11 価値
「実はね、昨日もまた死ぬ直前の魔女の介錯をしたのよ」
私に視線を向けることなく、少し言いにくそうに千鳥ちゃんは切り出した。
それが後ろめたさなのか、それとも先日の晴香の件を気遣ってなのかはわからない。
けれど少なくとも、その言葉を聞いてハッと息を飲んでしまった私に、千鳥ちゃんは少し困ったような笑みを浮かべた。
「でもね、やっぱりできなかった。アンタもさっき言ってたけどさ、私はこの仕事、一人で最後までできたことないのよ。結局いつも最後は、夜子さんに任せっきりで……」
仕事を完璧にこなせたことがない、ということはつまり、殺してあげられないということだったんだ。
『魔女ウィルス』に侵食され、食い潰される直前の魔女を介錯するという仕事。
それを千鳥ちゃんは、できないんだ。
「アンタの前ではあんなに大口叩いたのにね。でも私、どうしても相手の息の根を止められないの。この仕事するために、置いてもらってるのにさ。役立たずでしょ?」
千鳥ちゃんは自らを卑下するように薄い苦笑いを浮かべる。
夜子さんの仕事を手伝う代わりに居候させてもらっている千鳥ちゃん。
その仕事をこなすことのできない自分に、価値を見出せないということなのかもしれない。
「でも、無理に人を殺す必要ないよ。しなきゃいけないことでも、千鳥ちゃんがしたくないことを無理にすることないよ。だってそれは、千鳥ちゃんの優しさでしょ?」
「どうだろ。優しいのかな、私。単純に命に責任を持ちたくないだけの臆病者って気がする」
千鳥ちゃんの言葉はとても冷たかった。
自分を罵倒する言葉を平然と吐き捨てて、そして悲観的な笑みを浮かべる。
自暴自棄になっているその姿は、とても見ていられなかった。
「千鳥ちゃんは優しいよ。それは私が保証する。確かに千鳥ちゃんは臆病なところもあるけれど、人を殺したくないっていうのは千鳥ちゃんの優しさだと私は思うよ」
「臆病者は否定しないのね。ったくアンタは…………まぁでも、ありがと」
千鳥ちゃんは困ったように眉を寄せ、でも少し薄い笑みを私に向けた。
私が握る手からは、ほんの少しだけ力が抜けた。
千鳥ちゃんは自分の膝に頭を預けて、私を覗き込むように顔を向けてきた。
「でもね、そのことはきっかけというか、要因の一つって感じなのよ。根本的に私は、自分に価値が見出せない」
「どうして、そんな寂しいこと言うの?」
「私には自分自身を証明するものが何もないもの。培ってきたものは全部捨ててきた。そしてここにいても、私は自分のいる意味を示せない。与えられた仕事すらろくにこなせない私には、ここにいる権利がないのよ。そんな私を、必要としてくれる人だって、いない」
『まほうつかいの国』から命からがら逃げ出してきたという千鳥ちゃん。
向こうの世界でのものは全て捨てて、生きるために亡命してきたと言っていた。
名前も家族も居場所も全部捨てて、何も持たずにこちらにやってきた千鳥ちゃんは、確かに前からアイデンティティに固執していた。
千鳥ちゃんも、ただ夜子さんの元で居候している自分に嫌気がさしていたのかもしれない。
与えられた仕事もこなせない自分に価値はなく、そこにいる資格はないと思いつめてしまうほどに。
人の価値なんて、役に立つか立たないかじゃないのに。
「私には、夜子さんの側にいる資格なんかない。アンタの、友達でいる資格もね」
「……!」
その言葉に、私は頭にカッと血が上った。
だってそんなものは、自分で勝手に決めつけるものじゃないんだから。
自分を否定する行為は、自分を必要としている相手を否定する行為だ。
私は込み上げた怒りに任せて千鳥ちゃんの鼻をぎゅっと摘んだ。
「イタイッ……!」
「もう千鳥ちゃん! 怒るからね! なんでそういう事ばっかり言うの!?」
「痛いって! もう怒ってるじゃないの!」
「まだ怒ってない!」
私が容赦なく鼻を摘むものだから、千鳥ちゃんは悲鳴あげながら頭を上げた。
それでも私は指を放さず、千鳥ちゃんがいやいやと頭を振っても摘み続けた。
「千鳥ちゃんがどんなに自分のことを否定したって、私は千鳥ちゃんのこと友達だって思ってる。私は千鳥ちゃんに価値があるって思ってる。だって私は、千鳥ちゃんのこと好きだもん」
「なにそれ。慰めてるつもり? 私はアンタの為に何にもできない。アンタだけじゃない、誰の為にだって、何にもできないの。そんな私に、なんの価値があるっていうのよ」
「慰めてなんかないよ。私は怒ってるの。価値はある。友達だってだけで、私にとっては十分すぎるくらいだよ。千鳥ちゃんが自分のことをどう思うかは勝手だけれど、千鳥ちゃんのことを好きな人の気持ちを勝手に否定しないでよ」
