38 一人でも

「カノンさん! カルマちゃん!」


 魔力が純粋なエネルギーとして炸裂し、蒼白い輝きが視界を支配した。

 その凄まじい爆発の余波が離れた私たちの元まで及んで、頭を腕で庇って踏ん張らないと立っていられなかった。


 閃光と衝撃が収まり、唐突に静寂が訪れた。

 音という概念がなくなってしまったかのような、そんな静寂。

 さっきまでの閃光で目が眩んで、夜の暗闇に目が慣れない。

 おまけに爆煙が立ち込めるように霞がかって、視界そのものが良くなかった。


 けれどそれでも目を凝らし、耳を澄ませて二人の姿を探す。

 そして霞が晴れた時、塀に身体を強く打ち付けてボロボロになっている二人の姿が目に入った。

 無残に打ち付けられた身体は、壁伝いにずるずるとずり落ちて地面に崩折れた。


「二人とも!!!」

「はーい、行かせないよ〜」


 急いで駆け寄ろうとした時、アゲハさんが私の眼前に瞬時に現れて行く手を遮った。

 ニタァッと悪辣な笑みを浮かべて、私を舐め回すように見つめるアゲハさん。

 それはまるで、私の顔が絶望に染まる所が見たいとでもいうような、悪趣味な笑みだった。


「どいてください! 二人を、助けないと!」

「いやいや、どくわけないっしょ。アイツらもアンタも死ぬんだし、別によくない?」

「そんなことさせない!」


 辛うじて息があるようには見える。

 でもとてもギリギリだ。早く助けないと、二人が……!


