと替わっていた。
「やっほー本日三回目のご登場! ラブリーでチャーミングでキュートなガール! カルマちゃんでごっざいまーす!!! カノンちゃん、数分振り!」
「カ、カルマてめぇ! 何勝手に出てきてやがんだよ!」
カノンに握られていた手をバッと放し、カルマは大きく腕を広げて声高々に登場を宣言した。
その姿を見てすぐさま苛立ちを浮かべるカノンに、カルマはニンマリと小気味良い笑顔で返すと、数歩後ろ手に距離をとった。
「いやーそれがねぇ。どーしてもカノンちゃんに言っておきたいことがあってさぁ〜。だからカルマちゃん、悪いなぁーって思いつつもこうして参上した次第なのですよ〜」
「言いたいことだぁ?」
わざとらしく恭しい言い方をするカルマ。
そんな彼女に、カノンは不機嫌さを隠すことなく訝しげに首を傾げた。
カルマのことだ、碌なことは言わないだろうと高を括っての態度だった。
「用があるからさっさと済ませろ。その身体はまくらのもんなんだ。お前が好き勝手にしていいもんじゃねーんだよ」
「酷いなぁカノンちゃん。一応カルマちゃんだってこの身体の所有者ではあるんだけどなぁ。ま、その辺の話は今は置いておきましょっか〜。いやーカルマちゃん大人だなぁ〜!」
えっへんと胸を張って威張るカルマに、カノンは舌打ちを打った。
カルマが以前のカルマとは違い、自分たちに害をなす存在ではないということは理解している。
むしろ今は、まくらの為になる存在だとわかってはいる。
しかし、以前の一ヶ月に及ぶ殺し合いの日々は、なかなか拭い去れるものではない。
そして何より、前と変わらないこの振り切った性格がどうも相入れない。
戦力としてある程度役に立つことはわかっている彼女だが、個人的に親密になれる気は全くしていなかった。
「そんじゃあ単刀直入に用件をば! カルマちゃんが単刀直入とかちょーベリーレアだからね??? 崇め奉って感涙してもいいくらいのラッキーだよ?」
「…………」
既に単刀直入ではなくなっていることに、カノンは溜息をつかざるを得なかった。
そもそもそれを自分で言うのかと。しかし、カルマのおかしさを指摘することの徒労を、カノンはよく知っている。
それ故にカノンは無言に徹した。相手をしては、構っては負けだとでもいうように。
苛立ちや怒りを通り越してもはや呆れているカノンに対し、カルマはスッとそのニヤケ顔を引っこませた。
「カノンちゃんさ、自分が誰を守るのか忘れちゃってるでしょ」
「は? なんだよそれ。そんなのアタシが忘れるわけねーだろうが」
「ふーん。だったらさぁ、どうして無茶な戦いに首突っ込もうとすんのかなぁ?」
「……何が言いてぇ」
普段のハイテンションを急激に落ち着け、意地の悪い笑みをうっすらと浮かべるカルマ。
それは人を小馬鹿にするようで、しかしどこか非難するような鋭い気配。
常に陽気な彼女からは感じたことのない、重く暗いものがそこにはあった。
ジトっとした粘り気のある視線に、カノンは眉をひそめた。
「お姫様のためとかさ、他の色んなことのために、カノンちゃん無理な戦いしようとしてるじゃん。確かにそれは友達思いでカッコイイかもしれないけどさ、カルマちゃんはそれどうかと思うなぁ〜」
「だから何が言いてぇんだ! アタシがダチの為に戦うことの、何が気に食わねぇんだよ!」
「いやまぁ、それ自体は別にいいんだけどね? たださ、ちょっと勘違いしてないかなぁって思って」
今にも掴みかかりそうな剣幕のカノンに対し、カルマは平静を崩さずに答える。
意地の悪いねっとりとした笑みを薄く浮かべながら、苛立つカノンを観察するように目を向け続ける。
「カノンちゃんが一番に守るべきものはまくらちゃんでしょ? そこんとこ、どうなのかな?」
