49 一晩を共に
「魔法使いのスパイ……? それってどういうこと?」
レイくんの口から出た突拍子も無い言葉に、私は目を瞬かせた。
そんな私にレイくんは緩く微笑んでから、小さい溜息をついて夜の空を見上げた。
夜の駅前は淡い街灯に照らされて、対照的に夜の空は余計に暗く感じる。
星の輝きなんてほとんど見えなくて、黒いカーテンに閉ざされたように暗くのっぺりとしている。
それでも澄んだ冬の空には、全てを吸い込むような清々しさがあった。
そんな空を、レイくんは静かに見上げる。
涼しげな瞳に夜空の暗闇を映す姿は、その流麗な顔立ちも相まってとても絵になった。
映画やドラマのワンシーンを切り取ったような、惚れ惚れするような横顔に、私は目を離すことができなかった。
「僕も、詳しいことはわからない。けれど、僕らワルプルギスの中に魔法使いと────魔女狩りと繋がっている裏切り者がいるということは確かで、それが恐らくアゲハだった。そういうことなのさ」
「でも、魔女にとって魔法使いは天敵でしょ? 特にレジスタンスのワルプルギスは。そんなことして、一体何の意味が……」
「さぁね。なんだろう」
興味がないのか、それとも考えたくないのか。レイくんの返しは少しぶっきらぼうだった。
魔女のことを排斥している魔女狩りに、魔女が手を貸すメリットなんてあるようには思えない。
『魔女ウィルス』の適性が高く、転臨にまで至っているアゲハさんなら尚のこと。
それなのに、魔女狩りに加担して私を殺そうとしているなんて。アゲハさんの目的は一体何なんだろう。
アゲハさんはさっき、千鳥ちゃんのために私を殺すと言っていた。
けれど千鳥ちゃんの様子を見るに、それを千鳥ちゃん自身が望んでいるとは到底思えない。
アゲハさんには彼女なりの理由があったとしても、そこには一体どんな関連性があるっているんだろう。
「アゲハの目的はわからない。彼女がどうして魔女狩りに与し、そして君の命を狙うのか。けれど何にしても、これは僕たちの責任だ。僕らは本来、君を崇め奉り、慈しむ存在だ。そんな僕らの中に、君に仇を成すものを生んでしまうなんて、決してあっていいことじゃない。怖い思いをさせちゃってごめんね」
「別にレイくんが謝ることじゃないし、それはいいけど……。でもレイくんは、アゲハさんのことをどうするつもりなの……?」
夜空を見上げるレイくんの横顔は、私に向けるものとは違ってとても静かだ。
そこには穏やかさなんてなくて、目の前の現実を冷たく見つめているようだった。
さっきのアゲハさんとレイくんのやりとりを思い出して、少し怖くなってしまった。
「もしかして、アゲハさんを殺すの……?」
「アリスちゃんは、嫌かな?」
恐る恐る尋ねると、レイくんはゆっくりと視線を落として静かなトーンで尋ね返してきた。
やんわりと浮かべる笑みは、どこか冷たいものを感じて、私は思わず目をそらす。
「それは……だって、人を殺すのは……よくない、ことだよ……」
「アリスちゃんは優しいね。さっきまで君を殺そうとしていた奴にも、情けをかけてあげるんだね」
「…………」
優しいと言いつつ、その言葉にはほんの少しだけ棘を感じた。
私だってわかってる。それは綺麗事で、逃げだってことを。
でも私は、誰かが人を殺したり、誰かが殺されたりするのを見たくはないし、許したくもない。
例えそれが、私のことを殺そうとした人でも。
「すぐに殺したりはしないよ。彼女には色々聞かないといけないからね。クロアには殺さず捕らえるように言ってあるよ」
「なら、いいんだけど……」
本当にそれでいいのか。そう囁く自分がいた。
あんなに怖い思いをさせられて、友達を散々痛めつけられて、それでも私はアゲハさんが殺されないことを安堵するのかと。
そう思う自分もいるけれど、でも私はアゲハさんがレイくんたちに殺されても何も解決しないし、スッキリだってしないと思う。
アゲハさんは私にも、千鳥ちゃんにも詳しいことは何も語ってくれなかった。
けれど、そこには何か明確な事情があるように思えた。
それは独りよがりかもしれないし、行き過ぎた行為なのかもしれないけれど。
でもそこには、アゲハさんなりの想いと事情があるように思えてしまったから。
できることなら、落ち着いた状況できちんと話をしてみたい。
もちろん、どんな話を聞いたって大人しく殺されてあげることなんてできないけれど。
でも、このままただいがみ合って終わってしまうのは嫌だから。