頭に上った血は私の心をグラグラと煮え立たせて、でもその怒りは次第に同じくらいの悲しみを呼び寄せた。
自分が怒っているのか、それとも悲しんでいるのかわからない。
でも、堪らない感情の波が渦巻いているのは確かだった。
「私は、千鳥ちゃんのこと好きだよ。大切な友達だって、思ってる。千鳥ちゃんが色々悩んでいるのはわかるけど。だからってそんな悲しいこと言わないで」
「アリス……」
鼻から指を放すと、私がぎゅうぎゅう抓ったものだから赤くなってしまっていた。
でもそれではなんだか満足できなくて、今度は両手を伸ばして頰を摘んだ。
赤ちゃんみたいにふにっと柔らかいそれを、びよんと伸ばしてやる。
「ひょ、ひょっと……!」
「私別に、千鳥ちゃんに何かして欲しくて友達してるわけじゃない! 役に立って欲しいとか、そんなこと思ったことない。何にもできなくても、全く役に立たなくたって、千鳥ちゃんは私の友達なんだ。私の気持ち、舐めないでよぉ……!」
最後の方は涙声混じりに、私は当たり散らすように叫んだ。
柔らかい頰をぐにぐにと引っ張りながらこねくり回す。
込み上げてきた怒りと悲しみがごちゃ混ぜになって、自分の気持ちがわからなくなりながら、私は訴えかけた。
「わ、わかった! わかったからぁーーー!」
悲鳴混じりに呻く千鳥ちゃんは少し涙目になっていた。
両方の頰を引っ張られてちょっと間抜けな顔になりながら、降参の意を叫ぶ。
仕方なく手を放してみれば、千鳥ちゃんは鼻と同じように赤らんだ両頬をさすった。
「まったく……何泣いてんのよ」
「泣いてないもん、怒ってるの。そういう千鳥ちゃんこそ泣いてるじゃん」
「それはアンタが抓るからでしょーが! そりゃ涙も出るわよ!」
抓るのはやめてあげたけど気持ちはまだ晴れなくて、私はジトっと千鳥ちゃんを睨んだ。
千鳥ちゃんは抓られたことに怒りを露わにしつつも、でもやれやれと眉を落とした。
その表情からは毒気が抜けて少し穏やかになった。
「私のために怒ったり泣いたり。バッカみたい」
「友達だもん、当たり前でしょ。千鳥ちゃんが酷いこと言うからいけないんだからね」
「わかったてば。わかったわよぉ」
眉を寄せてキッと視線を向けると、千鳥ちゃんは慌てて身を引いた。
また抓られたりしたら堪らないと思ったんだろう。
悲観的だった表情はなくなって、普段の軽い調子に戻った千鳥ちゃんに私の気持ちも少し落ち着いた。
「友達になる資格がないなんて、そんな寂しいこと言わないでよ。そもそも、資格なんて必要ないんだから。私が千鳥ちゃんのことを友達だと思って、千鳥ちゃんが私のことを友達と思ってくれれば、それだけでもう友達なんだから」
「…………うん」
さっきまで湧き上がっていた怒りや悲しみが引いた私は、眉を落としつつも笑みを浮かべて言った。
すると千鳥ちゃんは困ったような顔をしつつもおずおずと頷いた。
千鳥ちゃんだってきっとわかっていないわけじゃないんだ。
ただ元来の小心者な性格から悲観的になっていただけ。
「だからさ、家出はもうお終いにしよう? 夜子さんも待ってるよ」
「あの人が私のこと、待ってるかなぁ」
「待ってるよ。だって言ってたもん。夕飯までには帰っておいでってね」
「はぁ? なにそれ」
ニコッと笑って夜子さんからの言葉を伝えると、千鳥ちゃんは呆れたような顔をした。
夜子さんのあまりの動揺のしなさっぷりにか、それとも自分に対する夜子さんの心象にか。
どちらにしても、千鳥ちゃんは帰ってくると疑っていないことには変わりない。
それは伝わったようで、千鳥ちゃんの顔からは完全に力が抜けていた。
「どうせ、その夕飯は買って帰ってこいってことでしょ?」
「お、よくわかったね」
「あの人の人使いの荒さにはもう慣れたわよ」
溜息をつきつつそうこぼす千鳥ちゃんだったけれど、決して嫌そうではなかった。
むしろ、その夜子さんらしさを今は噛み締めているように見える。
「……わかったわよ、帰る。アンタが私のこと友達って言ってくれる限りは、なんとかやってけるかも」
「よかった、じゃあずっと大丈夫だね。また気分が落ち込んだら言ってよ? ほっぺ抓ってあげるから」
「アンタ、本当に容赦ないわねぇ……」
少し意地悪く笑みを向けると、千鳥ちゃんは口をへの字に曲げて呻いた。
心のシコリが全部なくなったわけではなさそうだけれど、その表情は最初に比べれば穏やかになっている。
千鳥ちゃんは元気で、ちょっと小うるさいくらいがちょうどいい。
私を安心させようとはにかんだその笑みは、まだ少しぎこちなかった。
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