「…………!」
カルマの低い声がカノンに重くのしかかった。
それを忘れていたわけではない。忘れるわけがない。
何故ならそれはカノンの今の原動力だから。
しかし、それをカルマの口から言われたことにカノンは息を詰まらせた。
「お姫様の為、他のお友達の為。その為にカノンちゃんが戦うのは、別に良いことだと思うんだよ? でもさ、それはあれだよ。できる範囲でってやつだよ。まくらちゃんを守るっていう一番の目的を蔑ろにしてまですることじゃないと、カルマちゃんは思うわけなんだなぁ」
「蔑ろだなんて、アタシは別にそんなことは……!」
「じゃあ、どうして無茶な戦いをしようとしてるのかなぁ?」
ねっとりと絡みつくようなカルマの糾弾を、カノンは必死で振り払う。
しかし、カルマの言葉は間髪入れず繰り出され、カノンの否定を許さない。
「もし無茶な戦いをして、カノンちゃんが死んじゃったらどうするの? 誰がまくらちゃんを守るの? カルマちゃんはさ、それが気になっているのですよ」
「それは……」
カルマは笑みを浮かべている。静かに、のっぺりと。
しかしそれは、いつもの陽気でふざけた可笑しなものとは全く違う。
表情は笑みを浮かべてはいるが、その内側はニコリともしていない。
その笑みが言葉とともにカノンにのしかかる。
カルマの言っていることは決して間違っていないと思わせる。
それはある意味、カノンが目をそらしていたこと、考えないようにしていたことだからだ。
「けど、まくらもそれを望んでる。アイツだって、アリスたちの力になりたいって言ってんだよ。だからこそアタシは、多少無茶してでも戦おうって思ったんだ。アリスたちの為でもあるけどよ、まくらの意思だからこそだ」
「そうだねぇ〜。でもさ、カルマちゃんにとっては、何よりもまくらちゃんだから。カノンちゃんにはまくらちゃんを守ってもらわないと困るんだよ」
「まくらの意思は、関係ないってことかよ」
「そんなことないけどさ」
カルマはわざとらしく溜息をついた。
それはとても嫌味ったらしく、カノンは顔をしかめた。
「大事なのは優先順位だよ、カノンちゃん。まくらちゃんをこれからもずっと守っていけるんなら、カノンちゃんがどれだけ無茶しようがカルマちゃんは知ったことないけどさ。まくらちゃんを一人ぼっちにしちゃうかもしれない無謀は、困っちゃうわけですよ」
「じゃあ、お前はアタシにどうしろってんだよ」
「そんなの、簡単だよ」
カルマはニコッと笑った。
静かに重苦しく浮かべている嫌味ったらしい笑みではなく。
普段のような満面の笑みだ。
「今回は仕方がないって諦めればいいんだよ! だってカノンちゃんはお姫様よりまくらちゃんの方が大事でしょう? だから仕方ないよ、お姫様のこと見捨てたってさ」
「なっ────」
屈託のない笑顔で発せられた言葉に、カノンは言葉を詰まらせた。
しかし動揺する彼女の様子など気にも留めず、カルマは平然と続ける。
「仕方ないよ。どんなに大事でも、一番大事には敵わないんだからねん。お姫様のことはすっぱり諦めよう! だってカノンちゃんは、何よりもまくらちゃんのことが大事でしょう???」
一片の陰りもない笑みに見つめられ、カノンは言葉を詰まらせた。
一番大事なもののために、大切な友達を切り捨てる選択をしろとカルマは言う。
そんなことできるかと、いつものように強気に一蹴してやろうかと思った。
しかしそう口にしようとした時、まくらの
まくらの笑顔を犠牲にしてまで、自分は他の人間のために戦えるのか。
そう考えた瞬間、迷いが彼女の心に芽生え、決意を蝕んだ。
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