 焦る気持ちを剣に乗せて振るっても、アゲハさんに難なく避けられる。

 それでも力任せに剣を振るい続けて、そして何度も容易くかわされる。


「アリスってさ、何だかんだ弱いよね!」


 私が剣を振り抜いた隙に、アゲハさんの鋭い蹴りが放たれた。

 それは私の胸の氷の華が盾を張って防いでくれる。

 けれどそれも束の間、スパンと軽い音がして、ワイヤーのような糸の一撃で氷の盾はバターのように切断された。


 遮るものを失った私の元に、同じように鋭い糸の一撃が放たれた。


「ア、アリス!」


 間一髪、千鳥ちゃんが放った電撃がアゲハさんの攻撃を防いだ。

 ふらふらな脚を踏ん張って、額に脂汗を滲ませながら、千鳥ちゃんは必死の様子で私の前に飛び込んできた。


「アリス、だけは……!」

「ふらふらのくせにでしゃばんなって!」


 飛び掛かるように手を伸ばした千鳥ちゃんの腕を、アゲハさんがガチっと掴んだ。

 そしてそのまま一本背負いのように身体を持ち上げて、思いっきり背後へと放り投げた。


「アンタは大人しく、アリスが殺されるところを見てりゃいいのよ! お寝んねしてなって!」


 無抵抗に宙へと放り出された千鳥ちゃんの真上に風の渦ができた。

 それは小型の竜巻のようにうねり、凄まじい勢いで千鳥ちゃんに降りかかって地面へと叩きつけた。


 辛うじて体の周りに障壁を張って直撃を免れた千鳥ちゃんだったけれど、地面へと叩きつけられた衝撃そのものは押し殺せない。

 地面にベタンと倒れ込んで、それでも何とか身体を持ち上げようと手をつく。

 けれど、その腕には全く力が入らないでいた。


「千鳥ちゃん! みんな!」

「だからぁ、行かせないってば」


 駆け寄ろうとする私を再度遮るアゲハさん。

 目の前に仁王立ちで立ち塞がり、勝ち誇った満面の笑みを浮かべている。


「お邪魔虫はみんな大人しくなって、やーっと二人きりになれたんだからさぁ。もっとちゃんと私のこと見てよ」

「っ…………!」


 私のために戦ってくれたみんなが、ボロボロになって倒れ伏している。

 私のために傷付いて、苦しんでいる。

 みんなが死んでしまうなんて、そんなのは嫌だ。

 もし私がここまでの命だったとしても、みんなが死んでしまうのだけは、絶対に嫌だ。


「どうする、アリス。私も別に鬼じゃないからさ、アンタが私に大人しく殺されてくれるんなら、アイツら生かしといてあげてもいいけど?」

「えっ?」


 予想外の提案に、私はポカンとしてしまった。

 今まで怒りに任せて無差別に殺意を振りまいていたアゲハさんから、到底出るとは思えない言葉だった。


「だってほら、アリスはお友達が大事なんでしょ? だったら、その友達の命助けるためだったら自分の命くらい安いもんじゃない?」

「そ、それは……」

「アホなこと……考えんじゃ、ねぇぞ……!」


 カノンさんの、かすれるような叫び声が聞こえた。

 アゲハさん越しに目を向けてみれば、懸命に身体をもたげながら、薄く目を開けてこちらに這いよろうともがいていた。


「言ったろ。アタシたちは、アタシたちの覚悟で戦ってる、って。だから……お前は、自分のことだけ考えろ……!」

「そうだ、よん。お姫様に死なれちゃったら、頑張った損だし。それはカルマちゃん、おこだよ、おこ」


 息も絶え絶え、弱々しい声で訴えかけてくるカノンさん。

 カルマちゃんもまた、ボロボロなのに緩く笑いかけてきた。

 自分たちだってギリギリなのに、私のことを守るために。


「アリス、アンタ……私たちのために死ぬとか言ったら、許さないから……! そんなふざけたこと言ったら……言ったら、ぜ、絶交よ……!」


 倒れ伏したまま、千鳥ちゃんが叫ぶ。

 腕に力は入らず、顔を上げるのがやっとなのに。

 それでも私をまっすぐ見て、その想いを叫んでくれる。


「みんな……」


 みんながここまで私の命を守るために必死になってくれているのに、私が一人で勝手に諦めるわけにはいかない。

 守ってもらう側の責任として、私が誰よりも生きることを諦めちゃいけないんだ。

 それが、私を守るために戦ってくれたみんなへの誠意だ。


 自分が大人しく殺されればみんなが助かるかもなんて。

 そんなのは逃げだ。そして何より、私のために命をかけてくれているみんなへの侮辱だ。


「私、最後まで戦う。戦って生き延びて、みんなも助ける!」

「バッカじゃないの! 死にかけてる奴らの言うこと間に受けて、まだ無駄なことするわけ? それじゃ全員あの世行きだけど?」


 アゲハさんは嘲笑う。

 みんなの言葉を、そして私の決意を。

 無駄だと、くだらないと。


 確かにアゲハさんは強くて、私一人で勝てるかなんてわからない。

 それでも私は、最後の一瞬まで諦めたくない。

 生き延びる道を。みんなで生きていく道を。


「無駄なんかじゃありません。最後まで諦めないことは、決して!」

「諦めないとか、言ってりゃカッコイイかもしれないけどさ。私に勝てないことなんてわかりきってるんだから、無駄以外の何物でもないよね!」


 そうだ。わかってる。

 今の私の力では、アゲハさんの実力に遠く及ばないことは。

 みんなやられてしまった。私よりも遥かに戦闘慣れしているみんなが、やられてしまった。

 いくら私がすごい力を持っていても、使いこなせていない今の私に勝てる相手じゃない。


 それでもと、私は『真理のつるぎ』を力強く構えた。

 敵いっこなかったのは、いつも同じだ。

 ついこの間まで平凡な女子高生でしかなかった、そう思っていた私は、いつだってギリギリの戦いをなんとか切り抜けてきた。


 それはもちろん、沢山の人が力を貸してくれたからだけれど。

 いつだって、余裕で切り抜けられたことなんてなかった。

 友達を信じて、想い合って、最後の最後まで諦めなかったから、今の私はここにいるんだ。


「まぁいいよ。アンタがそう言うなら真正面から殺してあげる。どっちにしたってアリスが死ぬことに変わらないしね!」


 アゲハさんの楽しそうに朗らかに、余裕に満ちた声。

 勝ちを確信している、勝者の声。

 私を嘲り見下して、これから訪れる勝利に酔っている。


 その姿に、恐怖を覚えないといえば嘘になる。

 人から外れた姿を持って、醜悪に満ちた邪悪な気配をまとって。

 楽しげに笑いながら残忍な言葉を口にする。

 そんなアゲハさんと一人対面して、恐ろしくないわけがない。


 私はいつも誰かに守られていたから。

 誰かと一緒に戦っていたから。

 一人で敵に相対することが、心細くて堪らなかった。


「……助けて」


 だからなのかもしれない。

 剣を強く握る手と反して、唇は不安を口にした。

 無意識に、いつも隣にいてくれるその心に助けを求めてしまった。


 胸に咲く氷の華を抱くように手を添えて。

 その心に呼びかけるように。


「助けて、氷室さん────」


 誰にも届かない、呟くような言葉。

 自分に言い聞かせるだけの、ただの独り言。

 離れていても繋がる心を胸に、己を鼓舞するための呪文のようなもの。

 無力な私に力を貸してという、ただの懇願。


 ただそれを口にするだけで少し心が奮い立った。

 私は一人じゃないって、いつだって寄り添ってくれる心があるって、そう思えたから。

 そして何より、ここで死んでしまったら、もう氷室さんに会えなくなってしまうと気付いたから。

 それは絶対に、嫌だ。


 その想いを胸に、力強く剣を振り上げる。

 アゲハさんも私に向けて膨大な魔力を込めた攻撃を放たんとしている。

 私はただ、目の前のアゲハさんの一挙一動を全力で注視して、何が起きても剣を振るえるように構えた。


「アリス、アンタが死ねば全て解決するんだから、いい加減大人しく殺されてよね! ためにさぁ!!!」


 大きく羽を広げ、アゲハさんが高らかに声を上げた。

 蒼く光り輝く蝶の羽が、膨大な魔力を含んで大きく振るわれた。

 羽ばたきによる風圧に、純粋な高エネルギーを込めた蒼白い閃光のような衝撃波。


 それが放たれた、瞬間だった。


「やれやれ、助けを呼ぶなら僕のことを呼んで欲しいなぁ。まったく、妬いちゃうよ」


 私たちの間に黒尽くめの人影が割り込んだ。

 全身黒一色に染まっているのに、その頭だけは雪のように白く、そのてっぺんからはふわふわとした兎のような長耳が生えていた。


 その人影がすっと手を前に向けると、障壁が展開されて衝撃波を正面から受けた。

 一帯を吹き飛ばしかねない高エネルギーの衝撃波を、しかしその障壁はいとも容易く受け切って、風圧による衝撃だけが周囲に吹き荒れた。


 一切の穢れがない白い毛と、長い耳がパタパタと揺れた。


「やぁアゲハ。僕のアリスちゃんに手を出すなんていい度胸じゃないか。覚悟は当然できてるんだろうね」


 その人影は私が知っている人。

 黒いブルゾンに黒いジーンズ。煌びやかな中性的な顔立ち。

 いつも被っている黒いニット帽はなく、そして艶やかな黒髪のショートヘアは今真っ白に色が抜けているけれど。


 それは紛れもなく、レイくんだった。

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