それに、千鳥ちゃんにこのまま終わってほしくない。
千鳥ちゃんがもう二度と関わりたくないというのなら、それは仕方ないけれど。
でも、千鳥ちゃんの叫びの中にあったのは、単なる拒絶だけじゃないように思えた。
二人の間に何があったのかはわからないけれど、でも一度話すことで何か解決するものがあるかもしれない。
「まぁ、アゲハのことは僕らに任せてさ。君は自分のことを考えないと」
さっと表情を切り替えたレイくんは、ニカっと優しく微笑んで私の頭を撫でた。
「アリスちゃんが今一番考えるべきは、自分の封印の解放についてだ。違うかな?」
「じゃあ、今鍵を返してくれるの?」
「あー……それはまだ、かな」
「どうして? さっきは、今の私なら封印を解いても大丈夫だって言ってたのに」
誤魔化すように頰を掻いたレイくんに、縋りつくように問い詰める。
そんな私の肩を掴んで押し留めながらレイくんは苦笑した。
「確かに言ったよ。でもさ、さっきの僕の話を少し考えて欲しいんだよ」
「大切なものから一つ選ぶ時がぬるとしたらってやつ……?」
「うん。さっき言った通り、すぐに答えが出なくたっていい。けれど考えてみて欲しいんだ」
「それは、うん、わかってる。考えるつもりだよ。でも、それでも鍵は返せるでしょ? ちゃんと考えてから、鍵を使うから」
あれは晴香がずっと守ってくれてきたもの。
私の封印を解く鍵であると同時に、晴香の形見で大切な想いだから。
私の手の中で、ちゃんとそれを受け止めておきたい。
相手がレイくんだからとかは関係なく、他人の手に置いておきたくない。
そう詰め寄る私に、レイくんは困ったように眉を寄せた。
「前に言っただろう? 君の封印は、僕の手で解いてあげたいんだ。姫君の覚醒は僕の手の中でさせて欲しいのさ」
「そんなの、私知らないよ。レイくんを全く信用していないわけじゃないけど、でもあの鍵は晴香が残してくれたものだから。だから……」
「うーん、わかった。じゃあこうしよう。アリスちゃんに鍵を返すよ。その代わり────」
不意にレイくんが私の肩を強く押した。
ずっと受け身だったレイくんの不意打ちに、私はされるがままに仰け反った。
そのままベンチの上で押し倒されそうになって、でもレイくんの手が背中に回ってきて支えてくれた。
押し倒される寸前の覆い被さるような姿勢で、レイくんの顔がぐっと近づいてきた。
「一晩、僕に付き合ってよ」
「えっ……え!?」
蕩けるような甘い声が、温かな吐息に混ざって振りかけられる。
熱を孕んだその言葉と、優しさと鋭さを持った澄んだ瞳が私を捕らえて放さない。
体の全てをレイくんに委ねさせられて、どきりと心臓が跳ねた。
「今夜、一緒に過ごそう。そうすれば君はすぐにでも鍵を取り戻せるし、僕は君をじっくり独り占めできる。お互いにとっていい条件じゃないかな?」
「いや、でも、それは……えっと……」
レイくんの黒いサラサラの髪が帳のように私の顔にかかって、そこから甘い匂いが香る。
撫で付けるような甘ったるい囁きと、鼻腔をくすぐるその香りが私の脳を蕩かす。
このまま全てを委ねてしまえば、きっといいことがあるんじゃないかと、そんな風に考えてしまう自分がいた。
けれど、残る理性が危険を感じている。
身の危険というか、本能的な危ない何かを。
このままレイくんの甘言に乗ったら、何か取り返しのつかないことになるんじゃないかって。
そんな、女の勘みたいなものが、私が蕩けきるのを辛うじて抑えてくれた。
「大丈夫だよ、アリスちゃん。絶対後悔はさせない。最高の時間を、約束するよ」
柔らかく、けれど力強く抱きとめられて、包み込むような言葉が私を惑わす。
このままではきっと時間の問題だ。抵抗する理性が、この甘美な囁きに押し負けてしまう。
ダメだってわかっているはずなのに、惑わされちゃいけないって理解しているはずなのに。
それこそ魔法でもかけられているみたいに、今のこの一時の感情が理性を圧倒しようとしている。
これはきっと、私がまだ知ってはいけないことのはずだ。
でも、でも……!
「────アリスちゃん!!!」
ボーッと霞のかかった思考の中に、とても澄んだ声が響いた。
私の心を、思考を研ぎ澄ませてくれる、静かで心地の良い声。
それが、私たちの時間を遮った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます